初めての・・・.4
「父は、銀行で働いています。・・・母は、あの、私を産んでくれた母は、5年前に亡くなっていて・・・今の母は、女性雑誌の編集をしているんです。時間が割と不規則で、取材なんかが入ると土・日もなくて・・・それは、父も同じで。接待だとか、会議だとかで、忙しくて」 話すあきのの瞳が妙に寂しそうなのを、知香は見逃さなかった。 普段、多くの園児を相手にしている知香は、子供たちの感情に敏感だ。あきののように少女から大人へと変化していく年頃の女の子であっても、その気持ちを汲み取ることは出来る。
「・・・5年前というと、あきのさんは小学生ね?」 「あ、はい・・・6年の終わり近くでした。寒い日で・・・それで、今の母はそれから2年してから、来てくれたんです。父とは、母が亡くなる前からの知り合いだったようで。・・・どうも、亡くなった母とも、繋がりがあったらしいんですけど、私は詳しいことは聞いてなくて」 「そうなの・・・大変だったのね・・・」 同情、というのではなく、ただ、あきのを労わるような瞳で見つめてくれる知香に、あきのは不思議な程の安心感を覚えた。 この人は、信用できる。 そんな直感めいた気持ち
が働き、そして、下手に心配させたくないという思いすら、浮かんできた。 あきのは精一杯微笑んでみせる。 「だから、私・・・亡くなった母は勿論、今の母も、好きなんです。忙しい人だけど、時間がある時は色々話を聞いてもらえてるし。ただ、今日は・・・関西の方で取材があって、明日にしか帰ってこないんですよ。・・・父も」 その瞬間、あきのの瞳に、暗い翳が宿る。知香はそれを見逃さない。 「父は、確か、今日は大阪で会議だったと・・・それで、明日は日曜だし、母もそっち方面に行ってるんだからゆっくりしてくれば、って
言っておいたので・・・明日、2人一緒に帰ってくると思うんですけど」 そう言い終えると、あきのの瞳の翳は消える。職業柄、もあるのだろうが、知香にはあきのの中の不安定さが理解出来てしまった。 「・・・そう。・・・ごめんなさいね、いきなり不躾なことを聞いたりして」 「あ、そんな・・・全然、平気ですよ」 ニコニコとした笑顔を浮かべるあきのに、知香も穏やかな笑みを返す。 「・・・じゃあ、まずはこれを片づけて、それから紅茶を淹れましょう。そして、あきのさんが持って来てくれたケーキをいただきましょうか」 明る
く言いながら立ち上がった知香に、志穂が「手伝う」と言って続く。香穂もめいめいのお皿を集め始めた。 「あ、私も・・・」 立ち上がろうとしたあきのを、香穂が制する。 「だめだめ。あきのさんは座ってて。だって、今日は差し入れしてくれてるんだもん。お兄ちゃんと話してて」 「でも、いいのかな・・・」 「いーのいーの。私と志穂ちゃんが手伝うから。ね? 志穂ちゃん」 そう言った香穂に、志穂は少し意地悪な笑みを浮かべる。 「香穂は滅多に手伝わないくせに。あきのさんの前だからってカッコつけて」 「あー、
バラすの禁止〜!」 「とりあえず、こっちに運んで。それから、私がお皿拭くから、香穂は片づけてね」 「判ってるよー」 仲良しの双子たちを笑顔で見つめ、あきのはそっと隣の智史に目を向けた。 智史はじっとあきのを見つめていた。いつもの通りの真摯な瞳で。 「お前んちの親父さんって、銀行員なんだ」 「あ、うん・・・なんか、智史に話す前におばさまに話すことになっちゃったね」 「まあ、そんなこたぁいいけどな。・・・けど、大阪で会議があるだなんて、ただの平行員じゃねえってことだな」 「あ・・・うん。一応、
頭取っていうことに・・・」 「・・・げ。頭取っつったら、銀行で一番偉い人だろ?・・・・・忙しい訳だ・・・」 「・・・いいの。仕事が命なんだから、あの人は」 あきのの瞳の翳は、どうやら父親のことを口にする時に顕著に現れるらしい。智史も、それに気づいた。 「お前・・・親父さんと、仲悪いのか?」 声を潜めて眉を顰める智史に、あきのは一瞬瞠目し、それからふっと苦笑した。 「・・・いいも悪いも・・・殆ど会わないもの。一週間のうちに1回、顔を見たらいい方よ、あの人は。・・・・・ずっと、そうだったわ」 「あきの・・・」 視線
を僅かに下げたあきのは、なんだか頼りなげで。智史は何を言ってよいのか迷い、言葉を失う。 親との間に溝がありそうだということは感じていた。だから、家庭の話をすると、あきのの瞳に翳がさすのだろうと思っていた。けれど、原因は明確に父親らしい。継母とは、血の繋がりがないにせよ、それなりに上手く関係を築けているらしいから。 だから、智史に父・安志の話を聞いて『いいなー』と言っていたのだろう。智史としては、すぐに拳が飛んでくる父親はあまりありがたくはなかったのだが、それでも、安志が智史をいつも気にかけ、
見守ってくれていることはちゃんと感じている。だからこそ、信頼もしている。 けれど、あきのとその父親との間には、信頼関係はないのだということだろう。父親の方はどうだか判らないが、少なくともあきのの方はは自分の父親を信頼してはいないようだ。 同じ母親を亡くしているでも、俊也は自分の父親や家族と、しっかりと信頼し合っている。あきのが1人っ子だということもあるのかもしれないが、この溝は深刻そうだと智史は思った。 「お前・・・無理、すんなよ」 やっと出てきた言葉はこんなもので。それでも、あきのは
微笑む。 「・・・ありがとう、智史。ごめんね、ヘンに気を遣わせちゃって」 「いいって。気にすんな」 智史があきのの頭をまた軽く叩く。 「うわー、お兄ちゃんってば、ラブラブだぁー」 「ばっ、か、香穂!」 ニヤニヤとした目つきで見られていることに気づき、智史は珍しく顔を赤くしてうろたえる。そんな表情の彼を見たことがなかったあきのは、目を丸くした。 「だって本当じゃん。まさかねぇー、お兄ちゃんにこんな日が来るなんてねー」 「香穂・・・お前、いい加減にしろ」 「いーじゃん。私、あきのさん、
好きだもん」 「あ、それ、私も。お兄ちゃんの彼女があきのさんで良かった」 香穂だけでなく志穂までがニッコリと笑い、そんなことを言う。 まさか、初めての対面で妹たちがここまであきのに懐くとは思ってもみなかった。 「香穂、志穂、程々にね。智史はいいけれど、あきのさんが困るでしょう?あんまり度を過ぎると」 知香にやんわり注意され、双子たちは口を噤む。 「丁度いい頃合いにお茶が入ったわ。志穂、カップを用意して。香穂はお皿にいただいたケーキを並べてちょうだい」 「はーい」 「・・・俺はどう
でもいいってか」 ぼそり、と呟いた智史に、あきのはついついクスッと笑ってしまった。 「・・・あ。笑ったな、コラ」 「あ、ごめんなさい。でも、つい・・・」 「・・・ったく・・・いいけどな」 仏頂面の智史に、あきのはやはり笑みを浮かべてしまう。 妹にからかわれ、テレている智史の姿は、普段の学校での他人を寄せ付けないような雰囲気からは想像もつかないものだ。そんな表情を見せてもらえるということは、やはり『特別』なのだと言われているようで嬉しいと思うあきのである。 あきのが買ってきたケーキを、知香と
双子たちはそれは美味しそうに食べてくれたので、あきのはそれも嬉しかった。 知香が淹れてくれた紅茶も美味しくて、あきのは驚かされた。 「ありがとう、褒めてくれて。・・・よかったら、また来てね。その時にはお茶の淹れ方を教えてあげるわ」 知香の微笑みと言葉に、あきのは瞳を輝かせる。 「いいんですか? また、お邪魔しても」 「ええ、勿論よ。智史、また連れてきてあげなさいな」 「・・・ああ」 智史も口元に笑みを浮かべる。双子たちだけでなく、母親の知香にも、あきのは気に入られたようである。 彼女
が、家族に気に入られるというのはやはり嬉しいものだ。 やがて、時計が午後9時を指そうとしていることに気づき、智史はあきのに声をかけた。 「多少心配でもあるが、そろそろ、帰っとかないとまずくねぇか? あきの」 「え、あ・・・もうこんな時間だったんだ」 智史だけでなく、知香や志穂・香穂とすっかり仲良くなったあきのは、時間のことなどすっかり忘れていた。それ程に、楽しいと思える時間を過ごしてこられたのだ。 「そうね。いくらご両親がお仕事でも、年頃のお嬢さんが深夜に帰宅、なんてことは良くないし。智史、き
ちんと送ってあげなさい」 「当たり前だ」 ごく自然に、智史はあきののリュックを持ち上げて外へ行く準備をする。 「あの、ありがとうございました。突然にお邪魔してしまったのに、色々ご馳走になって」 あきのがぺこり、と頭を下げると、知香は包むような笑みを浮かべた。 「いいのよ。気にしないで。本当に、よかったらまた来てね」 「はい、おばさま」 「あきのさん、絶対また来てね」 「私たちも楽しみにしてるから!」 「ありがとう、志穂ちゃん、香穂ちゃん。また、来るね」 あきのは笑顔で見送られ、
笑顔で手を振り返して大麻家を後にした。
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