初めての・・・.2







 途中で目についたケーキショップで、あきのは智史の家族への手土産を買った。さすがに、何もなしでいきなり夕食をご馳走になるのはあまりにも気が引けたからだ。
「そんな気遣いはいらねーよ」
 智史はそう言ってくれたが、あくまでもあきのの気持ちを尊重する形で、どういうものなら 喜ばれるかをちゃんと教えてくれた。
「智史はご両親と妹さんたちの5人家族なのね」
「ああ。多分、騒がしいと思うけど・・・悪いな」
「ううん、私、一人っ子だから妹さんたちに会うの、楽しみ。弟さんだっていうのなら、緊張しちゃうかもしれないけど、女の子だから、大丈夫なような気がするの」
 智史 のお母さんに会うのはやはり緊張するが、妹たちなら打ち解けられるのではないかとあきのは思う。
「やかましいだけだと思うけどな、俺は」
「そうなの? ・・・ねえ、妹さんたち、名前は何て言うの?」
「上が志穂、下は香穂だ。親父と母さんの名前から1字ずつ取ってつけたらしい」
「・・・じゃあ、ご両親 の名前は?」
「親父は安志、母さんは知香」
「へえ・・・いいね、ご両親の名前から字をもらえるのって」
「・・・あきのは? お袋さんの名前からもらったとかか?」
 智史に質問に、あきのは僅かに表情を曇らせる。
「・・・亡くなったお母さんは美月って名前なの。月がとっても綺麗な夜に生まれたんだって。 だから、美しい月、って書いて美月。私は、秋生まれだから、秋の野のようにやさしい雰囲気になるようにって、お母さんがつけてくれたんだって」
 視線を落とすあきのに気づいて、智史はその頭を軽くぽんぽん、と叩く。
「いい名前、つけてもらったんだな」
「・・・うん」
 儚い、けれどやさしい母の微笑 みを思い出し、あきのは僅かに瞳を潤ませた。
 もう決して戻ることのない母の面影は、時折あきのを物悲しくさせる。
「・・・次の角曲がったらすぐうちに着くぞ」
 智史の言葉に、あきのは慌てて目元を指で拭った。
 少しずつ、緊張が高まっていく。
 智史は角を曲がって本当にすぐのマンションへと あきのを案内してくれた。
 セキュリティのかかった扉を、智史は鍵と暗証番号とで開け、中へと入る。あきのもそれに続いた。
「うちは6階、俊也んちは5階なんだ」
「あ・・・そうなんだ」
 智史と俊也が『幼馴染み』だという理由が頷けた。
「ずっとここに住んでるの? 智史と清水くん」
「・・・い や、幼稚園の頃は違ってたんだけどな。小学校上がってから、ここが出来たんで、入ってみたらあいつんちも越してきてたって訳だ。その頃から、あいつのお母さん、ちょっと良くなくてな・・・」
 エレベーターに乗り込みながら、智史は抑え気味の声で話してくれる。
「元々、あまり丈夫な人じゃなかったらしいけど。 俊也の弟産んだのが相当の負担だったらしい。・・・で、2年生の終わりに近い頃にな・・・」
「・・・そうだったの・・・」
 京都で、何でもないことのように母親の死を語った俊也の中の悲しみが、あきのにはよく解るような気がした。自分もまた、母親を亡くしているから。
 けれど、きっと俊也と自分には決定的に違う ところがある。俊也には、他人ではあっても、智史や智史の家族が近くにいて、幼い彼を受け止めてくれた。でも、あきのにはそんな人はいなくて。俊也が母親を亡くした年齢よりも、自分の方が大きかったとはいえ、寂しさにはきっと大差はなかったのではないかと思う。
 でも、あきのには誰もいなかった。
 現在 仲良くしている実香子も、中学に上がってから出来た友達だ。床に臥しがちな母を気遣い、あきのは学校の授業が終わると真っすぐ家に帰るのが習慣になっていたから、放課後に友達と遊ぶということをしたことがなかったのだ、母が亡くなるまで。
 智史のような友人がすぐ側にいた俊也を、あきのは羨ましいと感じた。
「・・・いいな、清水くんは。辛くても、寂しくても、智史がすぐ側にいて」
「あきの・・・」
「私・・・ひとりだったから・・・母が亡くなって、中学に上がるまで・・・」
「紺谷は?」
「実香子とは中学に上がってから知り合ったの。小学校は別だったんだ」
「・・・そうか」
 エレベーターが6階で止まった。
 智史はそれ以上何も言わず、まずあきのを降ろし、自分も廊下に出る。そして、ゆっくりと歩き出した。
 あきのはその後ろに続く。
 程なく、智史がある扉の前で立ち止まった。表札に『607 大麻』と書かれている。
 あきのはごくん、と息を呑み、きゅっと唇を結んだ。
 いよいよ、智史の家族 と・・・・・彼の母親と妹たちに会うのだ。言い知れぬ緊張感があきのを支配する。
 智史は扉の隣のインターホンを鳴らした。
『はい、どちら様ですか』
「あ、俺。志穂か」
 智史が答えるとすぐに、内側の鍵を開ける音がして、重い扉が外に向けて開かれた。
「お帰り、お兄ちゃん」
 明るい声で顔を覗 かせたのは、智史とは似ていないようでなんとなく似ている、可愛らしい女の子だった。しかも、そっくりの顔が2つ。
「なんだ、香穂もいたのかよ」
「あ〜、人を邪魔者みたいにー。それよりさ、お兄ちゃん、そのヒトは?」
 香穂、と呼ばれた、髪を2つに結んでいる子がくりくりとした瞳を輝かせてあきのをじ っと見ている。もう1人の、ショートヘアの子は少し遠慮がちな視線だが、あきのを見つめていることに変わりはない。こちらが志穂、という名なのだろう。
「・・・こいつは椋平 あきの。俺の・・・その・・・」
 智史はそこで言いよどみ、空を睨んだ。
 好奇心丸出しの妹たちに、彼女だ、と告げてしまうのはやはり照 れくさい。
 そんな兄の心情を、香穂はしたり顔で言い当てる。
「や〜い、テレなくてもいいじゃん。か・の・じょ、なんでしょ?」
「・・・・・判ってんなら、聞くなよ!」
 ムッとして言い返す智史に、香穂は可笑しそうに笑う。
「ちょっと、香穂・・・そのくらいにしときなよ。お姉さん、どうしていいか困っ てるよ」
 志穂がそっと窘めて、あきのに向かって微笑んだ。
「はじめまして。私、大麻 志穂です。えっと・・・椋平、さん、でしたよね」
「あっ、はい。はじめまして。椋平 あきのです。今日は、突然にお邪魔しちゃって、ごめんなさいね」
 あきのも慌てて挨拶をした。
「いいえ。あんまり綺麗じゃな いかもですけど、とりあえず、どうぞ。・・・ほら、香穂、挨拶して」
 志穂に促され、香穂は何とか笑いを収めた。
「・・・香穂です。お兄ちゃんがいつもお世話になってまーす」
「ばっ・・・! 香穂、俺は別に・・・!」
「なんでよー? お兄ちゃんがこんな美人の彼女のお世話してるなんてありえないじゃん」
「香穂・・・! お前なぁ!」
「・・・智史、香穂、志穂、いつまでお客様を玄関に足止めしておくつもりなの?」
 奥から、やさしい声が聞こえて、双子たちに面差しがよく似た、温かそうな女性が姿を現した。
 あきのは自然と背筋を伸ばす。
「あ、あの、は、はじめまして。私、椋平 あきのといいます。あの、 今日は突然お邪魔してしまって申し訳ありません」
 ぺこり、と頭を下げるあきのを、その女性は穏やかな微笑みで包むように見つめる。
「はじめまして、智史の母です。・・・さあ、椋平さんも智史も疲れたでしょう。早く中にお入りなさいな。志穂、香穂、あなたたちもいつまでも通せんぼしてないで。椋平さんたちを 入れておあげなさい」
 智史たちの母親・知香は子供たちにそれぞれ声をかけて、また奥へと戻って行く。
 母親の言葉に促されるように、志穂と香穂はあきのを中へと招き入れてくれ、智史と共に靴を脱いで大麻家に上がらせてもらった。
 玄関の靴箱の上には可愛らしい陶器の一輪挿しに、淡いピンクのコスモス が飾られている。
 リビングに案内されて、あきのはそこに置かれているソファをすすめられ、そこに背筋を伸ばしたまま、腰を下ろした。
「あきの、俺は着替えてくる。・・・お前ら、あんまヘンなこと言って困らすんじゃねーぞ」
「ヘンなことって何よ!? もう〜、信用ないなぁ」
「香穂、お前が一番信用出来ね えよ」
「言ったなぁー! ホラ、さっさと着替えてくれば? 私と志穂ちゃんでお姉さんにお話聞かせてもらうんだから」
「チッ・・・! ともかく、あんま迷惑かけんなよ!」
 自室へと移動する智史の背中にアッカンベーをして、香穂は好奇心いっぱいの瞳であきのの正面に座った。
「ねえねえ、椋平さん、あき のさんって呼んでもいい?」
 屈託のない様子で話しかけてくれる香穂に、あきのはなんだか憎めないものを感じて、クスッと笑った。
「ええ、いいわよ」
「じゃあ、あきのさん、あきのさんって、ホントにお兄ちゃんの彼女、なの?」
「え? えっと・・・どういう、意味、かな」
 突然の質問は唐突で、あき のはどう答えてよいのか、判断しかねた。
「あっ、誤解しないで。ただ、不思議だなぁ、と思ったの。ねえ、志穂ちゃんもそう思わない?」
 志穂は知香の側であきのの為に淹れられた紅茶をソファの前のテーブルに運ぼうとしていた。
「あ・・・うん。ちょっとだけね。・・・あきのさん、凄く綺麗な人だから。だよね?  香穂」
「うん、そうそう! あきのさん、美人だし、どうしてお兄ちゃんなのかなって思って。なんか、お兄ちゃんには勿体ないような気がしたの」
「え、ええっ? そ、そんな・・・私なんて、全然綺麗じゃないわよ。それに、志穂ちゃんと香穂ちゃんのお兄さんは、とてもやさしい人でしょう?」
 あきのの答えに、 香穂と志穂、そして知香までもが目を丸くする。
「や、やさしいって? お兄ちゃんが?」
 香穂が身を乗り出すようにしてあきのの顔を見つめてくる。紅茶を出してくれた志穂も、じっとあきのの瞳を見つめてきて。あきのはなんだか気恥ずかしくなった。
「や、やだ、香穂ちゃんも志穂ちゃんも・・・そんなに見つめ ないで。だって・・・やさしいでしょ? 彼」
 頬を僅かに染めながらも繰り返すあきのに、香穂と志穂、そして知香は満足そうな笑みを浮かべた。

       

           


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