心から願うもの.5






 それは、成人式を終えた翌週、大麻家にお邪魔した時のことだった。
「あきのさんが成人して、きっと美月さんも喜んでいるでしょうね」
「え? おばさま、どうして亡くなった母の名前を・・・」
 産みの母が亡くなったことは話したが、名前までは話したことはなかった筈。
 あきのは目を瞠って、紅茶を差し出してくれた知香を見つめた。
「・・・あら? 話してなかったかしら。美月さんと私、大学が一緒だったのよ」
「ええ!?」
「聞いてねーぞ、母さん」
 あきのだけでなく、智史も瞠目し、そんな2人を見た知香は、苦笑いを浮かべた。
「あらあら・・・もう、とっくにあなたたちにも話したと思ってたんだけど・・・私の勘違いだったのねぇ。ちょっと、待っててくれる?」
 知香は一度リビングを出て、手にA5サイズくらいの紙袋を持って戻ってきた。
「これを見てくれる?」
 知香が差し出したのは、少し色あせた年賀葉書。
「これ・・・私、だ・・・」
「・・・まだちっこいな・・・」
 可愛らしい、フリルとレースがたくさんつけられた淡いオレンジのドレスを身に着けた少女の笑顔の写真。
「七五三の時の写真だと、美月さんは書いてくれてるから、7歳の筈よ。写真つきの年賀状はこれだけだけど・・・毎年、美月さんが亡くなるまで、年賀状だけはやり取りしていたの」
「そう、だったんですか・・・」
 あきのは不思議な気持ちで知香の話を聞いていた。
「けど、いつ、あきのが知り合いの娘だってことに気づいたんだ? 母さん」
「初めてあきのさんがうちに来てくれて、お母さんが亡くなったってことを教えてくれた時に、もしかして、と思って。それで、これを確認して判ったの。でも、既に新しいお母様がおられる状態で美月さんの話をするのもどうかと思ったから、時期を見て、話せたらいいかなって 考えていたんだけど・・・そのまま、話さずにいたのねえ、私ったら」
 再び苦笑した知香に、智史は眉根を寄せながら問いかける。
「・・・なあ、母さん・・・もしかして、あきののお母さんの葬儀か通夜に行ったんじゃね? 俺も、一緒に」
「え?」
 あきのが目を丸くした。
「ええ、お通夜に行かせてもらったわ。覚えてるの? 智史」
「誰のってのは覚えてねーんだけど・・・俺、葬儀関係に行ったのって初めてだったし、それ以降も出たことねーから、そういうことがあったってことは覚えてんだよな」
「そう。・・・あきのさんのお父様が連絡してきて下さったから、行かせてもらったのよ。銀行の関係の方々がたくさんいらしてたから、直接ご挨拶とかはしないまま、帰ってきたんだけど」
「父が・・・おばさまに、連絡したんですか・・・?」
 目を瞠ったまま、問いかけてきたあきのに、知香はやさしい笑みで応えた。
「ええ、そうよ。美月さんは、お友達が少ないからと・・・私が出した年賀状を捜し出して、連絡して下さったの。お父様は、美月さんのことを、とても大切に思っていらしたみたい」
 そして、知香は、実は智史とあきのは1歳になる前に一度だけ、顔を合わせていたのだということも教えてくれた。
「私が復職する前で、たまたま時間が合ったものだから、久しぶりに美月さんに会ったのよ。・・・それが、最後になってしまったけれど」
 そっと目を伏せた知香を前に、あきのと智史も沈黙する。
 けれど、何か不思議な力が働いて、互いが出会えたのだという思いになっていた。
 それは、空に帰った美月の願いだったのかもしれない。
 少なくとも、あきのにはそうだと思えた。
 智史に、そして大麻家の人々に出会えたのは、美月がずっと見守っていてくれているからなのだと。










「美月お母さんは、智史と私が初めて会った時にこう言ってたそうよ。『まだ2人とも赤ちゃんだけど、将来、恋人同士になって、結婚したりしたら素適よね』って。だから、きっとお母さんは喜んでくれてる筈。それに、智史が誠実でやさしい人だってことは、倫子おかあさんや悠ちゃん だって解ってくれてるし、喜んで、もらえると、思ってるんだけど・・・違う? おかあさん」
 話を振られ、ずっと沈黙を守っていた倫子も微笑む。
「総一郎さんが私の意見も話していいと言ってくれるなら、話すわ」
「・・・構わない。話してくれ、倫子」
「なら。・・・あきのちゃん、私は、大麻くんとの結婚はむしろ、賛成よ。それに、別に今すぐ結婚したい、とかいう訳じゃないんでしょう? あなたたちはこれから仕事に就いて、まずはそれに慣れていかなくちゃいけないんだし」
「あー、それは・・・確かに、そうなんですが・・・出来れば、早い方が・・・」
 智史が苦笑しながら語尾を濁す。
「あら、そうなの? まあ、5年半もおつき合いしてきてるんだから、当然なのかしらねえ。それとも、急がなきゃいけない理由でもあるの?」
「何だと?」
 倫子の言葉に過剰反応したのは総一郎だ。
「どういうことだ。まさかあきの、嫁入り前だというのに、妊娠、したとでも・・・」
「それはないわ」
「それはありえません」
 総一郎の言葉に、あきのと智史は同時にきっぱりと否定した。
「だいたい、お父さんが言ったんでしょう? 嫁入り前に、智史とそんな関係になったりしたら別れさせるって。智史はずっと、それを守ってくれてるのよ? それなのに、もしも私が妊娠なんてことになったら、それは彼以外の人の子供ってことになっちゃうじゃない。私は嫌よ、そんなの。 智史以外の人とだなんて、絶対に」
 あきのは憤慨したかのように総一郎を睨みつける。
「なら、何をそんなに急ぐ必要がある。倫子が言うように、仕事に就いて数年してからでも遅くないだろう」
「そんなに待てないわ」
「待てるなら、今、こんな話はしません」
 また、ほぼ同時に否定したあきのと智史に、総一郎は溜息をつく。
「全く・・・何をそんなに焦っているんだ、2人とも。結婚というのは、責任が伴うことなんだぞ。互いの想いだけでは、成り立たんものだ。しかも、お前たちはまだ社会人としての歩みも始めていない。なぜ、そんなに結婚に拘るんだ」
「責任を、持ちたいからです」
「何だと?」
 智史の真摯な眼差しに、総一郎はそれを正面から受け止めた。
「正直に言ってしまうと、俺はあきのさんと一緒にいられるなら、結婚しなくても、同棲でもいいんです」
「何を馬鹿なことを! 同棲など、絶対に許さん!」
「おじさんがそうおっしゃることも判ってます。だから、結婚の許可をお願いしてるんです。同棲なんて中途半端じゃなくて、俺は、彼女との生活に責任を持ちたい。嫌になったら別れればいいなんて、いい加減なことはしたくない。ずっと未来まで、一緒に歩いていく努力をしたい。あきのさんとなら、 それが出来ると思います。ですから、どうか、結婚を許してください。お願いします」
 智史は頭を下げた。
 今まで、自分たちはあまり大きな喧嘩をしたことはない。しかし、一緒に生活していけば、喧嘩をすることも出て来るだろう。
 でも、喧嘩をしても、ちゃんと仲直りをすればいいのだ。そして、お互いを理解していければいい。
 歩み寄る努力をしなければ、全く異なる環境で育ってきた2人が問題なく生活することなど、出来はしない。
 あきのとなら、その努力が出来ると、智史は考えていた。
  


 








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