good fortune 5






 浩市の口から出た言葉があきのにもたらした傷は思いのほか大きかった。
 あきのは泣きながら、何度も何度もその言葉を思い出す。その度に、涙は溢れ出す。
 このままでは涙は止まらないかもしれない。そんな不安を抱いてしまう程の衝撃だったのだ。
 何とか落ち着きを取り戻さないと、智史にも迷惑をかけてしまう。ただでさえ、こうして泣いて取り乱しているというのに。
 それでも、涙は止まることを知らぬげに溢れ出てくる。
「・・・・・ごめん・・・なさい・・・」
 もう、涙を無理に抑えようと努力することは諦めよう。あきのはそう思い、涙声で智史に話しかける。
「・・・いい。無理すんな」
 労わり、諭すように言ってくれる智史のやさしさだけは信じたい。自らの価値が、身体にしかないという風な言い方をした浩市の言葉を、智史なら否定してくれるだろう。いや、否定して欲しい。あきのはそう思った。
「あの、ね・・・先輩は、私に・・・『そのカラダそのものが男を煽ってる』って・・・じ、『自 分がどれだけ・・・男の性欲をそそるのか、自覚ないだろ』って・・・そう、言われて・・・っ・・・」
 切れ切れに、あきのは浩市に言われた言葉を、智史に伝えた。
 お願いだから、否定して。そう、心で叫びながら。
「あいつ・・・そんなことを・・・」
 智史は空を睨むようにして目つきを険しくした。
「さ、智史は・・・智史も、そう、思う? 私は・・・私って・・・そ、そんなに・・・」
 泣きはらして、真っ赤になった潤んだ瞳で、あきのは縋るように智史を見上げてくる。
 ここで嘘をつけば、あきのは安堵するのかもしれない。智史は暫しの間、逡巡する。
 けれど、事実をそのまま受け止めることは、あきのにとっては必要なことの筈だ。一時しのぎの慰めを与えても、あきのはまた同じことで傷つくことがあるかもしれない。
 だからこそ、智史は敢えて事実を告げようと決め、口を開く。
「・・・お前の外見が、男を惹き付けるのは、事実だよな」
「智、史・・・」
 あきのが目を見開く。
 けれど、智史はじっとあきのの瞳を捉え たままで言葉を繋いだ。
「けど、間違えんじゃねえぞ? お前の価値は、外見だけにあるんじゃねえから。以前(まえ)にも言ったが、俺はお前の外見だけに惚れた訳じゃねえからな。そして、お前の外見しか見ねぇ奴も確かに存在するが、お前の中身をきちんと見てる男もいる。俊也とか、伸治とか、原っちとか田坂とか・・・輝樹もな。だから、変に気にするな。外見だって、お前の一部なんだから」
「智史・・・」
 あきのはまじまじと智史の瞳を見 つめる。
 やはり、違う。
 智史は特別な男性(ひと)だ。あきのの身体にしか価値がない、という風な言われ方をただ否定するだけじゃなく、事実は事実として受け止め、それだけにひどくコンプレックスを抱かないでいいように、引き上げようとし、励ましまでしてくれた。
 すぐ目の前の、狭い出来事しか考えられない自分とは違う。
 どんなに否定したって、この身体はあきののもの。胸が大きいことや、そこそこに整ったスタイルなのは 間違いなくあきの自身のことなのだ。それは、どう足掻こうとしたって事実だから。
 そのことに劣等感を持つのではなく、自身のこととして受け入れ、自信を持て、と智史は言いたいのだろう。そして、あきのの魅力は身体だけではないのだと。確かに、身体以外にも価値があるのだと言ってくれた。
 ずっと抱えてきたコンプレックスはそう簡単には消えそうもないが、それでも、享受していけるように努力しよう。あきのはそう思えた。
 そんな風に考えられるのは智史 のお陰。
 目の前にいて、真摯な瞳で自分を見つめ、時には厳しいやさしさで助けてくれる、誰よりも大好きな男性(ひと)
「ね・・・智史、は? 私の身体って・・・その・・・せ、性の、対象に、な、る?」
 赤くなりながらあきのが問うと、智史はぐっ、と息を詰まらせた。
「な、何てこと聞くんだよ、お前は・・・! そ、そんなもん・・・ならねー方がおかしいだろ? お前、俺の彼女なんだぜ? 俺にとって、お前は『女』なんだから」
 目の ふちを赤くして、智史は半ば怒ったように答える。
「あ・・・そ、そう、だね・・・」
 あきのもようやく、自分が相当的外れな質問をしていたことに気づいた。
 そうだ。自分と智史は彼氏と彼女という間柄。それなのに、彼が女の自分に全く興味がない、ということの方が不自然なのだ。
「ただ、あきの。これも間違えんなよ? 確かに、俺も男だから、女としてのお前に惹かれるし、興味もある。けどな、お前の意思を無視して、どうこうってのはあり得ねーから。これも 以前(まえ)に言った通り、そういうコトってのは、お互いの気持ちがかみ合って初めて成立するもんだ。俺はその考えを変えるつもりはねえし、それでいいと思ってっから。だから、気にすんな。いいな?」
「・・・うん」
 あきのはようやく、涙を収めることが出来た。
 智史の隣は本当に居心地がいい。あきのは気がつけば彼に護られている自分を感じていた。
 浩市が言ったように、男を惹きつけてしまうような容姿をしているのに、そうい う行為に嫌悪を感じている自分。それにも係わらず、やさしく温かく包んでくれる大きな懐を持った智史。
 彼と出会えた幸運を、改めて強く感じるあきのだった。





「ええ? 昨日、そんなことがあったの?」
 翌日の昼休み。
 教室でいつものように一緒にお弁当を食べていた実香子と理恵に、あきのは浩市との一件を打ち明けていた。
「や、やだ、実香子・・・そんな大声で言わないで」
 あきのが真っ赤になって周囲を見回す。確かに、怪 訝な表情(かお)になっているクラスメートが多い。
「実香子、ちょっとは落ち着きなよ・・・それで、あきの? 野上さんへの未練とかは?」
「全然。・・・もうね、失望、したから、先輩には。ただ・・・先輩には、1つだけ感謝してるの」
「あきの?」
 理恵と実香子の視線が集まった。
 あきのははにかんだ笑みを浮かべ、俊也たちと一緒にいる智史の背中をちらりと見つめる。
「先輩とのことがあったから、智史に出会えたんだって、 思うから。だから、それだけは、感謝かなって」
 そう。浩市にふられて、泣いていたところを智史に見られて、彼はあきのを慰めてくれた。
 多分、それがあきのと智史の始まりだから。
 そうでなければ、きっと今でも自分たちはただのクラスメートだった筈。
 他の人たちからみれば、きっと何でもない、些細な出来事にしか過ぎないだろう。けれど。
 あきのにとっては、何物にも勝る幸運だったのだ。
「ショックだったし・・・思い出したら気持ち悪くて、 しかも自分が情けなくて嫌いになりそうになるけど・・・でも、それでも智史は、私を受け止めてくれたから。だから、私もいつまでも拘らないでおこうって決めたの。強い、私になれるように」
 あきのの表情(かお)は僅かにテレが窺えるものの、スッキリしている。
 実香子と理恵は安堵して、ニッコリ笑った。
「仲いいね、あきのと大麻」
「ほーんと。私、また大麻見る目が変わりそうだよー」
 理恵と実香子にからかわれ、あきのはぽっ と頬を染める。
 スタイルは完全に大人の女性のものなのに、中身はまだまだ幼い少女のようなあきのに、理恵と実香子は微笑んだ。




 その後、修学旅行中の智史とあきのに関する噂は、自然に消滅していった。
 智史とあきのが、堂々としていたから、デマだと判ったのだろう。
 そんな中、あきのの17歳の誕生日が近づいてきていた。




END



     
 
   
 



TOP       BACK