あの夏が聴こえる.14







 智史はあきのの視線を、静かに受け止める。
「怒鳴って、本当に悪かった。泣きたいの、無理矢理止めちまって。でも、もう いい。ここには俺しかいねぇから、我慢する必要はねえよ」
 智史の言葉はどこまでも静かで。あきのは茫然としながらゆっくりと首 を振る。
「ううん・・・そんな・・・こと・・・」
 ない、と続けようとして、あきのは自分の視界がぼやけ始めたことにますます驚愕した。
「え?あ、あれ?・・・私、どう・・・」
 戸惑う間に、涙が1筋、頬に伝う。
「嘘・・・どうして・・・」
 慌てて涙を堪えようと するあきのに、智史は尚もそっと声をかけた。
「いい。我慢しようと思うな。椋平はよく頑張ったよ。だから、もういいんだ」
  智史の言葉はあきのの耳にやさしくやさしく響いて。
 とうとう、堪えきれずにあきのは泣き出してしまった。
「・・・っ・・・うぅ ・・・っく・・・」
 それでも必死で声を上げないように泣くあきのの頭を、智史はそおっと自分の胸に抱え込んだ。
「思いっきり泣い ていいから。気が済むまで」
 智史のシャツをぎゅっと掴んで、今度こそあきのは声を上げて泣いた。
 見知らぬ男に身体を撫で 回されたことへの激しい嫌悪と恐怖と悔しさと、自分自身への怒りと憎悪とを泣くことで拭い去るかのように。そして、智史のやさしさに 甘えるように。あきのは暫く泣き続けた。
 智史はそんな彼女を黙って受け止める。
 本当は泣かせたくなどない。けれど、泣き たいのを我慢して、無理矢理笑みを作っているあきのを見る方が辛かった。それに、1度彼女に我慢することを強要したのは自分だ。だか らこそ、今あきのが流している涙は当然自分が受け止めるべきものだと、智史は思っていた。
 どの位そうしていたのだろう。
  あきのの嗚咽が少しずつ収まってきたのを見計らって、智史は彼女の頭を抱えていた腕を解いた。それを合図のように、あきのもゆっくり と智史に凭れかかる格好になっていた身体を起こす。
「・・・ごめん、ね・・・大麻くん・・・」
 まだ少ししゃくりあげながら言うあきの に、智史はそっと声をかけた。
「気にするな。泣けって言ったのは俺だからな。・・・紺谷には怒鳴られるかもしれねーけど」
「大麻 くん・・・」
 あきのは真っ赤になった目で智史を見つめる。彼の瞳は穏やかで、普段の鋭さはなかった。やさしさの滲んだその瞳に、あ きのの胸がとくん、と高鳴った。
 今なら、言えそうな気がする。恐くて、ずっと言えずにきたこと。智史への、自分の気持ちを。
 あきのが口を開こうとしたその時。
「椋平」
 智史があきのを呼んだ。彼の瞳は真摯なものに変わっていて、あきのは吸い寄せら れるようにその瞳を見つめた。
「俺・・・椋平が、好きだ」
 思いがけない智史の告白に、あきのは目を見開く。
 にわかには信じ られなかった。智史の気持ちが、自分と同じだなんて。これは、本当に現実なんだろうか。自分の願望を映した夢なのではないだろうか。
「嘘・・・・・ホント、に・・・?」
 思わず漏れたあきのの呟きに、智史は僅かに視線をずらして拗ねたような口調になる。
「冗談でこんな コト言える訳ねぇだろ?俺、そんなに器用じゃねぇよ・・・ま、あんたにしたら、迷惑な話だろうけどな。俺みたいなのに、好かれたって」
 そう言って智史は少し傷ついたような表情をして完全にあきのから視線をはずしてしまった。
 あきのの目から、再び涙が零れ落ちる。 智史が自分から視線をはずしたことで、逆に彼の言葉の真実が判ったから。
「・・・っく、うっ・・・」
 聞こえてきた嗚咽に、智史はぎ ょっとしてあきのを見る。
「椋平・・・」
「・・・っ・・・嬉しい・・・嬉しいよ・・・好き・・・大麻くんが、好き・・・」
 やっとこれだけを口に して、あきのはまた泣き出してしまった。
「・・・マジかよ・・・お前・・・俺の、こと・・・」
 涙にも、そしてあきのの告白にも驚いて、智史 はらしくなくうろたえた。
 あきのは泣きながら、それでも智史に懸命に応える。
「ホント、だもん・・・私だって、冗談でなんて・・・言 わないもん・・・」
「・・・じゃあ、何で泣くんだよ」
「そんなの・・・嬉しいからに、決まってるよ・・・だって、夢、みたいで・・・」
 あ きのが今流しているのは嬉し涙、という奴らしい。智史は想いが通じたことに安堵して、泣き続けるあきのをそっと抱き寄せた。
「・・・そ んなに泣くな・・・お前、意外と泣き虫だな」
「・・・だって」
「・・・ま、普段から我慢しすぎみてぇだからな。けど、あんまり泣くと、目ェ 腫れるぞ?俺、出来たら紺谷にぶっ飛ばされんのは勘弁してもらいてーんだけど」
 苦笑したような智史の声に、あきのはどうにか涙を堪 えようと努めた。頬に残る涙の跡をぐいっと手で拭う。
「・・・ごめんね・・・泣き虫で」
「・・・ま、あまり歓迎は出来ねぇな、確かに。けど、 知らないトコで泣かれるよりはマシだからな。・・・あ、それから、お前のこと、『あきの』って、呼んでもいいか?」
 智史は腕を緩めてあ きのを見つめた。
 あきのは恥ずかしそうに微笑んだ。名前で呼んでもらえるのは、特別だと言われているようでやはり嬉しい。
「・・・うん。そう呼んで」
「ああ、そうするよ。・・・で、あきの、お前も俺のこと、名前で呼べよな」
「えっ・・・と、『智史くん』って?」
「『くん』はいらねーよ。まんまでいい」
「・・・じゃあ、『智史』って、呼んでいいの?」
「ああ」
 智史はあきのに微かな笑 みを見せた。そんな穏やかな表情の彼を見たのは、初めてかもしれない。あきのも、彼に向かって微笑んだ。
「・・・そう言えば」
 智史 がふと、思い出したように言う。
「あきのと、初めてまともに口利いたときも、泣いてたんだよな、お前」
「あ・・・ホントだね。そう言 えば」
 海辺の公園で智史に慰められたあの日。あきのは確かに泣いていた。でも、その時から、智史のことを意識し始めて、好きになって いった。
「お前の横顔が印象的で、何か、俺の中に引っ掛かってて。気づいたら、好きになってたんだよな・・・あきののこと」
「えっ・・・ そう、なの?」
「・・・ああ」
 少しテレたように頷く智史に、あきのもはにかみながら言った。
「私も、あの時から、だよ。智史の こと、気になりだしたの。それから、自然に、好きになってたの」
「マジか?それ。・・・なんだ、それならもっと早く言ってもよかったのか もな・・・好きだって」
 苦笑して言う智史に、あきのもふふ、と笑う。
「私も、そう思う。もっと早く、勇気を出してたらよかったかな って」
 いつ頃からなのか、正確には判らないが、2人の気持ちは既に重なっていたということらしい。
「・・・まぁ、でも、いいよな。 結局、こうやってあきのと向き合えてるんだから」
 智史があきのに笑みを向ける。
「うん」
 あきのも素直に微笑んだ。
「・・・そろそろ、戻ろう。買い物に行ってた連中もぼちぼち戻ってくる頃だろ」
「・・・うん」
 智史とあきのは立ち上がって、ゆっくりと ホテルの中へ入っていった。



  



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