菜園日記2025年9月
2025/09/07 9月に入りました。 相変わらずの「夏」が続いていますが、本日は少しだけ「涼しい」朝となりました。 朝から畑へ。 トマト、ナスの支柱を整理します。ナスはまだ収穫が続きますので、短い横棒に変更いたします。 トマト、ニンニクの跡地に腐葉土、牛糞などを入れて、スコップで荒起こししておきます。 ニンジンは全く発芽してきません。敢えて、もう少し種を追い蒔き?しておきます。 あとは、草抜き、水やりをして退散いたします。 ・・・・・・ 2025/09/14 少し涼しい日曜日となりました。蒸し暑さを別とすれば、秋の空気です。 量販店で、ハクサイとキャベツの苗、干しネギを購入して畑へ。 先週、種を追い蒔きしたニンジンですが、少し発芽していました。ちょうどいい気候になってきたのかもしれません。 そのニンジンの北側にキャベツを2つ、その北側にハクサイを2つ植えます、 その畝の一番北側から、干しネギを植えました。 真ん中の畝のニンニクとトマトの跡地に化成肥料、石灰等を入れ、耕しておきます。 ゴーヤ、ナス、シシトウはまだまだ元気です。 本日もたくさんの収穫となりました。 草抜き、水やりをして退散いたします。 ・・・・・・ 2025/09/21 少し涼しい日曜日となりました。 先ず、量販店に行き、ブロッコリー、カリフラワー、スナップエンドウの苗を2つずつ買います。 畑の一番東側の畝の、先週植えたネギの南側に、北から、スナップエンドウ、カリフラワー、ブロッコリーを植えます。 真ん中の畝のニンニクなどの跡地をまた耕して、畝を作ります。 ゴーヤは終わりとします。多くの長いツルを全て取り去り、ネット、支柱を外します。なかなか時間がかかりました。ゴーヤは例年通りたくさん収穫できました。 その隣のシシトウはまだ少し置いておくことといたします。 ニンジンは全面的に発芽してきました。最近にしてはめずらしく好調です。 草抜き、水やり等々。 本日は3時間も作業を続けていました。最近にしとは、めずらしく長時間です。 ・・・・・・ 2025/09/29 9月も終わります。 本日は家の冷蔵庫がちょっと故障したために、その対応でバタバタしていて、畑は昼からとなりました。 初めに量販店に行き、シュンギクとミズナの苗、そしてダイコンの種を買って畑へ。 ニンニク、ナスの跡地に、北からシュンギク、ミズナ、ダイコンを植えます。 西側の畝の、キュウリ、ゴーヤの跡地に、化成肥料、石灰等を入れて耕し畝を作成いたします。 シシトウ、ナスを収穫。 畑は、少しずつ秋の景色となってきました |
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私はこの菜園日記のページの中に昔日の記録やいろいろと想うことなどを書いていますが、菜園のこと自体をあまり書いてこなかったことに気づきました。 菜園を始めたのは、2003年(平成15年)の5月からですので、現在22年と半年近くを経過したことになります。 飽きっぽい私としては、奇跡的な年月です。 (私はまた大変なメンドクサガリ人間でもありましたが、菜園はメンドクサガリではできない部分も多々ありますので、その点も改善してくれたものと思っています。) 当時の私は京都市役所の職員でしたが、ある日「園芸ひろば」の利用者募集という市職員厚生会からの案内文書が配られてきました。 もちろん、その年からスタートした事業ではなく、以前から存在し何度も募集が繰り返されていたものと思いますが、私はそれに気づかないでいたのか、あるいは気づいていても何の関心も持たず記憶に留まらなかったのでしょう。 しかし、その時の私はどういう風の吹き回しか、その事業に非常に興味を持ち応募しましたら当選することとなりました。 私の22年間に及ぶ菜園生活のスタートです。 その畑は、京都市北区西賀茂、上賀茂神社の近くにありました。 それまで畑などと全く縁のなかった私は、畑を下見に行き、クワなどの道具や野菜作りに関する本などを大量に買い込み、先ずはイメージトレーニングです。 そして、許可された日が到来しますとさっそく畑に行き、見様見真似で土を耕し畝を作りました。 畑の使用開始は5月でしたから、キューリやナス、トマトなど定番の夏野菜の苗を植え、またまた見様見真似で支柱を立てたりいたしました。 初めの時は、ナスが、キューリが、トマトが、採れること自体が大きな驚きであり喜びでした。 夏野菜の株が上へ上へと大きく伸びることに驚いたり喜んだりしていました。 冬野菜の時期には、小さな小さな種からダイコンのような太く長い野菜ができることに驚いたり喜んだりしていました。 職員厚生会のこの事業は、しかし、その後厚生会事業の縮小の波に押され、2009年(平成21年)3月末をもって廃止されることとなります。 しかし、我々はこの畑の土地の持ち主と直接契約する形で菜園を継続することができました。 その後もその形で畑を続けていましたが、この畑とは離れるときがきます。 当時、私の区画の隣に新たに来られた方が、まあ非常に無神経な方で、自分の道具などを幾つも私の区画に置いたり、野菜の残滓をこちら側に投棄したりという事態等々が続きました。 そのような中で、ストレスを貯めながら畑を継続することもちょっと嫌になりましたので、私は新しい場所を求めることといたしました。 ネットで探した結果、京都縦貫道沓掛インターチェンジ近くの畑をお借りすることとなりました。 2018年(平成30年)9月のことです。 西賀茂の畑には15年間お世話になったことになります。 この畑では、前の畑のように道具などを自前で用意することは原則不要で、農具、肥料が一定供えられ、水道の設備もあり、トイレも設置されていました。 (前の畑では、近くの公園の水道やトイレを利用しておれました。) しかし、この畑を事業として展開する企業=株式会社マイファームはかなりの無責任会社で、私の借りている場所が借り主の減少で収益が減少という理由により、あっさりと突然廃止が決まりました。 11月の時点で、来年1月末をもって当場所は閉鎖と言われました。 ここでの畑作業は、わずか数か月となりました。 ほとんど全く何の収穫もなく、育ちかけている苗もそのまま放棄することとなりました。 この会社は、テレビなどでも大きく取り上げられたり、ある自治体と共同事業をしたりとその方面には非常に長けていた企業と思われますが、その実態はこのように困ったものでした。 関係者の間でも、なかなかのうわさが広がったりもしていました。 まぁしかし、仕方ありません。 またネットで新たな畑を探しました 幸いなことに現在お世話になっている京都は西京区大原野の地で農家の方が直接運営しておられる場所を見つけることができました。 菜園生活の再々スタートです。 農具なども完備してあり(今まで見たことのなかった道具なども利用できるようになりました。)、肥料などもいろいろと多くの種類を用意していただいています。 水道の設備やトイレなども充実しており、畑を借りる立場としては非常に楽に楽しく過ごさせていただける場所です。す。 畑の区画面積も(狭いながらも)今までで最大で、京都西山の麓の自然に囲まれ、伸び伸びと菜園生活を楽しんでおります。 また、畑の大家さん、他の借りておられる皆さんとも親しくさせていただいています。 ここは2019年(平成31年)の春から利用開始となりましたので、現在は7年目となります。 菜園を始めてからのトータルとしては、初めにも書きましたが22年と半年近くを経過したことになります 菜園で学ぶことは多くありましたが、私にとって最大のものは、毎年繰り返されることの偉大さ、素晴らしさです。 若い頃の私はそのような変化のない繰り返しを嫌ってもおりました。 今では、前年と同じ景色の中に前年とは違う景色があり、それが繰り返される中に、前年と同じ、あるいは前年とは異なる自分が存在するという時空間の在り方に、大いなる偉大さ、素晴らしさ、かっこよく言えば人生の面白さを感じてしまいます。 あと何回、この繰り返しを楽しめるかどうか分かりませんが、楽しみな繰り返しではあります。 |