初めての・・・.3







「・・・成程ね・・・あきのさんって、マジお兄ちゃんの彼女なんだ」
 香穂がニコッと笑い、志穂もニコニコしている。
「え? えっと・・・香穂ちゃん? 志穂ちゃん?」
 あきのがよく解らない、という表情でいるのに、志穂が応えた。
「お兄ちゃんのこと『やさしい』なんて言ってくれた女の人、きっとあきのさんが初めてだから。それで、私も香穂も納得したなって思ったの」
「そ、そう、なの?」
 そういえば、以前俊也もそんなことを言っていた。『智史が女の子にやさしいと評されるのは初めてだ』と。
 ちゃんと口をきいた時からずっと、智史はあきのにやさしかった。厳しい言葉をかけられることもあったが、それの後ろにはやさしさがあった。だから、智史がやさしくない、と評価されることの方が、あきのにとっては妙な気がする。
「でも、きっと志穂ちゃんや香穂ちゃんにはやさしいお兄さんなんでしょ?」
 あきのがそう言うと、志穂と香穂はそっくりの笑みを浮かべた。
「うん。ぶっきらぼうで、普段は乱暴だけどね」
「そうそう。私らが本当に困ってる時とかはちゃんと助けてくれるもんね。勉強以外なら」
「・・・悪かったな。 勉強はからっきしでよ」
 Tシャツの上に無造作に綿シャツを羽織ったような格好で智史が戻ってきた。
 私服姿の智史を見るのは、夏の日の海辺での夕方以来。あの時はあまり気にしていなかったということもあって、彼の服装のことまではあまり覚えていないあきのである。けれど、今はとくん、と胸が高鳴った。
 智史はごく自然に、あきのの隣にどかっと腰を下ろす。
「香穂、お前、こいつに妙なこと吹き込んでねーだろうな?」
「もうー! お兄ちゃんってマジむかつくよ!・・・あきのさん、こんなの、ポイしちゃった方がいい かもよ?」
「何だと!?」
「香穂もお兄ちゃんも大概にすれば? あきのさん、困ってるよ」
 志穂が止めに入ったので、智史と香穂はお互いをじろっと睨んで言葉を収めた。
「志穂、香穂、そろそろ手伝ってちょうだいな」
 調理をしていた知香が振り向いて娘たちを呼ぶ。
「はぁい」
「何するのー?」
 志穂と香穂が知香の側に行ってしまったので、智史はようやく溜息をひとつつき、あきのの顔を真っすぐに見つめる。
「くたびれてねえか? あいつら、やっぱうるさいだろ?」
 気遣う視線に、あきのは微笑む。
「ううん、そんなことないよ。2人とも、可愛いもの。2人とも素直でいいよね。私、好きだわ、志穂ちゃんも香穂ちゃんも」
「・・・ならいいけどな」
 安堵したような笑みになる智史に、あきのはますます笑みを深くする。
「おばさまも、とてもやさしそうな方よね。・・・いいなって、思う」
「あきの?」
「雰囲気が凄く暖かい感じなんだもの、このお家。だから、いいなぁって思って」
 ふっと、あきのの笑みに翳が差す。
 家庭の話になると、あきのはよくこんな表情をする。笑みを浮かべているのに、あきらかにそれが作り物だと 解ってしまうような。
 あきのの実母が既に他界していることや、父親・継母が忙しくてなかなか在宅していない、週に2、3度は家政婦が来ているらしい、というくらいしか、智史はあきのの家庭のことを知らない。けれど、あきのがその家庭環境に満足していないことだけは解る。ごく当たり前の筈の、家族の団欒というものに強く憧れているらしいということも。
 今日、こうやって半ば強引にこの家に連れてきたが、それが返ってあきのを困らせるかもしれないということに、智史は気づく。
「なあ、あきの」
「・・・何? 智史」
「お前 ・・・」
「さあ、出来たわ。お待たせ、あきのさん、智史」
 知香の言葉に、智史とあきのははっとして声の方を見つめる。
 美味しそうな匂いと湯気が、テーブルの上に綺麗に並べられたお皿たちから立ち上っている。
「今夜は私がお父さんの席に座るわね。あきのさんは智史の隣でいいかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます」
 あきのはすっと立ち上がる。
「あきのさん、ここだよ」
「ここに座ってね」
 志穂と香穂が笑顔で手招きし、椅子を指し示してくれている。
 あきのも笑顔で頷き、隣に立つ智史をちら りと見上げた。
 智史はポン、とあきのの頭をごく軽く叩く。
「食おうぜ」
「うん」
 あきのは素直に席に着いた。
 見ると、白いご飯に秋刀魚の塩焼き、ほうれん草のお浸しに味噌汁と、和食が並んでいる。秋刀魚には大根おろしとすだちが添えられていた。
「凄く、美味しそうですね・・・」
「あきのさんのお口に合うといいけれど。・・・じゃあ、いただきましょう」
 知香の言葉に、智史や志穂、香穂はすっと箸を持ち上げた。
「いただきまーす」
 元気な香穂の声で、それぞれ、思い思いのものに箸をつけていく。あき のも、そっと箸を持ち上げ、知香にペコリと頭を下げた。
「・・・いただきます」
「どうぞ。召しあがれ」
 知香の笑顔に、あきのはまずお椀を持ち上げて味噌汁に口をつけた。
 どこかやさしい味のするそれは、とても温かで、あきのの胃に、というよりは心に、染み渡っていくような感じがした。
「・・・美味しい」
「まあ、そう? 良かったわ」
 知香は満足そうに微笑んで、自分も箸をつけ始める。
 あきのはお椀の中身を掴もうとして、それが実は具だくさんの豚汁だということに気づいた。
「あ・・・これ、豚汁なんですね」
「ええ、そうよ。・・・あきのさんは嫌いだった?」
「・・・いえ、大好きなんです。でも、なかなか家では食べられないから・・・嬉しいです」
 家政婦の矢野さんに頼めば、作ってもらえないこともないが、1人で食べるのは何だか味気ないし、一度作ってもらってしまうと、何食も豚汁が続くことになったりもするので、それはそれで寂しいものがある。
 だからつい、洋食系の、煮込み料理などを中心にしてもらって、余ったら冷凍して、後日に解凍して食べるということが多かった。和食を口にする機会はあまり多くはないあきのである。
 実母が 生きていた頃は、よく和食も食べていた。母が作ってくれることは晩年は少なかったが、矢野さんが作ってくれたものを一緒に食べたり出来ていた。
 今となっては叶わない、温かい思い出。そして同時に少し哀しい思い出でもある。
 知香の料理は文句なしに美味しかった。お浸しもほんのり柚子の香りがしたり、秋刀魚の塩加減も程々で、大根おろしに醤油をかけたものと一緒に食べれば、絶妙な美味しさだった。
 そして、明るい。
 志穂・香穂・知香の3人がとても賑やかで、食事の合間にも笑顔が溢れている。智史は時折話しを振られ、 ぶっきらぼうに答えていたが、妹たちや母親を見つめる瞳がとてもやさしいことに、あきのは気づいていた。
 この家族の仲の良さがよく解る。
 そして何より。
「あきのさん、あきのさんって、俊也くんと一緒に委員してるんでしょ?」
「あ、うん、そうよ」
「お兄ちゃんより俊也くんの方がやさしいと思うんだけど、ホントにお兄ちゃんでいいの? 後悔しない?」
「おい、香穂・・・! ムカつくのはお前の方だろうが!」
「ほーら、こんなですぐ怒るでしょ、お兄ちゃんは・・・あきのさんって、実は趣味が変わってる、とか」
「香穂、 それは失礼じゃない、あきのさんに。ごめんなさい、あきのさん」
「ううん、志穂ちゃん、気にしてないから大丈夫。それにしても、香穂ちゃんって面白いね。でも、凄くお兄さん子なんだ?」
「あきのさーん・・・それ、ヤバイって!」
 むくれた香穂に、志穂と知香がクスクス笑い、智史は複雑そうな、引き攣った笑みを浮かべている。
 こんな風に、ごくごく当たり前に輪に入れてもらえていること。これがあきのにとって、何より嬉しいことだった。
 出された食事を綺麗に食べ終えたあきのに、知香は微笑んでお茶を淹れてくれる。
「あり がとうございます。ご馳走様でした。凄く美味しかったです」
「あら、ありがとう。良かったわ、あきのさんにそう言ってもらえて」
 ニコニコと、温かい笑みを浮かべている知香は、継母の倫子とはまた違った雰囲気だが、何故かとても親しみを感じる。
 倫子はどちらかというとしっかり者で、それこそ、あきのとは友達のような感覚でつき合っている。だから、あきのの方も『おかあさん』ではなく『倫子さん』と呼んでいる程だ。倫子のことは決して嫌いではない。ただ、実母と同様の存在だとはどうしても思えず、「おかあさん」とは呼べないでい る。倫子の方もそんなあきのの気持ちを承知していて、名前で呼ぶことを許容してくれているのだ。
 でも、知香に対しては、なんとなく実母が重なるような、そんな気持ちを抱いてしまう。こんな女性が自分の母だったらどんなにいいだろう、というような憧れすら感じる自分に、あきのは自身で驚いていた。
 知香とは初対面であるにもかかわらず、なのだから。
 それは、志穂や香穂にも言えることで、僅かの時間を共に過ごしただけで、好きだと、彼女たちを可愛いと思えてしまっている。
 これは、智史に惹かれているせいなのだろうか?
「ねえ、あきのさん。初めてうちに来てくれたばかりのあなたに、こんなことを尋ねるのは失礼かもしれないけど」
 知香がそう口火を切ったので、あきのは軽く目を瞠り、背筋を伸ばした。
「・・・はい、何でしょうか」
「智史がね、電話してきたとき、あなたのおうちに誰もいらっしゃらないって言ってたのが気になってね・・・良かったら、教えてくれない? あなたのご両親はどういうお仕事をなさっているの?」
 あきのは一瞬躊躇したが、知香のやさしい瞳に引かれるように、ゆっくりと口を開いた。

     


           


TOP       BACK       NEXT