あの夏が聴こえる.5







 翌日のLHRは特に大きな問題もなくそれなりに進み、実香子が言っていた通りに伸治と智史、俊也、それに 伸治とは同じ中学出身の田坂 勇希と原 公紀の5人で1つ、あきの、実香子、理恵に実香子と仲のいい中尾 綾、青山 沙季の5人で1 つというグループを作り、なるべく同じ場所を回るように計画を立てた。綾は実香子のように、つい先日勇希から告白されてつき合うよう になっていたから、実香子が持ちかけた提案に即座に賛成してくれ、沙季をも巻き込んでくれたのだ。沙季は俊也のファンなので、彼と親 しくなるチャンスだと喜んでいる。
 盛り上がっている伸治や勇希を前に、どこか投げやり気味の態度で立っている智史をちらりと見 やって、あきのはそっと苦笑した。智史には今回の修学旅行のことは本当に興味がないらしい。あきのの方は、智史ともっと話が出来たら、 並んでとはいかなくても一緒に歩けたら・・・等の密かな期待を持っているのだが。
 1日目に嵐山・嵯峨野方面を見学するからというこ とで、あきのたちは清水寺や南禅寺、永観堂から哲学の道、銀閣寺という辺りを回ることに決めた。京都で2泊、奈良で1泊の3泊4日の 行程で、2日目がグループ毎の自由行動だ。
「あきの、だいたい計画通りだね。これで大麻ともっと接近できるよ、きっと」
 実 香子がこそっと耳打ちしてきた。
「うーん・・・そうかなぁ・・・なんか、難しそうよ、大麻くん、全然興味なさそうだし」
 あきのも 小声で答える。
「そうは言っても行かない訳じゃないんだしさ。後はあきのの努力次第だよん。頑張れ!!」
「うん・・・・・そうだね」
 あきのは曖昧に笑った。努力次第と言われても、さりげなく智史と話すというのは至難の業だという気がする。
 何はともあれ、 智史と同じ場所を回ってその近くにいられるだけでも良しというところだろう。
 決定したことを整理する為、あきのは俊也と共に少 し居残りをすることになり、実香子には先に帰ってもらうように伝えた。
「・・・って言うか・・・そうか、実香子はもう、私とばかり帰る って訳にはいかないんだよね」
「あきのー、何言ってんの。私が山根とつき合ってるからってあきのを見捨てると思う?山根は部活や ってるんだよ?・・そりゃあ、一緒に帰れたらって思うけど、ただボーッと待ってんのは嫌だからね」
「実香子・・・そんなコト言ったら山 根くん、がっかりするんじゃない?」
 苦笑しながらあきのが言うと、実香子は肩を竦めてみせた。
「山根はあのサッカー部なん だよー?冗談止めてよね」
 サッカー部は野球部と並んで練習に力を入れている。夏場は夜7時過ぎまで、冬場でも6時ごろまでは練 習を行っている。ただ、野球部と違って、時々は日曜日や祝日が完全にオフになるらしいので、それなりにデートも出来るらしい。
  実香子はあきのと共に美術部に所属しているが、特に美大を目指している訳でもなく、忙しいのは文化祭前だけで、後は幽霊部員に近い存 在なのだった。実際、美術部にはそういった部員が多く所属している。
 あきのもそう熱心な訳ではなく、以前ふられた先輩目当てで 入ったようなものだった。
 確かに、そんな実香子に毎日伸治を待てというのは酷なのかもしれない。
「だけど、今日は一緒に帰 るんでしょ?」
「うん、まぁね。テスト前くらいしかゆっくり帰る暇もないし」
「そうだよね。気をつけて、楽しんできて」
「あきのこそ、気をつけるんだよ?ヘンなのに声かけられないようにね」
「・・・うん」
 実香子に手を振ってから、あきのは俊也の 側に近づいた。彼のすぐ前の席の智史は何やら教科書を広げて眉根を寄せている。
「・・・大麻くん、どうしたの」
 智史にではなく、 俊也の方にあきのは小声で尋ねた。
「一応テスト勉強、ってとこじゃないのかな。今回の国語の範囲には智史が苦手な古典が入ってるだ ろ?」
「源氏物語の桐壺の部分のこと?」
「そう。どうもその件で椋平さんに聞きたいことがあるらしいよ」
 俊也はちらっと 智史の背中を見やって笑みを浮かべた。彼にしてはひどく意地悪そうな笑みなので、あきのは目を疑う。
「清水くん・・・・・大麻くんと、 何かあったの?」
「?・・・・・別に、何もないけど」
「そうなの?何か、今の表情(カオ)、凄く意地悪そうに見えたから」
 そう言 うと、俊也は苦笑した。
「そうだった?気がつかなかったな」
「・・・そうか。自分で自分の顔は見えないよね、鏡でもない限り」
「・・・・・椋平さんは素直だね。まあ、それは置いといて、さっさと仕事を片付けようか」
 俊也はさらりと切り替えてあきのに微笑んだ。
「あ、えっと、大麻くんの勉強は、どうしたらいいのかな」
「智史のことは後で充分だよ。その方がちゃんと勉強出来るだろう?き っとてこずるだろうし」
「・・・・・」
 あきのは何と答えてよいか判らず、相変わらず教科書を睨んだままの智史をちらりと見てから小 さく1つ息をついて、俊也との作業に取りかかった。
 グループ毎の名簿と行き先を整理して書き写すだけなので、15分もすれば作業は 終了した。
「ご苦労様。じゃあ、僕はこれを今岡先生のところへ持っていくから、椋平さんは智史を頼むよ」
 俊也はそう言って立ち 上がった。あきのも慌てて立ち上がる。
「あ、うん。よろしく」
「智史、僕はそのまま帰るからな。椋平さんにちゃんと教えてもらえ よ」
「えっ・・・」
「おう。じゃあな」
 びっくりしているあきのに、俊也は微笑んで教室を出ていった。智史は・・・・・・やはり、教 科書を睨んだままだ。
 突然のことにあきのが茫然としていると、不意に智史が言った。
「紺谷は山根と帰ったんだろ」
「あ、う ん、そう」
「なら、別に時間は気にしなくていい訳だ」
「えっと・・・うん」
「あんた、この前言ってたよな『国語と英語なら教 えられる』って。俺、さっきからずっとこれ読んではいるけど、全く意味が判んねえ。どういう意味なんだ?これは」
 智史はようやく顔 を上げてあきのを見、睨んでいたページを指し示した。
「え・・・えーと・・・確か、『源氏物語』の初めの部分だよね?」
 あきのはあた ふたと自分の教科書を取り出して該当のページを開き、智史に示して見せる。彼が頷くのを確認して、あきのは早鐘を打つ胸を悟られぬよう努 めて平静を装いながら俊也の席に座った。
 自分が書き込んでいる訳文を読み上げてから、智史に説明する。
「あのね、簡単に言うと ね・・・」
 そう前置きしてつらつらと桐壺の章の内容をかいつまんで話してやると、智史はだんだんうんざりしたような表情になっていった。
 あきのは話し終えると苦笑して少しだけ首を傾げ、ゆっくりと問うてみる。
「えーと・・・大麻くん、大まかな意味は解ってもらえた、 かな」
「・・・・・何でこんなもんが一流の文学なんだ」
「ええ?そう言われても・・・」
「・・・女の修羅場の何が面白いんだか」
 智 史はぐしゃっと前髪をかき回す。苦虫を噛み潰したような表情が彼の心情を物語っていて、あきのは苦笑混じりの息をついた。
「大麻くん はこういうの、本当にキライなんだね」
「・・・椋平は好きなのか?こういうの」
 逆に問われて、あきのはうーん、と首を捻る。
「面白いな、とは思うけど、好き、とは言えない・・・かな?私は古典は好きな方だから、この源氏も興味持って読めるけど、内容が好きかって 言われたら困っちゃうなって思う。女の意地悪ってホントいやらしいから」
「・・・何か、実際に経験あんのか?意地悪された」
 智史の 目つきがすっと真摯なものに変わった。ドキン、と高鳴る胸の内を気取られぬよう、あきのは少しだけ視線を下げる。
「まぁねー、色々。 ・・・ほら、私、清水くんとよく喋るでしょ?それは、クラス委員だからなんだけど、それだけだって思ってくれてない女子って、結構いるみた いで。落書きでヘンなこと書かれたり、あからさまに睨まれたりなんてしょっちゅう。靴に画鋲・砂なんてのもあったし。さすがにここのとこ ろ減ってきたけどね」
「俊也の奴・・・ロクな女に好かれてねぇな」
「まあまあ・・・別に清水くんのせいじゃないんだし。それに、大好き な人を独占していたいっていうのは、ちょっぴり解かるような気がするもの」
 あきのだって、もしも智史と親しい女子が存在していたら その子に嫉妬するだろう。現在のところ、智史に近づけるような女子はいないのだから、独占も何もそれ以前の問題なのだが。
「・・・ふうん。 あんたもそう思うってんなら、女ってのはみんなそうだってことか」
「え?」
「いや・・・・・何でもねぇよ。それより、しょうがねーから、 こいつのポイントみたいなんがあったら教えてくれよ」
 智史は再び教科書へと視線を戻し、あきのに示した。
「あ、うん」
 あき のは言われるまま要点を抜き出して説明していく。






名前の読み方です。
 山根 伸治(やまね しんじ)
     田坂 勇希(たさか ゆうき)
      原 公紀(はら きみのり)
       青山 沙季(あおやま さき)
      中尾 綾(なかお あや)
      黒川 理恵(くろかわ りえ)




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