菜園日記2024年9月
2024/09/01 9月1日、長く影響を及ぼした低速迷走台風がなんとか遠ざかったようです。 朝から畑へ。 台風のせいか、比較的気温も低いようでしたので、トウモロコシの跡地に化成肥料、石灰などを入れて耕し、畝を作成。 畑は全体的に水を含んでいましたが、支柱などには影響は見られません。風はそれほど強くはなかったようです。 ナス、ゴーヤが豊作。 キュウリも数本採れました。 ピーマンは完全に枯れていましたので、撤去いたします。 シシトウはまだまだ元気な様子です。 ニンジンは1本だけが少しずつ大きくなってきました。また追加で種を蒔きます。 ・・・・・ 2024/09/08 またまた暑い日が続いていますが、そろそろ秋・冬野菜の準備も本格化しなければいけません。 朝から量販店でネギ苗とダイコンの種を購入して畑へ。 トウモロコシの跡地にネギを植えます。 シシトウを終わりにします。 ピーマンとシシトウ、玉ねぎの跡地に、化成肥料、石灰、鶏糞などを入れて耕し、畝を作成。 通常は、腐葉土などを入れて荒起こしし、その1週間後に肥料などを入れて耕し、その1週間後に苗などを定植しますが、この暑さで作業が遅れぎみですので、今回はちょっと省略形といたしました。 耕している時、なかなかの暑さを感じていましたが、帰路、五条大橋に掲示されている温度計を見ますと、39度ということでした。なかなかです。 ナス、ゴーヤなど相変わらずの豊作。 キュウリも少し採れましたが、いよいよ終わりかもしれません。 水を十分にやって、退散です。 ・・・・・ 2024/09/11 暑い暑い「残暑」が続きます。 朝から畑へ。 ナスとトマトの支柱を取り去ります。 トマトは早くに終わっていましたが、ナスはまだまだ続きますので支柱をそのままにしておきました。それを撤去し、ナス用に別の支柱を設置いたします。 トマトの跡地に腐葉土を入れて荒起こししておきます。 ナスを大幅に剪定。 ナスとゴーヤを数個ずつ収穫。 水をやって退散いたします。 ・・・・・ 2024/09/21 今週から少し涼しくなるということでした。 昼から量販店で、ブロッコリーとキャベツ×2、芽キャベツの苗を買って畑へ。 トマトの跡地に、南からブロッコリー、キャベツを2種、そして芽キャベツを植えます。(日記が少し洩れていますが、9/15にこの場所に肥料などを入れて耕しています。) 昨年、久しぶりに芽キャベツを定植しましたが、上手くできませんでした。今年はそのほろ苦い味を楽しみにしています。 キュウリの跡地に、腐葉土、化成肥料、石灰などを入れて耕し、畝を作ります。 猛暑で作業が遅れていますので、この場所も省略パターンで進めます。 ズッキーニを終わりにします。 ズッキーニの跡地に、腐葉土、牛糞を入れて荒起こししておきます。こちらは、非・省略モードです。 ゴーヤとナスを数個ずつ収穫。ゴーヤもナスも、虫に食べられて穴が開いているものが増えてきました。 ダイコンはまだ発芽していません。猛暑でダメになった可能性もあります。 草抜き、水やりをして帰宅です。 |
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小豆島に「犬の墓」というものがあることを地元の方のSNSで知り、この夏=2024年7月に訪れてきました。 小豆島の南に伸びる三都半島の先端近くに、たいへん立派な墓がありました。 横には説明板も立っていました。 その内容は次のようなものです。 ある日猟師が愛犬を連れて鹿を狙っているとき、その背後から大蛇が襲いかかろうとしていた。 それに犬が気付いて激しく吠えたため鹿は逃げてしまい、大蛇に気付いていない猟師は犬を叱った。 その時、犬が大蛇に噛みついて闘い、なんとか退治したものの相討ちとなって死んでしまった。 猟師は犬に助けられたことを悟り、墓を建てて供養した。 この犬の墓を訪問したことについてはSNSにもアップいたしました。 しかし、私はこの墓を見た時に、ちょっとした違和感を味わっておりました。 この感覚についてもSNSに書き込みました。 その違和感は何かといいますと、説明文の内容は理解できるのですが、そのことによってこのようにとても立派な犬の墓が作られ長く守られていることに対するものでした。 SNSにアップした内容について、その後いろいろ方からコメントなどをいただきました。 それらを読ませていただいたり、またさらにこちらからも質問したりして気づいたことがありました。 それは、この話はここ=小豆島だけの話ではないのではないかということです。 さっそくググってみましたら、そのとおりでした。 先に紹介した話の内容とほぼ同一の内容で犬の墓が設置されているところはかなりの数があります。 そして、それらの話の「基本形」ともいうべき昔話も存在していました。 例えば、 山梨県の昔話「狩人と山犬(山犬と大蛇)」 徳島県の昔話「赤松の犬の墓」 この2つの昔話は概ね次のような内容です。 飼い主が愛犬を連れて狩りに出かけましたら、夜になって犬が急に騒ぎ立てるのです。 普段とはとても違う犬の様相に飼い主は困惑してしまい、自分を襲うつもりなのかと恐ろしくなって、なんと愛犬を殺してしまうのです。 しかしその直後、殺した犬の首がまさに飼い主を襲おうとしていた大蛇に食いつきます。 犬はこの大蛇から飼い主を守るために、騒ぎ立てて危険を知らせていたのです。 そんなことを知らずに犬を殺してしまった飼い主はたいそう悲しみ、犬の遺体を連れ帰って供養しました。 小豆島に伝わる話と非常によく似ています。 類似の「伝説」は日本全国に存在しているようです。 八雲神社(三重県) 義犬塚(三重県) 犬上神社(滋賀県) 大瀧神社(滋賀県) 多賀大社(滋賀県) 犬鳴山・七宝滝寺(大阪府) 糟目犬頭神社(愛知県) 円照寺(千葉県) 等々・・・・・・ 一つに、滋賀県多賀町の犬上神社。 ここでは「お墓」ではなく、大瀧神社の境内神社として祀られています。 由緒としましては、ミコトが狩りに出られた時、大蛇に食べられそうになったのをその飼い犬に助けられたことから犬を祀った神社ということです。 猟師と飼い犬という設定ではなく、「ミコト」が登場します。しかし、狩りというシチュエーションは同じです。 面白いのは、この大瀧神社の周辺に伝わる「犬胴松の伝説」です。 その昔、犬上神社の祭神、稲依別王が狩に出て昼寝をした折、大蛇に頭上から狙われたが連れていた犬が吠えた声で目を覚ました。 稲依別王は、犬のやかましい吠え声に思わず太刀で犬の首をはねてしまった。その首は大蛇の頭に噛みつき、そのまま一緒に川に落ちて大蛇は死んだ。 王は命を守ってくれた忠犬の首をはねたことを悔やみ、この地に弔いの松の木を植えた。それが犬胴松の伝説として残っている。 ここでも「祭神」という登場人物以外の設定は、非常によく似ています。 このような話が全国的に存在していることはなかなか不思議で興味深いものです。 伝説の出所はよく分かりませんが、犬神神社やその周辺に伝わるように「ミカド」や「祭神」という存在が1つのヒントになる気がしています。 歴史的に「犬飼」という仕事が存在していたようです。 「犬飼」はもともと朝廷の御料(狩)の猟犬を育てる係として成立したということです。 狩、猟犬というこの話のキイワードに連続します。 その後「犬飼」は、その性格上様々な警備役についていったようです。 例えば、米蔵の番人、蚕の番人、宮殿の門番そして水門の警備等々・・・ この水門、川が神話などでもよく比喩されているように「大蛇」ではなかったのかと考えられるのではないでしょうか。 上に書いた「犬胴松の伝説」で犬の首と大蛇が一緒に「川」に落ちて・・・というシーンが何かを象徴しているようにも思えます。 昔日のことですから、水の管理(川の氾濫など)、また農業用水としての水をめぐるトラブルなどは極めて重大な事案であり、そこで「犬飼」は重要な役割を果たしていたのでしょう。 そのような中で、水に係る警備の仕事をしていた犬の働きを大きく評価して死後に丁寧に供養していくことにつながったのではないでしょうか。 この話はしかし、調べれば調べるほど大きな歴史の沼にはまってしまいそうで、私の力量をはるかに超えてきました。 今回はこの辺りでとどめておきたく思います。 |
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