あの夏が聴こえる.6







 一通りの解説を終えると、もうすっかり日が落ちていた。
 2人は慌てて帰り支度を始める。
「・・・ 悪かったな。こんな時間までつき合わせて」
 校門を出たところで、智史はあきのに言った。
「ううん、気にしないで。まだ6時 前だもん」
「今日も、親は遅いのか?」
 智史の言葉に、あきのは少し複雑な気持ちになって答えた。
「あ・・・うん、親はね。 今日は矢野さんが来てくれてる筈なんだけど」
「・・・そうか」
 短く答えると、智史はそのまま何も言わずに歩を進めていく。
 自分のことを気にしてくれているのでは、と思うのは単なる自惚れなんだろうか。あきのはそんなことを考えながら智史の隣を歩く。
 今日が矢野さんの来る日じゃなければ、智史はもしかしたらこの前のように寄り道に誘ってくれたかもしれない。そう思ってしまうのは独 りよがりの願望なんだろうか。
 けれど、智史の気持ちを確かめる勇気は、今のあきのには、ない。拒まれることが怖くて言葉に出来な いのだ。
「・・なぁ、椋平」
「・・・・・・・えっ、何、大麻くん」
 考え事の最中に声をかけられて、あきのはびっくりしてうわずった 声を出してしまう。
 智史の表情が怪訝なものに変わった。
「どうした?」
「あっ・・・ううん、何でもない。ごめんなさい、ヘン な声出して」
「いや、何ともねぇんならいいけどな」
「えっと・・・何か、あったの?言いかけてたこと」
「あ・・・いや、その、今 日のな、礼を、しなきゃと思ってさ」
 智史は視線を斜め上に逸らして宙を睨むような格好をしている。あきのは彼の口から出た言葉に 面食らって返答に詰まってしまった。
「そんな・・・お礼なんて・・・」
 智史がこんな発言をする理由が判らない。もしかしたら、と期 待してもいいのか、単に律儀なだけなのか・・・その真意はあきのには計り知れない。
「礼って言っても、俺に出来る範囲のことでなきゃ、 困るけどな。一応、あんたの勉強の邪魔しちまった訳だし、借りは返さねえと」
「・・・借りだなんて・・・そんな風に思ってくれなくてもい いのに」
 智史が使った『借り』という言葉に少しだけ落胆したあきのだが、それを隠すようににっこりと微笑んでみせた。
「私も ちゃんと復習になったんだし。あとは大麻くんが国語のテストで成果を見せてくれたら嬉しいなって思うんだけどな」
 あきのの言葉に 智史はがくっと肩を落とし、苦笑した。
「・・・すんげぇプレッシャーかけてくんのな、椋平。まー、俺なりに頑張るつもりだけどよ」
「・・・うん。・・・・・・・あのね、大麻くん」
 あきのは俯き加減で、遠慮がちに言った。
「さっきの、お礼っていうの・・・今は、考えつか ないから、修学旅行の時に、お願いしても、いいかな」
「ああ、椋平がそれでいいって言うんならな。けど、あんまし無茶な要求すんな よ?自分で礼するって言っといていう言葉じゃねえけど」
「無茶って、例えば、どんな?」
「あぁ?そうだなぁ、俺の小遣いでは絶 対買えねーような高価なモン買え、とか女しか行かねーような店につき合えとかいうのはゴメンだからな」
「やぁだもう、そんなことは 言わないよ、私」
 あまりの例えに、あきのはクスクスと笑い出した。沈んでいた気持ちが少しだけ軽くなる。
「ああ。まぁ、あん たがあまりにも無茶なこと言う奴だとは思ってねえよ。・・・・・んじゃ、また明日な」
 智史とあきのが左右に別れる交差点で、軽く右手を 上げて走り去っていく彼の背中を、あきのは暫く立ち尽くして見つめていた。





 智史はいつになく真面目にテストに取り組み、とても良いとは言い難いが彼にしては上出来、という結果でそれを終えた。あきのに教え てもらった国語も、どうにか平均程度には成果を上げることが出来て、ホッと胸を撫で下ろす。
 クラスのトップは言うまでもなく俊也で、 あきのは女子の中ではトップだった。
 テスト結果が出た途端に、修学旅行に突入である。
 初日は新幹線で京都入りした後、クラス 毎にバスに乗って嵐山・嵯峨野方面へ移動し、観光した。
 有名な渡月橋や天竜寺、野宮神社、落柿舎などをぞろぞろと見て歩く。この辺り は紅葉や桜で有名なのだが、紅葉にはまだ少し早いようで、山々の所々に黄色い木がある程度だ。
「紅葉してたら良かったのにね、あきの」
「実香子、それは仕方ないよ。秋だって言ってもまだ10月だもん。紅葉って、11月に入ってからなんじゃない?」
「そうかなー。 あーあ、こういう場所こそ彼氏と回れたら良かったのにな」
 残念そうに言う実香子に、あきのは苦笑する。
「山根くんの近くに行け ば?同じクラスなんだし、別にいいんじゃない?」
「ええ?でも、男子が前、女子は後ろって先生が言ってたし、そんな訳にはいかないで しょー?それに、あきのだってホントは近くに行きたいだろうし」
「・・・あ、でも、私は実香子と違って、別につき合ってる訳じゃないし ・・・それに、綾と田坂くんは並んで歩いてるよ、ほら」
 あきのは前方を指差す。実香子は言われた方へと視線を向け、確かに綾と勇希が 一緒にいるのを見つけた。
「あー、ホントだー!!綾ってば、ちゃっかりと・・・あっ、山根と大麻が並んでるっ!!あきの、行くよ!!」
「え 、ええっ」
 あきのが何かを言う前に、実香子はあきのの手を引っ張って伸治と智史の側に近づき、声をかけた。
「山根、近くにいて いい?」
「おお、実香子じゃんか。女子は後ろじゃないのか」
「綾と田坂が一緒にいるのが見えたから来たんだけど。クラスの枠を越 えてる訳じゃないからいいだろうってあきのが言ってくれたしね」
 実香子の発言にあきのはぎょっとなるが、ニコニコしている彼女と伸 治を見ていると、とても反論出来なくなってしまった。
「おお、椋平さんの許可が下りてんなら問題ないな。一緒に行こうぜ」
「うん♪」
 いきなり熱愛ムードに入ってしまう実香子たちに、あきのは溜息をつくしかなかった。
「・・・・・えれぇ奴に連れて来られたな、椋平」
 それまで沈黙していた智史があきのに声をかける。あきのがはっとして彼を見上げると、智史は苦笑していた。そこであきのもまた、苦笑 いになる。
「うん・・・まさかね、こんな風に当てられるとはね。・・・あれ?清水くんは?」
 俊也の姿がないことに気づいて、あきのはき ょろきょろと周りを見た。
「俊也の奴なら先頭だ。今岡に呼ばれてたからな」
「先生に?私は行かなくて良かったのかな」
「椋平は 呼ばれてなかったぜ?どうせ後で俊也が知らせに来るさ」
「それもそうよね」
 あきのは納得して頷き、それから少し躊躇いがちに智史 に言った。
「大麻くん、今更、後ろに戻るのもヘンだし、ここにいてもいいかな」
 智史はちらりとあきのを見やってから、素っ気なく 答えた。
「別にいいんじゃねえの?なんか文句が出たら後ろに行きゃいーじゃんか」
「・・・うん」
 あきのは智史が拒絶しなかった ことに安堵して、そのまま彼の隣を歩く。
 智史は特にあきのに話しかけてはこなかった。近くにいる公紀や他の男子とは会話を交わして いたが、ずっと話している訳でもない。
 それでも、同じような観光客の団体とすれ違う際などには、智史はちらっとあきののすがたを確 認するように視線を投げかけてきてくれて、決して無視しているのではないと言っているかのようだった。
 目が合うと、あきのはその度に 笑みを浮かべてみせる。ちゃんと気にかけてくれている、智史の心遣いが嬉しかった。
 ひととおりの観光を終えてバスに乗り込むと、あき のと俊也は手分けして人員点呼をし、担任の今岡先生に報告する。その後、あきのは俊也から夕食の後に明日の打ち合わせをすることになったと 伝えられた。
「さっき今岡先生に呼ばれてたって、そのことだったの?」
「そうだよ。けど、僕が先生に呼ばれたってこと・・・・ああ、智 史か」
 俊也がしたり顔で頷くのを見て、あきのは僅かに頬を染めた。
「・・・もう、清水くんったら」
「まあまあ。それで、智史と 何か話したの?」
「ううん、特には話してないよ。大麻くんは原くんたちと喋ってたし」
「・・・・・・・素直じゃないな、全く」
 苦笑 してぽつんと呟く俊也の言葉に、あきのは怪訝な表情になる。
「それ、何のこと?」
「いや、何でもないよ。じゃあ、後でよろしくね」
 俊也はあきのの質問を上手く躱して智史の隣の席についてしまった。あきのも仕方なく理恵の隣に腰を下ろしたのだった。







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