菜園日記2025年1月



2025/01/05

 年が明けました。
 新年初めての畑です。
 私的には、いつもの曜日にいつもの時間に畑に行きましたがいつもとは違って、多くの方が畑に来ておられました。
 畦道ですれ違うごとに、新年の挨拶をします。
 今年も楽しい畑にしたいものです。
 畑は、少し寒々としていましたが、皆元気に育っているようです。
 葉物野菜などを採り、草抜き、水やりをして退散いたします。

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2025/01/12

 全国女子駅伝の開催される日曜日。
 だいたいどの辺りが何時ごろに交通規制されるかは見当がつきますので、それに合わせて畑へ。
 この時期は、畑仕事もそれほど多くはありません。ダイコンや葉物野菜などを収穫。
 急に寒い冬が到来したためか、ブロッコリーなど明らかに生長が遅くなっています。
 ダイコンが大きくならないのは他に理由があるのでしょうか?
 全体的には皆元気な様子です。
 草抜き、水やりをして、また交通規制が終わるのを待って帰宅いたします。

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2025/01/19

 暖かな日曜日となりました。昼から畑へ。
 ダイコンを2本。今年のダイコンは、あまり大きくならず、形もよくありません。
 チンゲンサイは良く育った株を3つ収穫できました。
 芽キャベツも大きくなってきましたので、数個収穫。芽キャベツを採るのは数年ぶりでしょうか。
 コマツナなど葉物野菜を収穫。
 ブロッコリーは相変わらずの生育の遅さですが、側花蕾を数個確認することができました。
 後は、草抜き、水やり等々。

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2025/01/26

 冬晴れの日曜日となりました。しかし、それほど寒くはなく、昼から畑へ。
 ブロッコリーは頂花蕾、側花蕾、数個の収穫です。
 キャベツも大きなものが採れました。
 ダイコンは、相変わらず大きくなりませんが、2本を抜きます。
 あとは葉物野菜を少しずつ収穫。
 ネギも、例年と違い、なかなか生長のスピードが遅くなっています。
 草抜き、水やりをして退散いたします。



   
 



 バンド仲間とのちょっとしたメールのやり取りの中で、昔日のテレビ番組「コンバット!」の話題が出て少し盛り上がりました。
 「コンバット!」は我々年代の人間であれば、一度は見たことがある番組だと思います。

 「コンバット!」(「Combat!」)は、米ABCで1962年から1967年まで放送されたアメリカのテレビ番組で、第二次世界大戦下での、アメリカ陸軍歩兵連隊のある分隊の活躍を描いているものです。
(「!」がついているのが正式名称のようです。)

 日本でも全152本が放送されました。
 日本においてはTBS系列で1962年11月から1967年9月まで、水曜20:00というゴールデンタイムに放送されて人気を博しました。

 多くの人にとって最も印象深い登場人物はサンダース軍曹だと思いますが、軍曹を演じていたヴィック・モローが私の小学生の時に京都に来て、南座の前で大観衆を集めていたと記憶しています。
(これは、しかし、平日の学校のある時間帯で私は行けませんでした。親戚のお兄ちゃんが、私のことをヴィック・モローによろしく伝えたよと言ってくれたことを信じて喜んでいたことを覚えています。)

 この作品は、舞台がヨーロッパ戦線(主にフランス?)であり、戦闘シーンよりも一種の人間ドラマとして描かれていた部分が大きかったので、敗戦後間もない日本でも広く受け入れていたのでは、と当時の小学生ではない、今の私は思ったりしています。

 いずれにしろ、そんな時代の懐かしいテレビ番組ではありました。

 当時はテレビの黎明期でもあり、外国のドラマも多く放送されていましたが、日本の番組もたくさん生まれていました。

 私的には、幼少の頃、一番お気に入りのテレビ番組は「少年ジェット」であったかもしれません。

 「少年ジェット」は、雑誌『ぼくら』に1959年2月号より3年間連載された武内つなよしの漫画作品、及びそれを原作とするテレビドラマです。
 武内つなよしは「赤胴鈴之助」で大ヒットを飛ばした人気漫画家であり、この作品はもともとテレビドラマ化を前提とした連載でありました。

 私は当時、定期購読していた漫画雑誌は『少年画報』でしたので『ぼくら』の漫画作品自体はあまり記憶がありません。

 テレビでは、1959年3月から1960年9月までフジテレビにて放映されたということです。また1962年8月から1963年1月まで続編「新少年ジェット」が放映されたとのこと。

 名探偵・船越宏の助手である少年ジェットは白いマフラー姿でオートバイに乗り、シェパードの愛犬シェーンとともに国際スパイや怪盗などの悪人たちに立ち向かいます。
 少年ジェットの武器は拳銃に似た「スーパーコルト」、必殺技は「ミラクルボイス」。
 スーパーコルトは引き金を引くと相手をしびれさせ、ミラクルボイスも「ウー、ヤー、ター!」と大声を出して震動を起こし敵を失神させる技です。
 当時の勧善懲悪ストーリーですから、拳銃で悪人を撃ち殺すようなことはしません。

 当時、ミラクルボイスは大人気となり、「ウー、ヤー、ター!」は流行語となりました。

 「ウー、ヤー、ター!」は私も一生懸命練習しました。
 後々の世代が「かめはめ波」を本気で練習していたのと同じです。
 「シェーン、行くぞ!」の掛け声もよく覚えています。

 当時は、「少年探偵」ものが大流行でした。
 私は、何かの雑誌の付録についていた「探偵手帳」(?)なるものを持って妹を引き連れて家の近くを巡回警備し、畑や空き地を指さしては「異常なし!」と日々点検に励んでいたことを今もよく覚えています。

 少年向けテレビ番組は、当時、次から次へと生み出されました。
 その中で、私的には非常に気にいっていて今もよく覚えている作品なのですが、周りにあまり賛同者のいない番組が「海底人8823」です。
 今でもその主題歌を覚えているのですが、その歌の一部を同年代の友人などに披露しても皆の反応はあまりよくありません。

 調べてみますと、「海底人8823」は、1960年に製作された特撮テレビ番組で、大映テレビ室製作。1960年1月から6月まで、フジテレビ系で放映されたようです。
 放送期間はほほ半年しかありません。再放送がどうであったかはよく分かりませんが、その辺が多くの人に馴染みの薄いものになっている理由なのかもしれません。

 ストーリーとしては、ある日中学生の勇少年が、倒れていた海底人を介抱したことから、彼・エルデ10008823、通称ハヤブサを呼ぶ笛を渡されることに始まります。以来、勇少年がピンチに陥るとハヤブサが登場するという冒険活劇です。
 50万年前に太平洋に高度な文明を築いていたエルデ大陸は、地球を襲った大異変で海に沈んでしまいましたが、生き残ったエルデ人たちは、海底に高度な科学文明を築きあげていました。
 そこから陸の調査にやってきていた海底人・・・という設定です。

 海底人はみな同じ顔という設定や、光線銃の先がクルクル回っていたり、海から飛び出してくるシーンに逆回しを使用するなど、一種独特なカルト的な魅力があったと評されています。

 このハヤブサを呼ぶ笛の「ヒョロヒョロ―」(?)という音もよく覚えています。

 この笛は「30000サイクルで鳴る笛」でありました。当時周波数はヘルツではなくサイクルで表していたのです。
 30000サイクルなので人間の耳には聴こえませんが、8823はその音を聴くと現れます。
 ハヤブサだけでなく、テレビを見ていた私にも聴こえていました!?

 この他にもいろいろな番組がありました。

月光仮面
実写版鉄腕アトム
まぼろし探偵
七色仮面
ジャガーの眼
怪傑ハリマオ

 昭和30年代は、子供向けヒーローテレビドラマの全盛期でした。

 実写ドラマ以外にも懐かしい番組はいろいろと思い浮かびます。
 私の場合、特には以下の3つ。

ひょっこりひょうたん島
宇宙人ピピ
魔法のじゅうたん

 また機会がありましたら、他の作品のことも書きたいものです。

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 付)敗戦後間もない時期から高度経済成長の時期を迎え、そんな時代であったからこそテレビが急速に拡大し、我々の意識それ自体も大きく拡大していったものと思います。

 昭和28(1953)年にテレビ本放送が開始。
 先ずは街頭テレビという形で登場した白黒テレビ。プロレスの放送に群がっていた人々の様子は当時の記録映像などに必ず出現する光景です。
 国産第一号のシャープ製14型白黒テレビは当時の価格で17万円(今の価格に単純計算すると、約500万円!)という超高級品でありました。
 昭和30年代に入って始まる高度経済成長の波に乗って、白黒テレビの普及率が急激に伸びるのが昭和34(1959)年頃。当時の皇太子・昭仁親王と正田美智子さんのご成婚パレードを一目見たいと多くの家庭に白黒テレビが「降臨」したと言われています。
 この頃にはちょうどテレビ1台の平均出荷金額(約4万円)が一世帯当たりの月間可処分所得の平均を下回るようになって、一般的な家庭でも手が届く家電となったということです。


1月末の畑の様子



ネギ


ニラ

キャベツ

コマツナ

芽キャベツ

キャベツ

ブロッコリー



ダイコン

 ニンニク


ハクサイ

ブロッコリー

カリフラワー

ケーブ

キャベツ

レタス



チンゲンサイ

シュンギク

ホウレンソウ


タマネギ



エンドウ




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