あの夏が聴こえる.19







 翌朝。
 修学旅行の最終日の朝を、あきのはすっきりとした気分で迎えることが出来た。
 昨日の朝とは雲泥の差だ。そし てそれが智史のやさしさと、友人たちの心遣いに因るものだということが、彼女にはよく解っていた。
 パジャマ代わりのジャージ姿 のまま顔を洗っていると、同室の実香子と理恵も起き出してくる。
「・・・あ、おはよう、実香子、理恵」
「おはよー、あきの・・・」
 実香子がまだ眠そうに目をこすっている。理恵の方はある程度きちんと目覚めているようだ。
「今朝は大丈夫そうだね、あきの」
「うん。心配かけてごめんね、理恵。実香子も」
「・・・私らは別にいいんだけどね。昨夜、結構色々あってさ」
「・・・色々って、 もしかして、私が倒れて大麻くんが看護してくれたことで?」
「うん、そう」
 そして理恵はあきのに、昨夜のクラスメートたち の反応と智史の対応をざっと話してくれた。下世話な噂をしていた面々に、智史は解散間際になってこう宣言したのだという。『こんなく だらねえコトで椋平を泣かせる奴は男でも女でも容赦しねぇ。本気で俺に喧嘩売る覚悟があるなら、やってみりゃーいいけどな』と。そして、 例の、背筋が凍りそうな程鋭い瞳でその面々を睨みつけたのだそうだ。
 彼らはその瞳に怯えて、何の言葉も出せなかったらしい。
「・・・・・そんなことが・・・」
「単なるからかい目的の奴らなら、あれでそのまま引くだろうと思うけど。もしかしたら、あきのに も何か言ってくるかもしれないから、それだけ、覚悟しといた方がいいと思う」
 理恵の言葉に、あきのは頷いた。
「からかわれ るのは、覚悟してるよ。昨日、既に大麻くんに言われてるから。だけど、私、とことん彼に迷惑かけてるなぁ・・・」
「・・・いいんじゃな い?あいつは自分の彼女が大切で、護りたいだけみたいだから」
「うん、そんな感じだったよ、大麻は」
 理恵と実香子にしたり 顔で見つめられて、あきのは2人が自分と智史とのことを知っているのだと判った。
「あ・・・えっと、ごめんね?内緒にするつもりは なかったんだけど、昨日、私あんなだったから、話すタイミングが・・・」
「解ってるって。あきのがこーんな大切なこと、親友の私た ちに隠しておく筈ないってことくらい」
 実香子の言葉に、理恵も頷く。
「でも、良かったんじゃない?好きな人に気持ちが通じ たんだから」
「理恵、実香子・・・」
 2人の笑顔が、あきのには何より嬉しかった。智史と想いが通じ合ったことを喜んでくれる親 友がいること。それは最上の力になる。
「・・・ありがとう、2人とも。私、つまらないことに負けたりしないから。だって、私も彼も、 やましいことなんて1つもないもの。だから、大丈夫」
 堂々としたあきのの笑顔に、理恵と実香子はほっとして胸を撫で下ろした。
「じゃ、朝ごはん食べに行きますか」
「そうしよー。理恵、あきの、行こ行こ」
 実香子が部屋を出ていこうとするのを、あき のはぐっと引き止めた。
「待って、実香子。着替えが先、でしょ」
「あ、忘れてたー」
 3人は揃って大笑いしたのだった。




 朝食を取る宴会場で、あきのたちは智史と俊也、伸治に出会った。
「・・あ、大麻くん、おはよう。昨日は、ありがとう」
 あ きのは堂々と智史に声をかけた。
「ああ。今日は、大丈夫か?」
「うん、しっかり眠ったから。清水くんと山根くんも、迷惑かけて ごめんなさい」
「いや、気にしなくていいよ、椋平さん」
「そうそう。俺や俊也は全然平気だから」
「ありがとう、清水くん、 山根くん」
「・・・しっかり朝飯食えよ?あきの」
 智史がごく自然にそう言って微笑う。あきのも笑顔になってそれに応えた。
「うん、頑張るね」
 あきのの返事を聞くと、智史は自分の座るべき席へと移動していく。俊也と伸治も「また後で」という言葉と共に 智史の後を追った。
「ふぅーん・・・大麻は『あきの』って呼ぶんだ・・・」
 実香子が愉しそうな表情であきのに言った。
「実香子・・・」
 多少の冷やかしが混ざった口調に、あきのが僅かに頬を染めて苦笑する。
「あきのは?何て呼んでるの?・・・さっきは『大麻くん』っ て呼んでたけどさ」
「えっと、さっきは、ほら、清水くんたちが一緒だったから」
「2人だけの時は?」
「・・・『智史』って、呼 ぶ、けど」
「わぉ・・・!!あの大麻を名前で呼べる女子はあきのだけだねー。他の女が名前でなんか呼んだりしたら、大麻、絶対怒るだろう し」
「実香子・・・そんなこと、言わなくても判るでしょ?大麻くんにとって、あきのだけが特別だってことぐらい」
 大袈裟に驚いて みせた実香子を、理恵はすぱっと切り捨てる。
「もぉ〜、理恵〜!!冷たいなぁー」
「バカなこと言ってないで、ホラ、席につくよ? 朝ごはん、食べ損ねちゃうよ」
「・・・それは困る」
 慌てて席に向かう実香子に、理恵とあきのは苦笑しながら軽く肩を竦め、彼 女に倣った。
 食事の間、あきのはちらり、ちらりと自分を伺う視線があることに気づいたが、気にしないようにした。おそらく、理恵た ちが警告してくれた類のものだという予測がついたから。
 昨夜のうちに智史が釘をさしておいてくれているようだが、何か言ってきたら その時はその時だ。昨日、智史はただ、眠るあきのに付き添って、不安定な精神状態の自分の手を握っていてくれただけ、なのだから。
  食事を終えると、出発の準備のため、それぞれが部屋に戻る。今日は午前中に法隆寺を見学し、そのままバスで京都に戻って新幹線で東京へ と帰る予定になっている。
 出発前に、今岡先生と永井先生とに体の具合と昨日の智史とのことを聞かれたが、あきのはやましいものは 何もないと、堂々と答えた。
「・・・まぁ、君と大麻の瞳を見れば間違いはなかったのは判る。ただ、余計な詮索をしてくる生徒もいるよう だから、気をつけなさい」
 永井先生の言葉に、あきのは素直に頷き、頭を下げた。
「余計な心配をおかけして、申し訳ありませんで した」
「椋平、無理はするなよ。もしも気分が悪くなったりしたら、昨日みたいに倒れるまで我慢しないで、早めに先生に言ってくれ」
「はい、今岡先生」
 あきのは笑顔で答えて、クラスの列に戻った。
 バスに乗り込む前に俊也と共にクラスの人数を確認する。普段通 りのあきのの姿に、多くの者が智史との間に特にやましいものはなかったのだろうと納得した。ただ、智史の発言により、2人が付き合っている のか、はたまた智史の片思いなのかという憶測は飛び交っていたが。
 それでも、ほんの一握りの面々は疑いの眼であきのたちを見ていて、 機会があれば問いただそうと狙っていた。




 法隆寺に着くと、クラス毎に並んで見学に入ることになった。有名な五重の塔や夢殿などを順に見学していく。
 そうやって歩いていく と、いつの間にか列が乱れ出していって、クラス毎ではあっても整列して、というのには程遠い状態になる。
 そんな中、あきのはトントンと 背中をつつかれ振り向いた。3人ほどのクラスメートがニヤニヤしている。
「・・・何?」
「昨日、上手くやったわね」
「・・・何を?」
 あきのがとぼけると、彼女たちはふふん、と鼻で笑った。
「大麻みたいな怖いのが好きとは、椋平さんの趣味も変わってると思うけど、まぁ、 黙ってれば結構イケてるしね」
 明らかにあきのと智史の間に何らかのことがあったという前提で話をする彼女たちに、あきのは不快感を抱く が、コトを荒立ててまた智史に迷惑をかける訳にはいかないのでなるべく素っ気なく事実を伝える。
「どうしてそういう勘繰りするの?私はずっ と休んでたし、大麻くんはただついててくれただけなのに」
「まぁたまたー。大麻、椋平さんのこと好きだって宣言したんだしさァ、ホテルで2 人っきりで何もない訳ないじゃん?」
「・・・2人きりでも、そうはならないよ。第一、大麻くんはそんな人の弱みに付け込むようなことはしないも の。それに私、男の人とそういうの、苦手だし。・・・ううん、むしろ嫌いって言ってもいいかも」
「・・・何それ。アンタ、おかしいんじゃないの?」
 そう言われてあきのはむっとしたが男女の深い関係に嫌悪感を持っていることは事実だし、それを異常だと言われればそうかもしれない。
  自分が言われるのは我慢が出来るが、智史の厚意まで踏みにじるような発言に対しては断固として反論するつもりだった。
「それじゃ、椋平さん は大麻のことなんて好きじゃないんだ?」
「・・・それは・・・」
 あきのは言いよどむ。智史のことは好きだ。でも、例え彼とであっても深い仲 には抵抗があって、それは彼も重々承知してくれている。
 でも、そんなことをいちいち説明したくはないし、たいして仲がいい訳でもないクラ スメートにあれこれ干渉されるのも嬉しくない。
「大麻の片思い説が立証されたことになるのかなー?」
 意地悪そうな好奇心丸出しの瞳で 見つめられて、あきのは俯いて唇を噛んだ。
「・・・俺が何だって?」
 突然に抑えた声音が聞こえて、あきのがはっと顔を上げると、智史が 腕組みをして彼女たちを睨んでいた。




 


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