心から願うもの.4








 椋平家の門の前に着くと、丁度総一郎を降ろした車が走り去ったところだった。
「お父さん、お帰りなさい」
「あきの」
「こんばんは。あきのさんを送ってきました」
 会釈をした智史をじろりと睨み、総一郎は門扉を開けた。
「こんな時間まで遊び歩いていたのかね」
「こんな時間って・・・まだ、8時半過ぎよ、お父さん。それに、今日はお互いの合格祝いの食事に行ってたの。勿論、おかあさんに許可はもらってるわ」
「合格祝い? ・・・そうか、君も国家試験に合格出来たか」
「・・はい。ようやく、社会人です」
「まだまだこれからだが、頑張りなさい」
「はい、ありがとうございます。・・・あの、おじさん、少し、お時間いただけないですか」
 忙しい総一郎とこうして顔を合わせられたのも何かの縁。
 そんな気がして、智史はあきのとのことを話してしまおうと考えた。
「・・・何だね、一体」
「時間的に非常識なのは判ってるんですが、おじさんにはなかなかお会い出来ないんで・・・お願いします」
 そう言って、再度頭を下げた智史を一瞥して、総一郎は歩き出す。
「中へ入りなさい」
「ありがとうございます」
 少しだけ心配そうに見上げてきたあきのに軽く頷いて、智史は総一郎に続いて門の中に入った。
 玄関に入ると、倫子と悠一郎に迎えられる。
「総一郎さん、あきのちゃん、お帰りなさい。大麻くん、合格おめでとう」
「さとにーちゃん!」
 悠一郎が嬉しそうに飛びついてくるのを、一度抱きあげてから、智史はゆっくりと倫子に頭を下げる。
「ありがとうございます、倫子さん。こんな時間にお邪魔することになって、すみません」
「あきのちゃんを送ってきてくれたんでしょう? 気にしないで」
 倫子は智史の腕から悠一郎を抱き取ると、ゆっくりと下す。
 智史はあきのに続いてリビングへと足を運んだ。
 スーツから少しラフな格好に着替えてきた総一郎がソファに座るのを見届けてから、その正面に腰を下ろす。
 あきのも、少し緊張しながらその隣に座った。
「・・・それで? 私に何の用かね」
 倫子が紅茶を入れて運んできてくれるのと同時に、総一郎は智史を凝視しながら問いかける。
 智史も、ゆっくりと膝の上の拳に力を入れて、口を開いた。
「おじさんと、倫子さんに、お願いがあります」
「何だね、一体」
「あきのさんとの、結婚の許可を下さい」
「何、だと?」
 総一郎の視線が鋭くなる。
 少しでも気を抜けば射殺されそうな程のその視線を、智史は真っすぐに受け止める。握った拳には、じっとりと汗をかいていたが。
 異様なくらいに張りつめた空気の中、あきのと倫子は沈黙していることしか出来ないでいた。
「・・・まだ社会人にもなっていない君が、結婚? ふざけているのかね」
 盛大に眉を顰めた総一郎は、不快そうに言葉を紡ぐ。
「・・・いえ、ふざけてなどいません。俺は、真剣です」
 真摯な様子で応える智史に、総一郎はますます眉根を寄せていく。
「まだ碌な稼ぎもないのに、どうやってあきのを養うというんだね、君は」
「それは・・・暫くは、共稼ぎということに、なるかと思います」
 痛いところを突かれて、智史はやや、言葉に詰まる。
「あきのに仕事をさせて、家事もさせるつもりなのか」
「いえ、家事は俺も手伝います。実際、彼女より、俺の方が時間的には規則正しい筈なんで」
 看護師のあきのはおそらく、夜勤なども入ってくるだろうし、休日もまちまちになるだろう。智史は理学療法士ということで、週5日の日勤、基本は日祝が休みという勤務条件での雇用となっている。
 定期的なゴミ出しなどの家事は、智史が主となって担うつもりでいるし、食事の支度や洗濯なども、積極的に手伝うつもりでいる。
 共働きである以上、家事は女の仕事、などというつもりはない。
「・・・住む場所はどうするつもりだ」
「2人の稼ぎの範囲内で、借りられるアパートを探そうと思っています。出来れば、通勤に便利な場所で」
「・・・アパートを借りる? まさか、セキュリティも碌に整備されていないような安物の物件にあきのを住まわせると?」
「・・・それは、なるべく、きちんとした所を探します」
「結婚式はどうするんだ。それに、そもそも、あきのは承知しているのかね? 君との結婚などという戯言を」
「お父さん!」
 あきのが厳しい声で割り込んだ。
「戯言って何? そんな失礼な言い方しないで! 私は智史と結婚するわ。お父さんに反対されたって」
「あきの!」
 娘の反撃に、総一郎も彼女を睨む。
「私は成人してるんだし、お父さんが反対したって彼と結婚出来るのよ? これからとはいえ、仕事にだって就く。むやみに反対される謂れはない筈よ」
「結婚というものはそんなに甘いものではないぞ、あきの。お前たちは現実が解っていない。一時の熱に浮かされているだけだ」
「そんなことは・・・!」
「・・・甘くないことは承知しているつもりです」
 あきのの言葉に、智史のそれが重なる。
 冷静な声に、あきのと総一郎は智史へと視線を移す。
「おじさんが反対されるのも当然だと思います。気持ちだけで生活していけるなんて、俺も思っていません。お互いに、つき合いは長いとはいえ、生活となると、『こんな筈ではなかった』とかいうことも出て来ると思います。けど、俺は、あきのさん以外の女性と結婚したいとは思わないし、彼女となら、問題が起こっても乗り越えていけるんじゃないかと思っています。そして、おじさんに認めてもらえなければ、 結婚することは出来ないとも、思っています」
「智史! そんなこと・・・」
 瞠目するあきのに、智史は苦笑してみせる。
「そうでなきゃ、亡くなったお母さんに申し訳ないだろ? お前の幸せを、今でもきっと願って見守ってくれてるだろうから」
「智史・・・」
 産みの母・美月のことを言われて、あきのは瞳を潤ませる。
 総一郎にとっても、美月の話が智史の口から出てくることは意外だった。
「亡くなった美月の想いも、考えている、ということかね」
「はい。あきのさんには母親が2人、父親が1人いる。俺の中ではそう認識してます」
 智史の迷いのない返答に、総一郎は僅かに表情を緩めた。
「私・・・美月お母さんはきっと、智史との結婚を喜んでくれると思う」
 あきのが口元に笑みを浮かべながら、総一郎を見つめて言った。
「何故、そう思う」
「・・・私の幸せを願ってくれているなら、喜んでくれない筈はないもの。それに・・・」
 あきのはちらりと智史を見て、それから再度総一郎へと視線を戻す。
「お父さん、彼のお母様は知香さんと言うの。大麻 知香さん。・・・この名前に、覚えはない?」
「・・・何?」
 総一郎は記憶の中を辿り、該当する名前が存在するかどうかを確認する。
 あきのの言い方だと、自分ではなく美月に関するもののようだと思い、亡き妻を思い浮かべる。
 そこで、ハッとした。
「・・・もしかして、君のお母さんは、美月の・・・」
「・・・大学が同じだったと、母から聞いてます」
 智史の言葉に、総一郎は瞠目した。
 

 









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