あの夏が聴こえる.17







「どう・・して・・・」
「・・・その位しか思いつかねーから。・・・けど」
 智史はそこで重い溜息をついた。
「俺が考えてるよりずっと、 お前の傷は深いってことだよな」
 そう言って、智史はあきのを静かに見つめた。
 あきのはぎゅっと布団の端を掴んで唇を震わ せる。涙も滲んできた。
「・・・どうして・・・こんな、繰り返し夢に出てくるのかな・・・忘れたいのに・・・思い出したくも、ないのに・・・眠る のが、怖い・・・あんな夢を見るくらいなら、眠らない方がマシだよ・・・」
 涙まじりの声で告白するあきのを見て、智史も辛くなった。
「・・・まだ、お前の中でちゃんと消化出来てないってことじゃねえか?繰り返し、夢に見ちまうってことは・・・けど、眠らねーと、身体の 方もまいっちまうぞ、あきの」
「でも・・・イヤ。あんな・・・あんな思いを繰り返すのはイヤ・・・」
 声を出さないように唇を噛んで、 ぽろぽろと涙を零しながら、あきのは首を振る。
 そんな彼女に何もしてやれない自分が情けないが、智史には己を責めることしか出 来なかった。
「・・・どうしようもねぇな、俺は。何の、役にも立たねぇし。また、お前泣かせて・・・その上、お前をもっと窮地に追い込ん じまってるし」
「・・・・・え?窮地って・・・何?」
「・・・多分、今頃クラスの連中が面白おかしく噂してるだろう。俺と、お前のこと」
「・・・・・?」
 訳が判らない、といった表情のあきのに説明をしようとした時、部屋のチャイムが鳴った。
 それは、往診を頼 んでおいた医師の到着を知らせるもので。智史は医師を招きいれ、あきのが診察されている間、ユニットバスの扉を開けたままの状態にして そこに入っていた。
 あきのを診た医師の話では、少し貧血が見られるがそう心配することはないだろうとのことで、鉄剤と、睡眠導入剤 を処方して置いていってくれた。
「・・・やっぱ、寝不足が原因ってことだな」
 智史は1錠だけ置いておかれた睡眠導入剤をあきのに 示して「飲むか?」と問うた。彼女は小さく首を振る。
「夢、見たくないから、いい」
「・・・ずっと眠らないでいるのは不可能だぞ? それに、明日は家に帰らなきゃならねーんだ。こんな状態のまんま、長時間移動なんて相当辛いぜ?」
 智史が心配してくれているのはよ く解る。本当はあきのだってゆっくりと眠りたい。けれど、夢を繰り返し見る可能性の方が怖かった。身体はもとより、精神(ココロ)まで壊れて しまいそうで。
「解ってる・・・だけど、どうやったら夢を見ないでゆっくり眠れるの?それが判んないのに、ゆっくりなんて、眠れないよ」
「・・・・・」
 智史には返す言葉がなかった。
 一番良いのは、あきのが夢に見ている昨日の出来事を消してやることなのだろうが、 そんなことは不可能だ。後は、彼女自身があの出来事を自身の中できちんと消化させ、落ち着かせることが出来るなら、おそらくこう何度もう なされるということはなくなる筈だが、どうすればそう持っていけるのか。智史には皆目見当もつかない。
 智史は大きな溜息をついた。
「・・・なあ、あきの。・・・俺に、出来ること、いや、俺に、してほしいことってあるか?」
「・・・智史?」
 あきのは軽く目を瞠って 智史の顔を見つめる。その表情はどこか苦しそうだった。
「あったら、言ってくれよ。・・・俺、全然役に立てねーもんな。お前が辛い思いし てんのに、何も出来ねーなんて、情けねえ・・・」
「智史・・・そんな・・・」
 あきのはようやく、今の自分が智史を苦しめているのだと気づ いた。自分がこんな風に倒れて、うなされていればやさしい智史が心配してくれるのはある意味当然で。その彼に自分の辛さだけをぶつけて勝手 なことばかり言えば、彼を傷つけてしまうのも道理だった。
「・・・ごめんね・・・私、自分のことばっかりで・・・智史のこと、悩ませてるよね・・ ・なのに、どうしてこんなに余裕ないのかな、私・・・ダメだって解るの。でも、解っててもどうしようもないんだもん・・・もう、グチャグチャで、 おかしくなっちゃいそうだよ・・・」
 わがままだということは解る。なのに、そんな自分を止められないのだ。あきのの目に再び涙が滲んで きていた。
 智史はそんなあきのの右手をそっと自分の両手で包むように握る。
「眠れてなくて、身体がまいってるから思考もどんどん 悪い方にいっちまうんだな、きっと・・・眠って、ちょっとでも身体が元気になれば、気持ちの方ももう少しマシになるだろうと思うけどな」
「・・・でも・・・」
「夢、見んのは辛いと思うけど・・・絶対に見るって決まってる訳じゃねーし、少し、眠れ。もしも、お前がうなされたりした らすぐに起こすから。俺は、ここにいるからな」
 大きくて温かい智史の手。彼も男性なのに、嫌悪感はない。それどころか、不思議と心が 落ち着いていくのを、あきのは感じていた。
「・・・私が寝てる間、ここにいてくれる?」
「ああ。いる」
「・・・ずっと?」
「・・・ま、 そりゃあ・・・トイレにくらいは行くかもしんねーけど。それ以外は、ずっといる」
 智史の答えに、あきのは微かに笑った。
「不思議・・・ どうしてかな・・・智史に手を握ってもらってると、安心する・・・」
「なら、こうして握っててやるよ。・・・とにかく、何も考えないようにして 眠れ。ちゃんと、傍にいるから」
 本当に何故、この手は安心できるのだろう。智史のやさしさが伝わってくるからなのだろうか。
 あ きのはごく自然に、眠りについていった。そして、また、夢を見た。
 やはり、同じように暗闇で。あきのはその中で動けない。
 でも。 そこへ伸ばされた手は、あんな恐怖を伴うものではなく、温かく、あきのを包み込む手で。
 あきのは闇の中でも恐怖を感じずに目を閉じる ことが出来たのだった。




 目が覚めたのはおおかた夕方の5時前だった。
「起きたか」
 智史がそっと微笑む。彼は本当にあきのの手を握ったままでいてくれ た。
「智史・・・本当に、ずっとここにいてくれたの・・・」
「・・・いるって言ったろ?」
「手も・・・握っててくれたんだ」
「・・・まずかっ たか?」
「そうじゃなくて・・・」
 あきのは自分の左手を伸ばして智史の手に添えた。
「夢を、見たの。・・・私はやっぱり暗闇の中だ ったのに、温かい手が包んで、護ってくれる・・・そんな夢だった。きっと、この手のお陰だね・・・」
 眠りにつく前より、うんとしっかりした表 情になったあきのに、智史も安堵する。
「ゆっくり眠れたみてーだな」
「うん。・・・頭もだいぶスッキリしてる」
「・・・ちょっと起き上 がれそうならこれ、飲んどけよ」
 智史はそう言って冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出してあきのに示す。
 あきのはゆっくりと上体 を起こしてみる。まだ少しふらつくが、どうにか大丈夫のようだ。
「もらおう、かな」
「おう。・・・お前、朝から何も食べても飲んでもい ないだろ。このまんまだと脱水症状引き起こして危ねーからな」
 智史はペットボトルの蓋を開けてからあきのにドリンクを手渡した。
  あきのはゆっくりとそれを飲む。一口飲む毎に、身体のすみずみにまでそれが染み渡っていくような感覚を覚えて、彼女は少し驚いていた。
「これって、こんなに美味しいものだった?」
「・・・疲れてたりすっと、よく冷えたのは美味いぜ。ロクに食ってねー時とか、食えねぇ時には こいつが1番いいんだ。医者がそう言うくらいだから、本当だぞ」
「お医者さんが?」
「ああ」
「そうなんだ・・・」
 そんなことを 智史と話しながら、あきのは500mlのドリンクを飲み干した。ふらつきもましになったような感じがする。
「・・・ありがと、智史」
 あきのが そっと微笑んだ。
 智史はそんなあきのを見て安心したような笑みを浮かべ、彼女の手の空のペットボトルを取ってベッドサイドのテーブルに置 いた。
「顔色もうんとマシになったな・・・これなら、大丈夫そうだ」
「ごめんね。何だか、智史には迷惑かけてばっかりいるね、私」
「い や・・・そんなことねぇよ。それより、お前、クラスの連中にあれこれ言われると思うけど、気にすんなよ?」
 急に真剣な表情になった智史に、あ きのは訝しげに彼を見つめ返す。
「・・・それ、昼頃も言ってたよね?・・・・・どうして?」
「お前がぶっ倒れて、俺がお前を受け止めて、そのまま ここへ来たことを、クラスの連中が知ってるから。俺、みんなの前でお前についてるって宣言しちまったからな。そういうのが好きな、ヒマな連中に恰 好のエサを与えちまった訳だ」
「え、と・・・つまり、それは、智史が純粋に私を心配してくれてるんだってこと以外の意味に取っちゃう人もいるだ ろう、ってこと?」
「・・・まあ、そういうこった。確かに、俺とお前の組み合わせっつーのは、普通、考えつかねーもんな」
「そんなこと・・・ だけど、そうだよね。智史は男で私は女だから・・・そういう意味で疑う人もいるかもしれないよね・・・」
 唇を噛んで、あきのは視線を下げた。
「・・・本当にごめんね・・・こんな、ことになっちゃって」
 落ち込んでいるあきのの頭を、智史はぽんぽん、と軽く叩く。
「気にすんな。俺は別 に何言われよーと気にしねぇから。・・・だって、そうだろ?俺たちにやましいトコなんかねーんだから」
「・・・そう、か・・・そうだよね」
「そ。 堂々としてりゃいい。・・・って、原因作った俺が偉そーに言うことじゃねーか」
 苦笑して頭の後ろを掻いた智史を微笑んで見つめるあきのは、彼 を好きになって良かったと、改めて実感していた。






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