心から願うもの.10









「おかあさん、お式の話は後にして、先に新居の話をさせてもらってもいい?」
 食事を終えて、お茶を飲んでひと息ついてから、あきのはそう切り出した。
「ああ、そうね。いいわよ。・・・総一郎さん、新居の話を先にしたいって、あきのちゃんたちが」
 倫子の言葉に、安志と何やら語り合っていた総一郎が顔を上げる。
「戻ったか。それで、どうだった」
「・・・あのね、お父さん。ひとつ、気に入ったところがあるにはあるんだけど」
「先月出来たばかりのマンションか?」
「・・・はい。彼女も俺も、あそこがいいかと思ったんですが・・・その、案内してくれた不動産屋の担当者が出してくれた条件が、ちょっと・・・」
 智史が言い澱み、あきのがそれを引き継いだ。
「始めは分譲って聞いたのに、途中から賃貸に変わって・・・おまけに、お家賃が、予想外に安くて、何か、信用していいのかどうか、判らなくなっちゃって」
 総一郎はあきのと智史の様子を観察するかのように見つめる。
「・・・家主が良いというのだから、家賃については問題ないだろう。それから、分譲物件ではあるが、あの部屋については賃貸で間違いない。既に持ち主がおられて、その持ち主から借りる、ということになっている」
「・・・じゃあ、その家主さんって人を、おじさんは知ってる、ということですか」
 智史の真摯な瞳に、総一郎は鷹揚に頷いた。
「そういうことだ。ただ、家賃は破格でも、共益費や駐車場の代金は当然別にかかってくる。まあ、それでも破格には違いないがな。あそこで良いと言うなら、契約書を用意させておこう。来週の休みにでも、契約に行ってきなさい」
「でも、お父さん・・・本当に、いいのかな。何だか、申し訳ないくらいなんだけど」
「家主が納得しているんだ、心配する必要はない。それに、早めに住む場所を決めてしまわないと、家財道具なども買えないだろう。お前たちはどちらも親の家から大学にも、職場にも通っているのだからな、必要なものは全部揃えなければならない。最低限必要なものはおかあさんたちに聞くといい」
 智史とあきのは顔を見合わせ、頷き合う。
「・・・では、それでよろしくお願いします。ありがとうございます」
 智史がすっと頭を下げる。あきのも微笑みながらありがとう、と伝えた。


 2人が倫子と知香の方へ離れていくと、それまで沈黙を守っていた安志も総一郎に頭を下げる。
「ありがとうございます、椋平さん。あの2人のために」
「いや、娘のためですから。亡くなったあきのの母親との約束なんですよ、『幸せな結婚が出来るように助ける』ということが。それだけです」
「不甲斐ない息子と親で申し訳ない」
「いいえ、そんなことはありません。智史くんのような誠実な青年は昨今なかなかいない。それは、金では買えない貴重な財産だ。それを育ててこられた親御さんは立派です。私も、彼には教えられた」
 あきのの本心を聞けるようになったのは智史のお蔭だ。
 彼という存在が娘の傍にあることを知ってから、総一郎はそれまでよりずっと、家庭に目を向けることが出来るようになった。あきのや悠一郎に目を向けるようにすることで、妻である倫子との仲も深まったように思う。
 仕事とお金だけが全てではないということを気づかせてくれた。
 総一郎にとって智史は好評価に値する人物だ。
 だから、娘を取られる口惜しさはあっても、結婚相手としては申し分ないと思える。
「そんな風に言っていただけると、気恥ずかしくなりますね」
 安志は苦笑しながらグラスの水を口に運ぶ。
 智史が真っすぐに成長したのは母親である知香の教育の賜物だろう。道を踏み外さないように睨みは利かせてきたつもりだが、親として、威張れるようなことは何も出来ていない、と安志は思う。
 そして、智史を更に成長させたのは、あきのという女性の存在によるものが大きい。
「これから結婚式までの期間に、少しでもあきのさんを助けられるよう、妻に息子を鍛えてもらうことにしましょう」
「ほう・・鍛える、とは?」
「家事全般、ですかね。・・・まあ、私も得意ではないので、大きなことは言えませんが」
「それは私も同じです。家のことは、倫子と家政婦に任せてしまっていますからね」
 そんな話をしながら、父親同士は親交を深めていった。


「結婚式のことなんだけど」
 倫子は智史とあきのに、基本的なプランに、幾つかのオプションを加えた異なるプランを提示して見せた。
 あきのは記憶にある限り、結婚式には出た覚えがない(総一郎と倫子は入籍のみだったので)から、何が一般的なのかも全く判らない。
 智史も従兄の諒の結婚式に出たくらいで、殆ど覚えていないから大差なかった。
「えっと・・・何がどう違うの? おかあさん。そこから、判らないんだけど」
 あきのが苦笑いで応え、智史も頷く。
「あらら・・・そうね、じゃあ・・・」
 倫子は方法を変えて、基本のプランをまず、説明していく。そして、2人にやりたいこと、やりたくないこと、という形で答えてもらうことにした。
 智史とあきのは、判らないことはその都度倫子と知香に聞きながら、質問に答えていく。
 その結果、挙式はあきのの希望通り教会式で、披露宴は近い親類と友人たちのみで、お色直しは1回のみ、ということに決まった。
「予約したところは、お料理には割と定評があるから、そこは安心してくれていいわよ。後は、お祝いのスピーチとか、余興的なものをどうするか、だけど、それは来てくれるお友達にもよるでしょうし、もう少し後で考えましょうか」
「それと、衣装なのだけど」
 知香が口を開いて、倫子と目くばせする。
「実はね、あきのさん。ウェディングドレスは今、ここにあるそうなの。もし、良かったら、それを着てくれないかしら」
「えっ、ここに、って、家に、ですか?」
 あきのが目を丸くすると、倫子が微笑んだ。
「ええ。総一郎さんが大切に保管しているものなの」
「おかあさん、それって、もしかして・・・」
 知香もやさしく微笑む。
「・・・そう、美月さんのドレスよ。私も見せてもらったんだけど、とてもきれいに保管されているから、いいんじゃないかと思って。倫子さん、あきのさんにも実際に見てもらいましょうよ」
「そうですね。・・・あきのちゃん、こっちに来てくれる?」
 倫子に案内されて、あきのは普段は閉じられている部屋に入った。そこには、亡き美月のものや、あきのが幼少の頃に着たドレスや着物が収められていた。
 そして。
 ハンガーに掛けられた、純白のドレスに目を奪われる。
 Aラインのドレスはクラシカルな雰囲気で、レースの袖がとてもおしゃれな感じだった。
 スカート部にもレースが使われていて、内側のサテンのスカートはシンプルだが、重ねられたレースが華やかさを演出している。
「これが・・・美月お母さんの、ドレス・・・」
「・・・どうかしら、あきのちゃん。知香さんはいいと思うって言って下さってるんだけど」
「うん、私も、いいと思う。ただ・・・着られる、かな」
「とりあえず着てみて?」
 倫子に勧められ、あきのはドレスを手に取った。
 
 
 









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