あの夏が聴こえる.12
あきのは恐怖のあまり、身じろぎも出来ずにぶるぶると震えていた。すぐ目の前に立つ角刈りの男のギラギラした欲望の炎を宿す
瞳に射すくめられて、声も出せない。 隣の実香子は抵抗する声を封じるために金髪男に口を押さえられ、両腕を背中の方にまとめ
られてしまっている。ケガをしたと言っていた茶髪の男が、下卑た笑いを漏らしながら彼女の身体を弄っているのが目の端に映り、あき
のはいたたまれなくなっていた。 角刈りの男の手があきのの胸に伸ばされた。ぎゅっと掴まれ、恐怖と嫌悪に凍りついたあきのに、
男は小さな呟きを漏らした。 「ええ胸や」 口元に浮かんだ笑みはぞっとする程気持ち悪くて。あきのの瞳に涙が滲む。
こんな見ず知らずの男に、着衣のままとはいえ身体を撫で回されるなどということは屈辱以外の何物でもない。それでも、恐怖に支配され
てしまったあきのには、抵抗するための僅かな声すら出てこない。 (嫌、やめて!!離して!!!) 心ではそう叫んでいるのに。あ
きのの身体は凍って固まってしまったかのように指先すら、動かせなかった。 あきのの目から、涙が溢れそうになったその時。
視界の端に、周囲を窺いながら少しずつ近づいてくる智史の姿を捉えたあきのは、呪縛が解けたように叫んでいた。 「大麻くん!!」
突然のあきのの声に、角刈りの男はぎょっと目を瞠り、慌てて彼女の口を塞いだ。 「アホか。静かにしとれ!!」 ぞっとす
るような声で囁かれ、あきのはヒッと息を詰める。 男がスカートの中に手を入れようとしてきて、あきのがぎゅっと目を閉じた時。
「痛たたたっ!!」 男が突然叫び出した。 はっとして目を開けると、そこには角刈りの男の左手を捻り上げ、茶髪の男と金
髪の男を鋭い目つきで睨みつける智史がいた。少し遅れて、伸治も駆けつける。 「その汚ねぇ手を離してもらおうか」 智史の低
く、強い声が3人の男たちを威嚇する。 「な、何や、お前ら」 茶髪の男が智史と伸治を睨み返した。金髪の男は実香子を捕らえ
たままだが、伸治がぐいっと1歩を踏み出し、智史と同様に金髪と茶髪の男たちを睨んだ。 「実香子と椋平さんを離せよ」 「あぁ
?このねーちゃんらはなぁ、連れにケガさせたんやで。治療費くれ、言うとっただけや」 「・・・どいつがケガをしてるって?」 智
史の眼光が一層鋭さを増して男たちを射抜く。獰猛な獣が獲物に狙いを定めたような迫力のある眼差しに、金髪の男は思わず実香子を捕らえ
ていた手の力を緩めた。 「あんたらがこのままこいつらを離さねえってんなら、確かにケガ人が出るかもな」 智史は唇の端だけを
くっと引き上げて笑い、角刈りの男の左手を更に捻り上げた。 「痛たたたっ!!お、折れるっ!!!」 切羽詰った叫びと智史の本気の
表情に、茶髪と金髪の男たちは完全に飲まれてしまい、実香子を捕らえていた手を力なく外した。 「紺谷、椋平、こっちに来い」
智史は男たちを睨みつけたまま、あきのたちに声をかけた。2人は、おずおずと智史たちの後ろへと移動する。それを確認してから、智史は
角刈りの男の腕を開放してやった。 「いい大人がみっともねー真似すんじゃねーよ。さっさと消えな。どうしてもってんなら、いくらで
も相手になってやるが、俺は力の加減なんつーもんは知らねえから、今度こそ、骨の2、3本はへし折っちまうだろうなぁ」 不敵な笑
みを浮かべる智史に、男たちは青ざめていた。 「ふ、ふん、このくらいで勘弁しといたるわ」 こんな捨てゼリフを残し、男たちは
そそくさとその場から立ち去っていった。 3人の姿が完全に人込みに消えてしまったのを見届けると、智史と伸治はふう、と息をつい
た。 「椋平、紺谷・・・・・何やってんだ、全く」 呆れ返ったというような口調で、智史があきのと実香子を軽く睨む。 「ご、ご
めんなさい・・・」 「うぇ〜、山根、恐かったよぅー」 あきのは俯き、実香子は伸治に泣きつくように擦り寄っていく。 「実香子
・・・何でこんなことになってんだ?」 「う・・・ええと、私がね、つい、可愛い置物に目がいっちゃって、あきのが止めるのも聞かずにそれ
買っちゃって、2人で店から出てきたらみんなとはぐれてて、駅を探してたら、その、迷っちゃったみたいで、あいつらが・・・」 もじも
じと話す実香子に、伸治は脱力する。 「実香子〜お前のせいかよ〜」 「うう・・・ごめんなさい・・・」 「・・・で?何ともなかったのか
よ?」 「それがねー、あいつら、ちょっと肩がぶつかっただけなのに、あれこれ言いがかりつけてきてカラダにさわってくんだよ!?あー、
やだやだ、気持ち悪い〜っ!!!」 実香子が自分の肩を抱くようにして首を振った。 それを聞いて、伸治は目を剥き、智史は
眉を顰めた。あきのもびくん、と肩を震わせる。 「うげっ!!あいつら、そんなコトしやがったのかよ!?」 「・・・椋平も、か」 智
史の詰問するような口調に、あきのはぴくっと頬を引きつらせ、唇を噛んだ。 声は、出せなかった。代わりに、一度はおさまりかけた
涙が滲んできた。 その様子を見て、智史はあきのに厳しい眼差しを向け、こう言い放つ。 「泣くな!!泣くなら後にしろ。お前らの
せいで、クラスの奴ら全員に迷惑かけてんだぞ。・・・行くぞ、さっさと」 「ちょっと、大麻!!そんな言い方はあんまり・・・・・」
実香子は抗議しようとして、智史の一瞥をくらった。 「元はと言えば紺谷なんだろ!?黙ってろ」 智史のあまりにも厳しい言葉に、
実香子は沈黙するしかなかった。あきのも、ぐっと涙を堪えて歩き始める。 「・・・遅れてるのは間違いないから・・・行こ、実香子」
「・・・うん」 少し前を黙って歩く智史の後ろに、あきのと実香子は俯きがちについていった。伸治があきのたちの後ろを歩いてくれた。
階段を上がって集合場所に近づくと、そこに残っているのはあきのたちのクラスと今岡先生だけで、他のクラスの者たちや先生方は先
にホテルに引き上げたらしい。 「・・・智史!!」 俊也が声をかけたのをきっかけに、今岡先生やクラスメートたちが一斉にあきのたち
の方へと顔を向けた。 「椋平、紺谷・・・何やってたんだ」 普段は温厚な好青年、という雰囲気の今岡先生も、さすがに厳しい表情を
している。クラスメートたちの中にも、厳しい表情をした者や、待ち疲れてうんざり、という風な様子の者もいて、改めて事の大きさに気づ
くあきのと実香子だった。 「すみませんでした、今岡先生。みんなも、ごめんなさい」 あきのが頭を下げる。実香子も俯いた。
「ごめんなさい・・・」 「・・・こいつら、トイレに行こうとして迷ってたらしいぜ」 智史がぼそりと口添えした。その言葉に、あきのは
反射的に智史を見つめる。 「トイレを探して迷子に?おいおい、椋平、紺谷・・・しっかりしてくれよ〜」 今岡先生が呆れたような口
調で2人に言い、苦笑した。 「まぁ、ともかく、これで全員揃ったことだし、ホテルに帰るぞー」 クラスメートたちは立ち上がり、
ぞろぞろと歩いていく。 あきのと実香子は理恵や沙季、綾たちに囲まれて「心配したよー」「トイレなら言ってくれたら良かったのに」
などと声をかけられ、作り笑いで誤魔化しながら話を合わせた。 そんな中、あきのは沈黙したまま自分たちの後ろを俊也や伸治と共に歩
く智史のやさしさを感じながら歩いていた。 彼と伸治に助けられ、安堵したあきのに、「泣くな」と叱責した智史。けれど、自分と実香
子の上に起こったことを上手に隠してくれた。先生やクラスメートたちの好奇の目に晒されないで済むように。 もしもあの時、自分が泣
いてしまっていたなら、クラスメートたちと合流するのはもっと遅れ、更に泣いていた訳を問われたことだろう。智史がそこまで読んでいたのか
どうかは解らないが、厳しさの中に見え隠れするやさしさがはっきりと解る。 (ありがとう、大麻くん・・・) 心で呟きながら、ますま
す智史に惹かれていく自分を感じるあきのだった。
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