あの夏が聴こえる.2







 だいたいの打ち合わせが終わって、西向きの窓の外が黄昏色に変わり始めた頃、智史が教室に戻ってきた。
「何だ、お前らまだいたのか」
「丁度終わったところさ。・・・・・絞られたみたいだな」
 俊也が意地悪そうな笑みを浮かべている。 智史はふん、とそっぽを向いた。
「うるせーな」
「後1週間で中間なんだし、この時期にってのはやっぱまずいだろ」
「・・・ 解ってるさ。けど、どーしても眠れちまうんだよなぁ。窓際ってのは」
「僕は眠らないよ」
「お前は特別だって。椋平だって、あ んな天気いい窓際でなら、眠くなるだろ?」
「えっ、そ、それは・・・・・」
 いきなり話をふられて、あきのは言葉に詰まった。確か に、眠くはなるが、授業を無視して眠り込むような真似はしたことがない。
「・・・何だよ、椋平も俊也と同類かぁ?」
 智史が拗ね たような表情で睨んできたので、あきのはとりあえず正直に答えることにする。
「えーと、眠くはなるけど、眠らないように努力する、 かな」
 あきのの答えを聞いて、智史はずるっと肩を落とし、俊也はほら見ろ、という表情で智史を見据える。
「椋平さんの反応 が普通だよ。お前みたいに爆睡する方が悪いぞ」
「・・・へぇへぇ、どーせ俺はなってねーよ」
 ふい、と智史は顔を背け、机の上の 鞄に手をかける。
「大麻くん・・・」
 智史の反応を心配して、あきのが不安そうに声をかける。智史はちらりとあきのを見て、むす っとした表情のまま顎で扉の方を指し示した。
「まだ帰らねーのか」
「いや、もう済んだから帰るよ。椋平さんも一緒に出よう」
 俊也が何事もなかったかのように鞄を持ち上げて席を立った。
「あ、うん」
 あきのも慌てて筆箱を鞄に片付けて立ち上がった。 俊也が教室の照明を消して、扉を閉める。鍵は部活終了時刻に、当直員がしてくれることになっている。
 智史は少し前を大股で歩き、 ほぼ隣りに俊也が並ぶ。あきのは2人のやや後ろを歩いていた。
 あきのは智史の後姿を見つめながら自身の気持ちについて考えていた。
 智史のことが気になる。だから、少しでも彼のことを知りたい。そう思っている。
 今日、修学旅行のことを話したいと俊也に持 ちかけたのは、智史が呼び出しをくらったせいだ。
 今日からテスト最終日まで、基本的に部活は禁止だった。中には、部員が自主的に 軽いトレーニングなどを行う野球部やサッカー部のようなところもあるが、それはごく少数派で、あきのが所属する美術部や俊也が所属する 天文部は活動を休む。
 だから、話をすることは居残る智史を待つには丁度いい口実だった。勿論、話を詰めておく必要性もあってのこ となのだが。
 智史の言葉に慰められたあの日から、あきのはずっと智史のことが気になっていた。
 普段の教室での智史は、同性 の友達以外に対しては無口で無愛想、だった。黙っていても目立つ鋭い目つきは、女子を威嚇するには充分過ぎる威力を持っているというの に、どうやら彼は女子をうっとおしいと考えているらしく、必要な筈の会話ですら素っ気なくて、その上にジロリと睨まれるものだから、自 然と敬遠され、恐がられている。
 あきの自身も、最初はそう思っていた。近寄り難い人なのかと。ただ、同性の友達に対してはごく普 通に笑い、冗談を言い合ったりもしていたし、スポーツが得意で文系の勉強が苦手なごく当たり前の男子生徒であることも確かで、他の女子 のように彼が恐い、と思ったことはなかった。
 とは言うものの、智史が積極的に女の子と口をきくタイプでないことは明白で、挨拶を すればそれを返してもらえ、話しかければちゃんと応えてくれる、それだけでも彼と自分は相当の特異な間柄だと言えるのかも知れない。
 あきのにすれば、例の海辺の公園での一件があるからこそ、智史が自分に対してあまり構えずに口をきいてくれているのだと解ってはいる。 それでも、彼ともっと話して彼を知りたいという思いがあっての、今日の居残りだったのだが、やはり、同性の友達、しかも、相手が智史の 幼稚園時代からの親友である俊也には敵う筈もなく、2人があれこれとりとめのない話をしているのを黙って聞いている形になってしまって いた。
 校門を出て暫くは、海の方に向かって歩く。ゆっくりと赤く染まっていこうとする太陽が、あきのの前に俊也と智史の長い影を 描いた。
 2人はあきのの存在など忘れてしまったかのように、後ろを振り返ることもなく歩いていく。
 2人に気づかれぬよう、 あきのはそっと溜息をついた。
 もうすぐあきのと智史たちが左右に別れる交差点に差しかかろうという時、突然に俊也が立ち止まった。
「・・・・・・じゃあな、智史。椋平さんも、また明日」
「おう」
「えっ、あの、あれ?」
 あきのが状況を理解できずにいる間 に、俊也は前方の青信号に向かって走り出していた。あきのはその後姿を茫然と見送る。
「椋平、何ボケてんだ」
「えっ、だ、だっ て、清水くんちって、確か大麻くんと同じ方向じゃなかったっけ」
「俊也の奴は本屋に行ったぜ。頼んでた天文関係の本が入ったから取 りに行くんだとさ」
「・・・そうなんだ」
 確かに、この信号を渡って1つ目の角を曲がった所に、比較的大きな書店がある。あきのは 軽く頷いて智史を見た。
 智史はあきのの反応を確認してから、腕時計へと目を移す。
「5時半か」
 誰にともなく呟いて、智 史は再びあきのの方へと目を戻す。
 正面から見つめられて、あきのの鼓動が自然と跳ね上がった。
「あ・・・・・・え、えっと、私、こ っちだから」
 あたふたと、あきのは自分の家に繋がる方向を指差す。
「急ぐのか?」
「え?」
「いや・・・・・今日は今岡と戸 田の2人がかりで怒られて、なんか腹減ったし、椋平が良かったらつき合わねーかと思ってさ」
 智史の口から出てきた意外な言葉に、 あきのは目をぱちぱちさせる。智史は微かに眉を吊り上げてすい、と視線を逸らした。
「駄目ならそれで・・・」
「ううん、駄目じゃな い。急ぐ理由なんてないもの。ただ、大麻くんが誘ってくれるとは思わなかったから」
 あきのはたたみかけるように言って、智史の瞳を じっと見つめた。
「・・・俺がこんなこと言うのが意外だってか?」
「うん・・・・・ごめんね、失礼だよね、私」
「いや、そうでもねー だろ。とりあえず、行くか」
 智史はあきのが帰っていく筈の方向に足を向けた。
「行くって、とごに?」
「確か、こっちにそこ そこに旨いラーメン屋があった筈だから」
「あ、もしかして『天津』のこと?」
「知ってんのか」
「うん・・・時々、出前頼むから」
「出前?何で」
「・・・・・1人で作るの、面倒になることがあって」
「1人でって、親は?」
「2人とも、忙しい人たちだから。 仕事で2人とも出張、なんてのもよくあることだし」
 あきのの表情がふっと曇る。銀行勤めの父は夜が遅く、出版社の編集をしている継 母は仕事柄時間が不規則で、あきのは家に1人きり、ということは珍しくなかった。週2回は家政婦の矢野さんが来てくれて、家の掃除や夕食 の支度をしてくれるのだが、それ以外の日は、あきのは自分のことは自分でやるしかない。実母が亡くなった小学6年生の秋から、あきのはず っとこんな生活をしていた。
「・・・信じらんねー。マジでそんな生活してんのか」
 智史が呆れたように肩を竦めてみせる。あきのは 曖昧に笑った。
 何と言われようとそれが事実。違えようがないことだ。
「んじゃ、いつもはどうしてんだよ。紺谷とかと一緒なの か?」
「うん、だいたい。実香子のところにはよく泊まらせてもらったりもしてるから」
「・・・ふうん」
 智史は改めてあきのの 顔をじっと見てから、ゆっくりと歩き始めた。あきのは一瞬躊躇したが、こくんと頷いて智史の隣を歩くことにする。
 智史は特に言葉を 発しないで、黙々と歩いていく。それでも、不思議とこの沈黙の時間はあきのにとって苦痛ではなかった。黙ったままではあるが、智史はちゃ んとあきのの歩調に合わせて速度を調節してくれているのだと解った。
「・・・・・・・大麻くんって、ほんとに優しいね」
 ぽつん、と呟 いたあきのの言葉に、智史は怪訝な表情を浮かべる。
「はあ?何だ、そりゃ」
「だって、優しいよ・・・私のこと、気遣ってくれて」
「・・・・・何言ってんだか」
 智史は肩で笑うと、途端に足を速める。
「あーっ、腹減って我慢出来ねー。早く来ねぇと置いてくぞ、ほら」
「待ってよー、いきなり意地悪になるんだから」
 ぷうっと仏頂面になったあきのに、智史はくくっと笑った。




 
戻る    前に戻る   次へ