あの夏が聴こえる.9








 バス停に着いてから、あきのは智史と話し合った食事の件について、みんなの意見を聞くことにした。
「・・・・・・という訳なんだけど、 それでも湯豆腐がいいかな。それとも値段の安いもので済ませる?それによって移動の場所を考えないといけないみたいだから」
 男子は 一様に安いほうがいいと言い、女子もさすがに値段に躊躇したようだった。
「もう少し安かったらなぁ・・・仕方ないけど。あきの、安いのっ て言ったらどんな感じ?」
「うん、やっぱり関西風のおうどんとかおそばとかだと安いみたい。関東のと違って、薄味でおいしいみたいよ」
 ね?という感じで、あきのは智史を見上げる。智史は黙って頷いた。
 相変わらず目つきは怖いが、あきのとの間に何とも言えない 独特の空気の流れがあるように感じて、実香子は心の中でにんまりと笑った。智史におもいきり睨まれはしたが、あきのと2人で話してくれる よう仕向けたのは正解だったようだ。
 結局、全員があきのたちの提案を受け入れてくれたので、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「良かった、すんなり決まって。大麻くん、案内よろしくね」
「ああ」
 智史は無愛想なまま、素っ気なく応える。あきのはそんな彼 を見て、苦笑するしかなかった。
 一行はバスで東山三条まで行き、神宮道にある店で少し早めの昼食をとった。軽めのうどんやそばは男 子には物足りないものであったが、女子は京懐石を思わせるような具材が使われた上品な味に大満足のようだった。
 ここからは、ずっと 歩いての移動になる。食事を終えると、神宮道から疎水沿いを通って南禅寺へと向かう。
 この神宮道辺りは岡崎公園という名で呼ばれ、 美術館、動物園、京都会館などの施設があり、その向こうには平安神宮がある。
 それらを遠目で見ながら、山の方に向かって歩くのだが、 意外に距離があって早くも疲れ始める者が出て来た。
「まだこれからずーっと歩くんだろー?ここの見学は適当でいーじゃんか」
 南 禅寺の中門辺りまで辿り着いて、真っ先にそう切り出したのは伸治だった。同様に疲れた様子なのが勇希、綾、実香子、沙季である。
「何 だ、伸治。らしくないじゃないか」
 俊也が苦笑する。サッカーをやっている伸治がそう簡単にバテるとは思えなかったからだ。
「俊 也こそー、何で平気なんだよ。原っちもだけど」
「僕は歩くのはあまり苦にならないんだ。運動神経がいいとは言えないけどね」
「俊也 は持久力だけはあるからな」
 ぼそりと智史が口を添える。俊也が軽く智史を睨んだ。
「原は部活はしてねぇけど、空手に通って鍛えて る奴だから、体力はあるし」
 な?と視線を送る智史に、公紀は頷く。智史は彼と共に同じ道場で空手を習っていたことがあった。
「バ スケの勇希とサッカーのオレっちが1番根性ナシってことかー?最悪・・・」
「山根くんは実香子とふざけすぎたんじゃない?実香子もバテて るみたいだもん」
 あきのが横から口を挟んだ。確かに、実香子と綾、沙季の3人は中門の側の木陰で座り込んでいる。
「女子で元気 なのは椋平さんと黒川さんだけか」
 俊也が軽い溜息をついた。そして智史に小声で問いかける。
「どうする?ここは適当に見たい人 だけにして、さっさと哲学の道の方へ行くほうがいいかな。あの道沿いには女子の目を引きそうな店とかがあるんじゃないかな」
「・・・多分 な。ま、いーんじゃねえ?寺なんて見てもたいして面白くはねえし」
「・・・かもな」
 再び苦笑して、俊也はあきのにも同じ質問をする。
「・・・・・椋平さんはどう思う?」
「そうね。この様子だとそのほうがいいかも。ここは飛ばして、永観堂のほうへ行く?」
「みんな がいいならそうしようか」
 俊也がそう結論を出し、伸治たちに伝える。どうせ歩くのならば少しでも予定を消化する方がいいということで 意見が一致し、あきのたちは南禅寺は遠目に三門を見ただけで、永観堂へと移動した。
 こちらの境内はそう広くなく、あちこちに植えられた 楓がほんのりと色づいていて、実香子や沙季を喜ばせた。
「・・・・・・けど、この時期だけ金取るってのはセコいよな」
 ぼそりと智史が呟く のを、あきのは苦笑して受け止めた。
「お寺も維持費が必要だってことでしょ?これだけ楓が多いと、春は新緑は楽しめても花はなさそうじゃ ない?だから、もしかしたら訪れる人も少ないのかも」
「まあなー、そうなのかも知れねーけどな」
 ひととおりの見学を終えると、哲学 の道へと進む。ここも観光客が多くて少し興冷めだったが、緩やかな疎水の流れ沿いに桜の並木が続いていて、雰囲気の良い散歩道だということが 窺える。
「うわー、こーいう雰囲気っていいよね〜」
 実香子と綾がはしゃぐように言い、それぞれ伸治と勇希の隣に並ぶ。グループ行動 だということを忘れてしまったかのように、すっかり2人だけの世界を作り出してしまった実香子たちに、あきのと理恵、沙季に俊也は苦笑し、公紀 は戸惑い気味の表情になり、智史は呆れたように呟く。
「あいつら・・・とんでもねーな」
「まあまあ・・・仕方ないよ、智史。きっと何言っても 伸治たちには通用しないと思うな」
 俊也が諦めに似た溜息をついた。
「そうね。私も先輩が一緒だったなら、実香子たちみたいな行動取っ ちゃったかも、だし」
 理恵が苦笑したまま言い添える。
「そうよね。私も彼が出来たら、こんな道を2人で歩いてみたいって思うもの」
 沙季も同意する。あきのは黙っていたが、理恵たちの意見には賛成だった。
 だが、あきのが一緒に歩きたい相手である智史はうんざりし たような表情をてしている。
「とりあえず、進もうか。ここにじっとしていても仕方ないんだし」
 俊也の一言で、あきのたちは歩き出す。 俊也が公紀と並んで話し始めたので、自然と理恵と沙季がその後ろに並び、あきのと智史が更に後ろに並ぶ恰好になってしまった。
 仏頂面の 智史の隣で、彼に気づかれぬような微かな息をついて、あきのは歩を進めた。
 智史と一緒にいられるこの時間は、あきのにとってはこの上なく 幸福な時間だったが、当の智史はそんなことはカケラも考えていないだろう。そう思うとさびしさを感じてしまうあきのだった。
「・・・・・・椋平 も、ああいうのがいいのか」
 唐突に聞かれ、あきのは面食らった。
「え?何が?」
「伸治や勇希みたいなのが」
「え・・・と・・・」
 智史は前を睨んでいる。あきのが伸治たちの方に視線を送ると、彼らは自分の彼女を見つめながら蕩けるような表情で話をしている。
  僅かに迷いながら、あきのは正直に自分の感想を智史に伝えた。
「ちょっぴり、羨ましくはある、よ。まあ、あそこまで熱々じゃなくてもいい けど、好きな人とゆっくり話しながら歩いてみたいっていう思いはあるもの」
 現在の状況がそれに類似している、とはさすがに口に出来ないが。
「・・・・・・そんなもんなのか」
 智史はそれきり黙ってしまい、あきのは再び微かに息をつく。
 途中で雑貨店や土産物の店を覗きながら、 とある民芸品店で綾と実香子が足を止めた。
「きゃあ〜可愛い〜」
「ホントだー。ねえねえ、あきのや理恵も見てみてー」
 声をかけら れて、彼女たちよりも少し遅れていたあきのたちは足を速めてその店を覗いてみた。
「あら、ホントに可愛いね」
「これって着物っぽい生地 だよね。理恵、何て言う生地なのか判る?」
「さあ?でも、ちりめん、じゃないのかな」
「あ、そういう名前なんだ。私、こういう手触りと か色合い、好きなんだよね」
「なんか、あきのらしいね」
 理恵とあきのがニコニコと笑いあう様子を、智史たちは溜息と共に見ている。 実香子たち3人は店の奥の方まで入り込んでしまっていた。
「女って・・・・・買い物に異常に固執するよな」
「そうだよなー。オレもこの点だ けは勘弁してほしいよ」
 智史の言葉に伸治が同意し、勇希も腕組みした状態のままうんうんと頷いている。俊也と公紀は特に何も批評はしなか ったが、ただ待たされているだけのこの時間が楽しい筈はなく。
 少々うんざり、といった男子の様子に最初に気づいたのは理恵だった。
「あ、 ごめんね、みんな。ただ待ってるだけなんて、退屈よね」
「ホントだ。ごめんなさい」
 あきのも慌てて謝った。
「あ、そんなに気にしな くていいよ、椋平さんも黒川さんも。気に入ったものがあれば買ってきていいから」
 俊也が笑顔で返したが、智史はむすっとしたままだった。伸 治たち3人は苦笑いである。
「うん・・・欲しいものがあるにはあるけど・・・出来るだけ早く決めちゃうね。実香子たちにも急ぐように言うから」
 あきのが答えている間に、理恵はさっさと自分の分を決めて奥へと足を運んでいく。お金を払うついでに、実香子たちにも声をかけてくれた。
「実香子、綾、沙季、山根くんたちが退屈してるよ。欲しいものがあるならさっさと決めて買っちゃいな」
 そんな声が聞こえてきて、店の入り口 付近でハンカチを見ていたあきのも、可愛いうさぎ柄のものを選び出して買い求めた。
 店を出てから、あきのは智史の側に近寄って「ごめんね」 と声をかけた。
「大麻くんにとってぱ退屈だったでしょう。気づかなくて、ごめんなさい」
 智史はあきのを一瞥してからふう、と息をつく。
「・・・ま、椋平だけのせいじゃねえからな。それより、いい物あったのか」
「あ、うん。ハンカチ買ったの。こういう着物っぽい生地が好きだ から」
「着物が好きなのか、椋平は」
「そうね、好きだけど、着ることは滅多にないなあ。和服って、女らしくていいな、とは思うんだけど、 1人じゃ着られないから」
「ふうん・・・そういうものなのか」
 智史はそれきりまた黙ってしまったが、とりあえず彼が気分を害している訳で はなさそうだと知って、あきのはほっと胸を撫で下ろす。
 実香子たちが店から出て来たことで、皆は再び歩き始めた。







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