あの夏が聴こえる.3






 腹ごしらえを済ませたあきのと智史は、彼女の提案で海辺の公園へと足を運んだ。
 早く帰ったところで誰か がいる訳でもない家に1人でいるより、智史と少しでも話していられたら、と思ったのだ。智史も特に異議を唱えずにあきのに従った。
 海の側のベンチに座って、あきのと智史は缶ジュースを手に海岸線に並ぶ灯りを見ていた。
「・・・・テストが済んだら、修学旅行だね」
「だるいよなー、まったく」
「大麻くんは楽しみじゃないの?」
「京都、奈良だろ。んなトコ、行き飽きてるぜ。高校の修学 旅行にしちゃしけてるよな、うちの学校」
「行き飽きてるって・・・そうなの?」
「ああ。うちの母方のじいちゃんが京都に住んでる からな。伯父さんや従兄弟も住んでるし、チビの頃は夏休みになると必ず行ってたし」
「そう。じゃあ、逆に観光スポットとかには詳 しいのかな」
「さぁな。それはちょっと違うような気もするけどな」
 智史はスポーツドリンクを口に運んでから、海の方に顔を 向けたまま問いかけた。
「俊也とそんな話ばかりしてたのか、今日は」
「うん・・・自由行動の時のグループ分けをどうするか、とか をね、予め決めておきたかったから」
「そんなことまで決めんのか」
「だって、つき合ってるコたちは当然一緒に回りたいだろう し、かと言ってクラスの枠を越えられちゃっても困るから、だいたいをね」
「・・・・・・最近、やたらくっつきだしてるのはこれのせいか」
「そうじゃない?やっぱり、修学旅行って言ったら高校生活の一大イベントでしょ。出来るなら彼氏や彼女と回りたいよね」
「・・・・・・・椋平もか」
 突然真摯な様子で問いかけられて、あきのは面食らう。
「え・・・わ、私はそんな・・・・・大体、相手がいません って。知ってるくせに」
 そう口にして、心の奥に微かな痛みが走ったことをあきのは自覚した。何故痛むのだろう。何に対しての痛み を感じているのだろうか。
 智史に対して? それとも、この海に捨てた筈の思いに対して?
 すぐには答えが出そうになかった。
 押し黙ってしまったあきのに、智史は何も言わず、ただ静かに彼女の横顔を見つめていた。
 少し肌寒い秋の風が2人の髪をそっと 乱していく。
 智史はしばし逡巡してから、小さく呟いた。
「まだ、忘れられねえのか」
「え?」
 一瞬意味が解らなくて 智史の顔をまじまじと見つめてしまったあきのだが、その瞳の憐憫さに、内容を気づかされた。
 そして瞬間、理解した。自分の痛みの 正体を。
「ううん、違うの。先輩のことなんてすっかり消えちゃった、私の中からは」
「・・・そうか」
 安堵したような智史の表 情に、胸の奥をぎゅうっと鷲掴みされたような気がして、あきのは無理矢理笑顔を作ってみせた。そうしなければ泣いてしまいそうだった。
 智史のことを、好きになっている。
 そう自覚しただけで、心の奥底から想いが次から次へと溢れてきそうで恐いくらいだ。はっ きり解っていなかっただけで、多分・・・・・・この海辺で慰められたあの時から智史に惹かれていたということなのだろう。だからこそ、こんな にも気持ちが湧いて出てくるのだ、きっと。
 あきのは努めて平静を装い、言葉を紡ぎ出した。
「私のことより、大麻くんはどうなの。 お目当ての彼女とかは、いないの?」
「あぁ?俺?・・・・・俺は俊也たちとつるんでる方が気楽でいい」
「・・・そっか」
 安堵と軽い 落胆の混じった苦笑を浮かべて、あきのは手に持っているオレンジジュースを一口飲んだ。心地よい酸味が喉を滑っていく。
 思わずふう、 と漏れた溜息に、智史は僅かに眉根を寄せて問いかけた。
「椋平って・・・・・・・俊也が好きなのか?」
「えっ、違うよ。・・・ええと、確か に清水くんのことは好きだけど、それは友達っていうか仲間、みたいな感じの好きだから。特別な感情は持ってないよ、私」
「ふうん・・・あ いつも意外にモテないんだな」
「あら、それはちょっと違うと思うよ?まぁ、確かに、特別な感情を持ってないのが私だけってことはない かも知れないけど、それでも清水くんの彼女になりたがってる子はたくさんいるみたいよ?」
「あいつはお優しいからなぁ。俺だったらキ レて張り飛ばすような女にでも優しい声がかけられるんだから、ある意味で尊敬に値するな」
「・・・・・なんかそれ、すっごい厭味に聞こえる んだけど・・・私の気のせい?」
「さぁな」
 さらりと躱して、智史は勢いよく残りのドリンクを飲み干した。
「さて、いつまでもこ こにいる訳にもいかねぇし、そろそろ帰るか」
 そう言って立ち上がった智史に、あきのも慌てて倣う。
「きっと家に帰っても1人だか ら、なんかちょっと寂しい気もするけど・・・テスト前だしね」
「おい・・・・・それ、それこそ厭味だぜ?椋平。あーっ、畜生!!何で英語や世界史 の勉強しなくちゃならねーんだ!!!」
 智史が思いっきりふてくされているので、あきのはついついクスクスと笑ってしまう。
「大麻く んってば・・・うちの学校に入れたってことは、そこそこ勉強が出来るってことでしょー?」
「俺のはまぐれだよ。単に家から近いってだけで 選んだんだから」
 大学に関しては私立になるのも仕方がないが、高校までは絶対公立に行け、というのが智史の両親の方針だったので、家 から歩いて通える公立高校だという今の学校を選んだのだ。智史の成績ではとてもA判定は出せない、という中学の担任の言葉に反発して、その 時だけは俊也にも協力してもらったりしながら頑張ったのである。しかし、元々が勉強好きではないから、現在のカリキュラムにはついていくの がやっとという感じなのだった。
「清水くんは?教えてくれないの?」
「あいつは自分の成績維持する努力がいるからなぁ。それに、俺 の性格知り抜いてるから、ここまで迫ってくると駄目」
「もしかして、答えだけ教えろ、とか言っちゃうってこと?」
「・・・・・・・・何で解 る」
「ええっ、ホントに?大麻くんってば・・・それじゃあ大麻くんの勉強にはならないよ」
「俊也と同じこと言うなぁ、椋平も。・・・解っ てんだけどな、それがちゃんと出来りゃー苦労はしねえって」
「それもそうだね・・・でも、やっぱり、今からでも出来ることはした方がいいよ」
「まぁな・・・赤点だけは避けたいとこだよな」
 智史はふう、と息をつく。
「頑張って。私でよければ、英語と国語なら教えられるか も。世界史はもう、暗記するしかないし」
「・・・・・・ま、どうしようもなければな。聞くかもしんねぇけど」
「うん」
 あきのは笑顔で 答えてから、かなり落胆している自分に気づき、驚愕していた。
 智史のことをもっと知りたい、少しでも一緒にいたい、そんな気持ちが湧き 出ているせいなのだろう。けれど、そんなことを口には出せる筈もなく、あきのは智史の「行くぞ」という言葉に従って歩きだした。




 
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