心から願うもの.11









「・・・ちょっと、胸のところが苦しい、かな」
 あきのの苦笑に、倫子も苦笑いを浮かべる。
「そうねぇ・・・ちょっと待ってて」
 倫子は知香を呼びに行き、あきのの姿を見てもらった。
「まあ、あきのさん、よく似合うわ。でも、確かに、胸元がキツそうね」
 知香はあきのに断ってから、上半身部分の生地の具合を確かめる。
「レース地はこれでいい感じみたいだから、下のサテンの部分だけ、少し伸ばせたら着られそうね。友人に直しを頼んでみるわ」
「直、せるんですか? おばさま」
「多分ね。友人はドレスの縫製の仕事をしているから、相談してみるわね」
「ありがとうございます! 胸のところさえ苦しくなければ、私、これを着て、お式を挙げたいです」
「なら、余計に何とかしなきゃね。ベールも友人に相談して、このドレスに合うものを選んでもらおうかと思うけれど、それでいいかしら?」
「はい、お願いします」
 亡き母が着たドレス。大切に、シミ一つないように保管されていたということは、美月の遺志なのか、父の思いなのかは判らないが自分に着てもらいたいという願いが込められているのだと解る。
 新しい母である倫子に厭う感情がないのなら、これを着て、花嫁になりたいとあきのも思う。
「じゃあ、善は急げ、ね」
 知香は自分の携帯を取り出して友人に繋ぎ、来週の日曜日の午後に時間を作ってもらう交渉をした。
「これから暫く、お休みの日は結婚の準備に忙殺されることになると思うけど、本当にいいのね? あきのさん、智史」
 リビングに戻ってから、知香は2人を前にしてそう問いかける。
「はい、勿論です」
「俺も、覚悟してる」
 真摯な表情の2人を見て、知香も、倫子も満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、お式と披露宴に関する諸々は私と倫子さんに任せてね。あなたたちでないと困ることについてはちゃんと報告するわ。後は、新居の支度ね。契約が終わったら必要な家具や電化製品、食器なんかを揃えないと。最低限必要なものはリストアップしてあげるから、自分たちでいいと思うものを買いなさい」
「・・・その、母さん。買い物、しなきゃなんねーのは解ってんだけど、さ・・・」
 微妙に言い辛そうにしている智史に、知香は大袈裟に溜息をついてみせた。
「挙式と披露宴に関しては、どちらもが親持ちということで話がついているから、それに関しては何も心配しなくていいわよ、智史。新居の諸々の分については、貸してあげるから、出世払いで頼むわね」
「サンキュ、母さん」
 安堵の息をついて、智史はあきのに向き直った。
「来週から、買い物だな。一緒には行くけど、多分、俺にはよく判んねーことの方が多いと思うから、頼りにしてるぞ? あきの」
「・・・うん、頑張ります」
   しっかりと頷いたあきのの手を、智史は母親たちからは隠すようにしてそっと握った。





 そこからはめまぐるしく事が動いていった。
 平日は仕事をし、慣れない自分に苛立つ日や落ち込む日があり、休日は新居の支度と挙式の支度に走り回る。
 しかし、智史もあきのも、精力的にそれらをこなしていった。
 高校時代の何人かの友人たちも披露宴に来てくれることになり、俊也もその時には帰省すると言ってくれた。
 ウェディングドレスは無事に直してもらうことが出来、倫子の手配で式場に持ち込まれることになった。お色直しのドレスもレンタルした。
 新居は3LDKで、新婚の2人が住むには広すぎるくらいだが、とりあえず2つの部屋は来客用や荷物置きにすることにして、カーテンや照明を準備するだけにとどめ、残りの部分に必要な家財道具を収めていった。
「・・・一緒に暮らすって、結構モノが要るんだなあ・・・」
 あきのと2人で食器類を見ながら、智史は溜息をついていた。
「うん、そうだよね・・・こういう細々したものが必要よね、割と。こういうの、選んで買い物してると、親のありがたさが判る気がする」
「だよなぁ。俺ら、恵まれてるってことだよな、ちゃんとあれこれ世話してくれる親がいてくれて」
「・・・うん。まあ、中高の頃はちょっと複雑だったけど・・・今は、父にも感謝してるよ、私も」
「・・・そうだな」
 智史はあきのに微かな笑みを向ける。
 最低限の食器類を購入すると、次は調理器具。これも最小限必要と思われる分だけを購入していく。
「使っていくうちにまた必要なら買い足せばいいって、おばさま・・・じゃなくて、お姑さんがおっしゃってたから」
 あきのはまだ、知香を『お姑さん』と呼び慣れずにいる。
 ずっとそう呼びたいと願っていたのに、いざとなると、何だか照れてしまうのだ。
 これも、正式に結婚してしまえば次第に慣れていくのだろう。
「まあ、そうだよな。・・・あ、けどな、フライパンだけは大きめのを買うぜ。多分、結婚したら、俺も料理することになるだろーし」
「え? 智史、ご飯作ってくれるの?」
 あきのは目を丸くする。
「そりゃ、そうなるだろ。夜勤明けでまた夜勤とか、準夜勤とか、看護師の勤務は不規則だろ? 俺は朝から夕方で殆ど時間外もなさそうだし、日曜と祝日は確実に休みだしな。・・・やれる時は手伝うつもりだ。まあ、上手くはないと思うが」
「・・・いや、私も、上手い、とは言えないし・・・そうだね、そういうのも、協力して、一緒にやっていけばいいんだよね」
「ああ、それでいいんじゃね? ・・・母さんにちょっとは習っとくわ」
「あー、それいいなあ。おば・・じゃなくて、お姑さんになら、私も習いたい・・・」
「倫子さんには教えてもらわないんか?」
「あー、うん、倫子さんはね、忙しいから。それに、普段はあまり料理しないのよ、倫子さん。矢野さんがいてくれる・・・あ、そっか。矢野さんに教えてもらえばいいんだ」
 椋平家に家政婦として来てくれている矢野さんは、あきのにとっての3人目の母、のような存在で、現在もフルタイムで働く倫子の代わりに家事を引き受けてくれている。悠一郎が生まれてからは、週3だったのを5に増やしてもらって、洗濯や掃除、調理を助けてくれていた。
「いいんじゃねえか? 矢野さんになら、料理以外の家事のことも聞けそうだし」
「ホントだ。・・・今度、時間作ってもらおうっと。・・・頑張るからね、私」
 微笑んだあきのに、智史も頷く。
「ああ。ただ、無理はするなよ、あきの。仕事もあるし、出来る範囲でいいんだからな。俺も、出来るだけ頑張るわ」
「うん、ありがとう」
 そんな風にして、6月の半ばにはすっかり新居は整えられ、いつでも住める状態になった。
 部屋の管理も兼ねて、一足先に智史が新居に引っ越す。あきのの身の回りのものも、その時には殆どを運び入れ、実家に残しているのは着替えのみとなった。
 挙式の準備も着々と進められ、最終確認が取られていく。









 そして。
 ようやく『その日』を迎えることになった。










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