good fortune 4
とうに帰宅した筈の智史が何故ここにいるのか。 あきのははだけられた胸元をかきあわせるだけで、半ば茫然とその姿を見つめることしか出来ないでいる。 智史は至近距離で浩市を睨みつけたまま言い放つ。 「学校の中で女を無理矢理犯そうなんて、マトモな神経の持ち主とは思えねぇな、あんた・・・あいつに何の恨みがあんだよ」 「お、お前こそ・・・こんなことをして、ただで済むと・・・」 反論しようとした浩市を、智史は唇の端だけを引き上げた笑みで見返す。
「ほぉ・・・あんた、今の状況を誰かに見られても平気なんか。あんた、確か優等生じゃなかったっけ? 婦女暴行なんてバレたらヤバイんじゃねーの?」 「な、何を証拠に・・・」 浩市の引き攣った表情を、智史は更に凄みを増した瞳で睨み据えた。 「あきののあの格好はどう見てもあんたの仕業だろ? ここにはあんたとあいつしかいないんだし。それに、俺はここであんたを殴っても停学になりゃ、それで済む。けど、あんたは有名私大の推薦、控えてんじゃねえのか? そんな奴が婦女暴行未遂とは
いい度胸じゃん。何なら、生徒指導の藤川、呼んでこようか?」 浩市はぴくり、と眉を引き上げる。教師に知られるなど、もってのほかだ。 智史が言う通り、浩市は有名大学の推薦入試を受ける予定で準備を進めいてる。そんな時期に妙な揉め事はゴメンだ。 しかし、このまま智史の言う事を大人しく聞くのも癪に障る。 浩市はもう一度智史を睨みつけた。 「・・・しかし、随分強気だな。修学旅行で彼女とヤッたとかって聞いたけど」 「・・・そんなくだらねぇ噂が流れてんのか」
智史はあまりの馬鹿馬鹿しさに溜息をつく。 「それが本当(マジ)なら、俺はとっくに処分されてる。そうじゃねぇか? あんた、頭いいんなら、その位判るだろ」 言われてみれば智史の言うことは尤もだ。 「・・・先生たちが知らないだけじゃ」 「知ってるぜ? うちの担任も、学年主任も。俺と、体調崩したあきのが一緒にホテルの部屋で午後の時間過ごしたことは。あきのはずっと眠ってたし、俺はただ、隣にいて見てただけだ。触る暇なんてなかったぜ?」
この智史の言葉に、浩市はあきのへと視線を移す。すると、あきのはこくん、と頷いた。 噂はやはり、ただの噂に過ぎなかったということらしい。 「・・・どう、しろと?」 諦めたように力を抜いた浩市に、智史はゆっくりとその襟元を掴んでいた手を解いて解放した。 「2度とあきのにこんな真似をしないことだ。もしも又、なんてのを見つけたら、今度は叩きのめすから、覚悟しといたほうがいいぜ?」 「・・・OK。そういうことにしよう」 浩市は軽く両手を身体の横に上げて、
降参だ、というような素振りをしてみせた。 「こんな形じゃなく、もしも僕と、って思えたらいつでも声をかけて。あきの、君なら大歓迎だ」 「何!?」 智史の厳しいひと睨みに、浩市はニッコリと笑って「戸締りよろしく」と言いながら鍵を適当な机の上に置き、美術室から出て行った。 「・・・・・どういう神経してんだ、あいつは」 智史は呟くと、ゆっくりとあきのに近づく。 「・・・大丈夫か? あきの」 「どう・・・して・・・」 まだ茫然としているあきのに、智史は僅かに視
線を泳がせた。あきののブラウスのボタンはまだ直されていないため、微妙に首筋あたりが艶かしく見えてしまうからだ。 「答える前に、まず、制服直せ、あきの」 「あ・・・」 あきのはやっと、浩市にボタンを外されていたことを思い出し、赤面しながらそれを直した。外して床に落とされていたリボンタイもきちんと結びなおす。 気配でそれが終わったことを感じた智史は、視線を戻して真っすぐにあきのを見つめる。 「・・・今日ばかりは今岡に感謝しねーとな」 「え? 今岡先生?」
「ああ。・・・帰ろうとしたら、今岡に捕まって、いつもの説教と、ついでに明日の授業で使うプリントの印刷と仕分け手伝わされてな・・・終わって、職員室の今岡の机の上に置いて、今度こそ帰ろうと思ったら、倉元と一緒にいた輝樹が俺に声をかけてきたんだよ。今、お前が野上とかっていう先輩と2人だけでここにいるってな。輝樹の話じゃ、野上っていう奴はなんとなく危ない感じがするから、お前を見に行ってやってくれって、頼まれたんだ。それで来てみたら・・・って奴だ。今岡と輝樹に、礼言わねーと」
「石原くんが・・・そんなことを・・・」 石原とはクラスが違うので、あきのには部活以外での接点は全くない。それなのに、浩市と2人だけになった自分を心配してくれたなんて。思わぬ人の心遣いに、あきのは涙が出てきそうになった。 「・・・智史は、石原くんと、知り合い、なの?」 「輝樹とは中学が同じだったからな。3年で同じクラスになって、時々一緒に遊んだりもしたし。高校入ってからはあんまり喋らなくなったが、まあ、ダチには違いねーし」 「そう・・・だったんだ・・・だから、石原
くん、智史に・・・」 「・・・ああ。なあ、あきの。あの野上って奴・・・もしかしたら、お前の涙の原因? 夏の、海辺の」 智史の問いに、あきのはびくっ、と肩を震わせる。 「・・・やっぱりそうか」 智史は再び溜息をついた。 最後に浩市が言った言葉・・・『もしも僕と、って思えたらいつでも声をかけて。あきの、君なら大歓迎だ』という言葉から、そうではないかと思っていた。 あきのを抱こうとして拒まれ、別れを告げたという男。明らかにあきのに好意を抱いているというよりはその
身体に興味があるだけ、という感じだった。 そういう対象としてしか見てもらえない、というのは、あきのに少なからぬ劣等感を抱かせている。そしてそれが、実際の男女間の行為への嫌悪として現れているのだろう。 智史とて男だ。女としてのあきのに興味がない、と言ったら嘘になる。けれど、大切なのは互いの気持ちだ。行為ではない。 まずお互いを思い合う気持ちがあってこそ、行為に意味がある。智史はそう思っている。 だから、浩市のように、快楽のためだけの、欲望を満たす
ためだけの行為を歓迎する考え方は理解できなかった。 「・・・・・まさか、先輩がこんな風に係わってくるなんて・・・思って、なかったのに・・・」 あきのは唇を噛みしめた。そうしなければ、泣いてしまいそうだったから。 「あいつに、何された」 智史の問いは、あきのを怯えさせる。 浩市が放ったひと言が、あきのの脳裏に甦った。『自分がどれだけ男の性欲をそそるのか、自覚ないだろ』 「・・・おい、あきの」 智史は眉根を寄せる。 あきのは黙ったままだ。しかし、唇があ
まりにも強く噛みしめられていたため、徐々に血が滲み出す。 「あきの!」 智史は咄嗟にあきのの両肩をぐいっと掴む。 びくっ、と怯えたように肩を震わせて、あきのは智史を見上げた。 「智史・・・」 「・・・何やってんだ、お前は・・・!」 智史は慌てたようにポケットからハンカチを取り出して、あきのの唇に当てた。 「こんなに強く噛んじまって・・・腫れるぞ、これは」 いわれて初めて、あきのは唇の鈍い疼痛に気づく。傷になるまで噛んでいたとは思わなかった。 「あ
・・・」 智史はハンカチを抑える手に、あきの自身の手が伸びてきたことに安堵して、抑える手を交代させ、微かに息をついた。 「・・・やっぱり、あいつ、殴っときゃ良かったな」 「・・・え?」 「お前がこんなことになったってことは、あいつはそれだけお前を傷つけたってことだろ」 智史の瞳は静かで、あきのをただ、真っすぐに見つめている。労わるように、包むように。 それは、あきのの堪えていたものを崩してしまうには充分な威力を持っていた。 「・・・・うっ、ふぅ・・・」
ぽろっ、と零れ落ちたひと雫を合図に、あきのは肩を震わせて涙し始めた。 「あきの・・・」 智史はそっと手を伸ばして、あきのの肩を抱えてやる。 あきのは素直に泣き崩れた。 「智、史・・・私・・・私・・・っ・・・」 「・・・いい。とりあえず、気が済むまで泣けよ。話すのは落ち着いてからでいい」 やさしい智史の言葉に、あきのはそのまま泣き続けた。
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