菜園日記2025年2月



2025/02/02

 2月に入りました。
 2月初めの節分の日の日曜日です。
 朝の内は少し雨が残っていましたが、昼から畑へ。畑の土も大分湿っていましたので、ほぼ収穫作業だけとなりました。
 ブロッコリーはここにきて、それなりに側花蕾がたくさんできています。
 ダイコン、葉物野菜など収穫。
 少し草抜きをして、退散いたします。

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2025/02/11

 先週1週間は、日本中が大寒波に包まれ、京都市街地でもそれなりの積雪がありました。
 寒さが緩むのを待ち、本日昼から畑へ。
 エンドウがかなり伸びてきましたので、本支柱を立てます。ただ、エンドウは春に突然立ち枯れすることもありますので、先行きは不明です。
 大きくなったハクサイを収穫。今年はハクサイは1つだけ植えましたが、無事収穫できました。
 芽キャベツを数個収穫。芽キャベツがこんなに採れるのは初めてのことかもしれません。
 その反対にねキャベツやブロッコリー、カリフラワーなどは相変わらずの状態です。
 葉物野菜、ダイコンを少しずつ採って撤退です。

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2025/02/16

 京都マラソンの日曜日、昼から畑へ。
 キャベツやブロッコリーなどが何かの動物にかなりかじられていました。穴の大きさからみると、鳥につつかれたのかもしれません。
 そういうこともあって、小さなキャベツ2つを早めに収穫いたします。
 あとは、ブロッコリー、葉物野菜など少しずつ収穫。
 他の方の畑も、今年は極端な気候であまり冬野菜が育たないためなのか、早くも次に向けて耕しているところが多くなっています。

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2025/02/22

 また大寒波が押し寄せてきました。
 本日、畑へ向かうのと同時に、みぞれ交じりの雪が落ちてきました。
 畑に到着し、ダイコン、ネギを抜き、葉物野菜を少し収穫して退散することといたしました。
 野菜が鳥につつかれる被害はまだ拡大しているようです。他の畑も同じようになっているところが少なからずありました。
 たまたま先日テレビで見たのですが、ムクドリが犯人のようではあります。



   
 



 今年は厳寒の2月となりました。
 京都の市街地にも積雪があり、畑の野菜は寒さのため例年のようには育ちません。

 そんな中でふと思ったのですが、2月というのはなかなか面白い月ではないでしょうか。
 各月の日数は、ほぼ半々の割合で30日間(小の月)か31日間(大の月)となっていますが、2月は(閏年を除けば)大の月(31日間)から3日も少ない28日間です。
 1年は365日ですから、私の計算が正しければ小の月が7回と大の月が5回でちょうどの日数となりますが、実際には、大の月が7回、小の月が4回、そして28日間の2月で構成されています。
 何故なのでしょう。

 少し調べてみましたら、
「古代ローマで使われていた暦において、現在の2月にあたる月が1年の終わりの月だったため」
という説が紹介されていました。

 時代や地域によって、それぞれの月の日数も1年の日数の端数処理の調整方法もいろいろとあったようですが、まぁ1年の最後の月である当時の2月でそれを調整しようとしたことが現在の2月の日数に関係しているということのようです。
 この辺の地域ごとの歴史や暦の変遷ぐあいなどを追っていきますとかなり煩雑で輻輳しており、私の軟弱な頭脳ではなかなか追いつかないのですが、この説はまぁなんとなく理解できます。

 しかし、一方で(現在の)2月は1年の始まりの月でもありました。
 旧暦(太陰太陽暦)の1月1日は、新暦の1月1日とは日付が異なりますが、それは新暦に換算するとだいたい1月21日~2月20日頃になります。

 最近、インバウンドとの関係でマスコミなどで毎年大きく取り上げられる中国の旧正月である春節ですが、2025年の春節は1月29日でした。
 春節は新年を盛大に祝う祝日ですが、この「祝日」という意味では、中華人民共和国中央人民政府が毎年11月上旬に春節の大型連休の日程を決めて発表しているとか。(中国では党が暦を決めるなどといわれる由縁でもあります。)

 また、暦のことをいろいろと考えていますと、何故1月1日が1月1日なのかと不思議に思うことがあります。
 変な表現をいたしましたが、何故冬のその時期に1年がスタートするのだろうかという疑問です。

 これもまたいろいろな説がありますが、私的には、冬至の後の新月から1年を始めようとしたという説が一番しっくりくるように思えます。

 日が最短の時から長くなり始める、月が見えない状態から満ち始める、寒く長い冬の時期には活動もできずジッと耐えているしかない時代の人々にとって正に「始まりの時」にふさわしい時点であったのではと感じられます。

 さて、現在の2月といえば、日本の2月には「建国記念の日」(2月11日)が存在いたします。

 先ずは言葉的な問題ですが、それは「建国記念の日」であって「建国記念日」ではありません。
 「記念日」とは、歴史的事実として日付が確定している日を記念するという意味があり、「記念の日」とは、日付が確定していないけれどそのことを記念する日という意味になるということのようです。

 例えば、アメリカ合衆国の建国記念日は7月4日の「独立記念日(Independence Day)」です。
 これは1776年7月4日に独立宣言が採択され、イギリスとのつながりを断ち切って独立国家が誕生したことを祝う日です。

 日本の建国記念の日は、初代天皇とされる神武天皇の即位日である紀元前660年1月1日(旧暦)を新暦に換算した2月11日に制定された国民の祝日です。
 もともと明治時代に日本の起源を祝う動きが起こり、神武天皇の即位日を「紀元節」として祝日としました。
 戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向で紀元節は廃止されましたが、その後「紀元節」復活の動きが高まり、1966年に「建国記念の日」として制定されたものです。

 ここでも、神武天皇の即位日が「1月1日」とされていることは、ある意味不思議であり面白いところでもあります。

 さて、神武東征の伝承によれば、神武天皇は、天孫降臨の地九州は日向から大和奈良の橿原に移り、そこで初代天皇として即位したわけですが、何故天孫降臨の地が九州であったのか、そして東征の終点が何故奈良であったのか、興味深いところではあります。
 この物語に関しては莫大な研究等々が存在しており、私などが軽々に「とんでも本」的私論を延べる余地はありませんが、少し与太話をしたい気持ちもあります。

 私は、よく瀬戸内海の島々を訪れたりしていますが、いろいろな場所で神武天 皇の出生につながる、主には九州において伝承されている物語と重なる話が存在しています。

 誰もが知る山幸彦・海幸彦の物語ですが、例えば瀬戸内海に浮かぶ男木島の伝説によりますと、山幸彦は失くした釣り針を探して男木島にたどり着き、ここで海の神の娘・豊玉姫と出会い、二人の間に男の子が生まれます。
 この男の子の子供が神武天皇です。

 この物語の舞台は南九州、とりわけ宮崎の青島が有名ですが、瀬戸の島々にもこの物語にまつわる神社、地名、伝説等が多く残っています。
 男木島以外の島々でも興味深い伝承が多く伝えられています。

 私の与太話的空想では、おそらく、初代天皇に連なるであろう部族、集団が、長い時間をかけて瀬戸内の海を渡り、海に生きる部族、集団と交わりながら奈良にたどり着いたのではないかと思ったりいたします。

 神武天皇の祖母、母も(海に棲む)「サメ」あるいは「ワニ」であったと伝えられていますが、その意味はこのようなことだったのかもしれせん。

 ワニとは舟のことだという説もあるようです。

 ちなみに、香川県象頭山の中腹から瀬戸内海を見守る金刀比羅宮は、古くから「海の神様」として親しまれていますが、金毘羅とも呼ばれています。
 この金毘羅は、サンスクリット語の「クンビーラ(Kumbhīra)」が語源で、「ワニ」を意味しています。

 閑話休題。

 さてさて、2月は1年の最後の月であったとか、また1年が始まる月であったとか、浅学な私は混乱するばかりですが、繰り返す1年という意味では、最後と最初は連続しているのでしょうから、そういうこと?!なのかもしれません。

 少なくとも、日が長くなり始める時点から、暖かな陽の下で諸活動が可能となる春が到来するまでの連続性の中で、最初で最後たる2月がいろいろな表情を見せるのでしょう。


2月末の畑の様子



ネギ


ニラ

キャベツ

コマツナ

芽キャベツ

キャベツ

ブロッコリー



ダイコン

 ニンニク




ブロッコリー

カリフラワー

ケーブ

キャベツ





チンゲンサイ

シュンギク

ホウレンソウ


タマネギ



エンドウ




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