あの夏が聴こえる








 窓の外からは賑やかな歓声が聞こえてくる。今の時間だとおそらく3年生の体育だろう。
 椋平 あきのはそ んなことを考えながら、黒板の文字をノートに書き写していた。今は世界史の授業が行われていて、社会科の戸田先生が中世フランスの話 をしている。昼下がりの教室は、10月に入ったというのに西向きの窓からモロに日差しが入ってきて、かなり暑い。
 真ん中辺りの 席のあきのがそう感じるのだから、窓際の席のクラスメート達が眠くなるのも仕方のないことだと思う、のだが。
 ちらりと窓際の後 ろから2番目の席を見やって、あきのは苦笑して肩を竦めた。その席の主・大麻 智史は案の定爆睡しているようだった。
「・・・・・・じゃ あ、次のページを・・・大麻、読んでみろ。・・・大麻? 大麻!?」
 彼の後ろの席の清水 俊也がしきりに智史の背中をつつくのだが、彼は 一向に目覚める気配がない。先生も、智史が眠っていることを察して、深々と溜息をついてからこう言った。
「・・・・・清水、後で職員室 まで来いと言っとけ。ついでに、お前が読んでくれ」
「・・・はい」
 俊也も溜息をついて立ち上がる。その様子をじっと見ていたあ きのもまた、溜息をつかずにはおれなかった。




「全く・・・どうしてこうも午後になると、しかも文系の授業ばかり狙ったように眠るかな、こいつは」
「大麻くんって、文系苦手なん でしょ?」
「そうだけど、だからこそせめて授業態度くらいで点数稼いどけって言ってんだけどなぁ」
「そうだよね。でも、苦手な 授業を大人しく聞いてる大麻くんってのも想像つかないんだけど」
「椋平さん・・・それはあんまり・・・って言えないとこが智史だよなぁ」
「清水くんも大変だね、手のかかる親友がいて」
「手がかかる、かあ・・・ま、こういう姿を見せられるとそう言われそうだよな、確か に」
 授業が終わってもまだ目覚めない智史の側で、あきのと俊也はこんな会話をしていた。
 俊也と智史は幼稚園の頃からの付き合 いらしいが、あきのは、この2人と2年になってから同じクラスになったことで知り合った。俊也の方とは、共にクラス委員という立場にあっ て自然と話す機会も多い。しかし、智史の方はというと、彼自身が元来女の子と気軽に話すタイプではないし、伝達事項なども俊也の方が伝え てくれるので、ある『きっかけ』が出来るまでは挨拶すらしたことがなかった。
「さて・・・・・おい、智史、いい加減に起きろ。智史!!」
 俊也が智史の両肩に手をかけて激しく揺さぶった。何もそこまでしなくても、という勢いの俊也に、あきのは目を丸くしながら見守る。
「・・・・・・あんだよ・・・ふわぁ〜・・・まだ眠い・・・」
 さすがの智史もようやく、という感じで上体を起こし、伸びをしながら欠伸をかみ殺す。
「まだ眠い、じゃないよ。世界史、終わっちまったんだぞ、どうする気だ」
「あー?」
「戸田先生、後で職員室に来いって言って たよ、大麻くん。今頃は今岡先生にも伝わってるかも」
「げえっ!!やっべぇよ、そいつは」
 智史は苦虫を噛み潰したような表情であ きのを見る。その瞳が、先程の言葉を否定してほしそうにしていたが、あきのにはどうしようもない。
「やばいって思うんなら、眠らない で済むように努力しろよ。何度もつついて起こしたんだぞ、僕は」
「ほんとかよ」
「本当だって」
「・・・本当だよ。私、見てたもの。 清水くん、戸田先生からは見えないように一所懸命大麻くんを起こそうとしてたんだけどね、大麻くんが起きるより戸田先生にバレる方が早か ったのよ」
「!!・・・」
 あきのの証言で、智史はぐうの音も出ない。
「・・・・・ま、次の英語でまでは眠らないようにしろよ。今岡先 生の説教が長くなるだけだからな」
 俊也がそう告げた直後、6校時目の開始を知らせるチャイムが鳴り響き、あきのと俊也は自席に戻った。
 暫くして入ってきた、このクラスの担任教師でもある今岡先生は、放課後職員室に来いと智史に言い渡した後、授業を始めたのだった。




「あきのー、今日は?委員会か何かあったっけ」
 あきのとは中学2年以来の親友の紺谷 実香子が声をかけてきた。あきのに特に用事 がない時はいつも、実香子と一緒に家路につくのが当たり前になっているので、彼女は必ずあきのの都合を尋ねてくれていた。
「うん、今日 は委員会はないんだけど、清水くんと修学旅行のことでちょっと詰めとかなきゃいけないことがあるんだ。中間済んだら10日もないしね」
 口にした事柄は事実だったが、今日のあきのにはこれ以外にも学校に残っていたい理由があった。
「そっか。委員も大変だ・・・って、私が あきのを推薦したんだけど。・・・じゃあ、今日は先に帰るね」
「うん。ありがとう、いつも」
 実香子は明るい笑顔で手を振って、教室を 出ていった。それを見送ってから、あきのは俊也の席に近づき、声をかける。
「清水くん、今日、ちょっといいかな」
「どうしたの」
「修学旅行のことで話を詰めときたいことがあって」
「ああ・・・そうだね。LHR、明後日だもんな」
「うん。それまでに決めなきゃいけ ないこととかを整理しておく方がいいかと思って」
「確かに。椋平さんは時間、いいの?」
「うん、大丈夫」
「OK。・・・・・智史、ほら、 いつまでも渋ってないで覚悟決めろよな」
 俊也はのろのろと帰り支度をしている智史を促す。
「わぁーってるよ。気は進まねーけど、し ょーがねぇもんな」
 これから確実に説教されると判っていて、気が進む筈がない。自業自得とはいえ、あきのは智史が気の毒で苦笑まじりの 息をついた。
「大麻くん、頑張って、って言うのも変だけど、でも」
「ああ。・・・んじゃ、お前らも頑張れよな」
 軽く手を上げて出て 行く智史の背中を見送ってから、あきのは俊也の方へと顔を戻した。
「・・・智史のことが気になる?」
 突然の俊也の言葉に、あきのは虚を 突かれて狼狽した。
「な、何、いきなり」
「随分心配そうな表情で智史の背中を見てたから。椋平さんは智史のこと、とっつきにくいとは思 ってないみたいだしね」
 俊也の表情は穏やかで、邪な色などは微塵もない。それでも、この言葉の陰にどれ程の意味が隠されているのかを図り かねて、あきのは返答に困ってしまった。
 俊也はそんなあきのの戸惑いを、困惑した表情で察して小さく笑った。
「あ、別に深い意味はな いから。ただ、なんとなく感じただけで」
「・・・・・・・もう・・・清水くんには敵わないなあ」
 あきのは降参だ、というように首を振って俊也の 前の席の椅子を引いて座った。
「私にもまだよく解らないんだけど。・・・でも、大麻くんって、優しいよね」
「へえ・・・・・・・智史が女の子にそ んな評価されてるのを初めて聞いたよ」
 俊也は心底から驚いて、あきのの顔をまじまじと見つめた。
「・・・・・そうなんだ」
 俊也の反応 にあきのも驚いて、無造作に置かれたカバンを振り返る。
 あきのが初めて智史と口をきいたのは、1学期の期末テストが近い日のことだった。
 今日のように、智史は6時間目の英語の授業中に居眠りをしていて、今岡先生に呼び出しを言い渡された。
 その、伝言を伝えたのがあき のだった。俊也は別の用事で今岡先生と共に職員室へ行ってしまっていたから、伝達の役目があきのへと回ってきたのだ。
 その後、学校からは 少し遠いが、あきのの家からは比較的近い海辺にある公園で、智史と会った。
 その時のあきのは泣いていた。原因は4ヶ月程つき合っていた先 輩から別れを告げられた翌日だったこと。
 智史は黙ってその原因・・・身体を求められて拒んだことで別れようと言われたのだ・・・の話を聞き、ぽ つんと、あきのを力づける言葉を語ってくれた。「あんたは悪くねぇよ」と。
 正直なところ、驚いた。智史は女の子には無愛想で、その鋭い目 つき故に恐れられてしまうような人だったし、泣いている女の子を見ようものなら顔を顰めてそっぽを向くか、怒鳴りつけるかしそうな人かと思って いたから、まさか彼の口から慰めの言葉が出てこようとは、あきのには考えも及ばなかった。いや、もしかしたら、智史にはあきのを慰めようなんて いう気はなかったのかもしれない。
 それでも、あきのが智史の言葉で救われたのは事実で、以来、あきのにとって智史は『気になる存在』にな った。
 そして、智史の方も自分の顔と名前をしっかりと覚えてくれてたとみえて、挨拶は勿論、話しかけても普通に応えてくれるようになった のだが。
 今はまだ、それだけのことだった。あきの自身にも、智史が気になる気持ちが何なのかは掴めていない。
「智史との間に何があっ たのかは知らないけど、椋平さんなら大丈夫かな」
 唐突な俊也の言葉に、あきのは首を傾げた。
「何が大丈夫なの?」
 俊也はその問 いには答えず、にっこりと笑っただけだった。
「さて、仕事をやっつけようか」
「あ・・・うん」
 あきのはよく解らないまま、俊也との話 し合いを進めていった。






登場人物の名前が読みにくいようですので、ここに読み方を書いておきますね。
大麻 智史(おおあさ さとし)
椋平 あきの(むくひら あきの)
清水 俊也(しみず としや)
紺谷 実香子(こんたに みかこ)

・・・となります。よろしくお願いしますね♪




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