菜園日記2024年8月
2024/08/04 8月に入りました。 例年に増して、異常な暑さの夏となっています。 朝から畑へ。 畑は流石にカラカラ状態でした。そのためかどうか、雑草もあまり伸びていません。 新たに植えたキュウリに実が1つ。 ナスなどはちょっと休止状態の感じです。 ゴーヤ、ズッキーニ、シシトウ、ピーマン、トマトなどを収穫。 たっぷりと水やりして退散いたします。 ・・・・・ 2024/08/09 水をやりに早朝から畑へ。 畑はカレカレかと思っていきましたが、意外に皆元気でした。 夕立があったからかもしれません。 自宅の方では、激しい雨もありましたが、最近の集中豪雨は、極めて局地的に降りますので、畑の方に降ったかどうかは想像しにくいところではあります。 キュウリも元気に大きくなって、実をつけていました。 トマトはそろそろ終わりの感じ。 などなど。 本日は、水やりをして早々に退散です。 ・・・・・ 2024/08/11 異常な暑さが続きます。 朝から畑へ。 トマトは完全に枯れ枯れ状態でした。最後の実を採り、株は根元近くを切っておきます。 残ったキュウリ2本の内、1本は元気に大きくなり、今日も実をつけています。 あと1本はなかなか伸びず、花も咲いていません。 この酷暑のためか、生命力強く、生長も早いはずのツルムラサキもなかなか大きくなりません。 ナスも夏のお休み状態。 シシトウ、ピーマンもそろそろ終わりでしょうか。ゴーヤは青々と元気です。 たくさん水をやって退散いたします。 ・・・・・ 2024/08/15 早朝から水やりに向います。着いてみると、こちらの方は昨日それなりの雨があったようで、土はかなり水を含んでいました。 後から植えたキュウリも2本とも実をつけています。 ゴーヤはますます元気。 ピーマンとシシトウは赤い実をつけていました。完熟しているとこのような色になるとか。 水を撒いて早々に帰ります。 ・・・・・ 2024/08/17 朝から畑へ。 今日は「涼しい」と言ってもいいくらいの気温でした。 こんな時に・・・とトウモロコシの跡地に腐葉土と牛糞を入れて荒起こししておきます。 トマトを処分し、そこに張っておいた鳥よけネットも撤去いたします。 ナスがたくさんの実をつけていました。 ゴーヤも同じく。 2度目に植えたキュウリの内2本は元気に少しずつ伸び、それなりの実をつけています。 シシトウも、実が小さくなってしまいましたが、30個ほど収穫。シシトウもピーマンも実が赤いものが増えてきました。 たくさん水をやって退散いたします。 ・・・・・ 2024/08/24 朝から畑へ。 何日間か比較的涼しい日がありましたので、そろそろ・・・と思っていましたら、今朝はなかなかの猛暑でした。 このまま作業していたら熱中症に・・・と強く思えるぐらいの暑さです。 キュウリは元気になりました。大きな実をつけています。 ゴーヤ、ナス、ズッキーニは豊作。 ピーマンは枯れていました。 ニンジンは相変わらず発芽しません・・・ トマトの支柱を一部片付け、たっぷりと水をやって退散いたします。 |
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私は、1955年3月の生まれですから、半年ほど前に満69歳となりました。 60代最後の年でもありますが、しかし、同時に古希ということでもあります。 還暦は満年齢で数えますが、古希は数え年で言うようです。 数え年の数え方は、最近は誕生日が来たらその時の満年齢に1を足して数え年とみなすことも多いようですが、本来的には生まれた時に既に1歳であり、元日ごとに1つ歳を取るという数え方でしょうから、私は9か月ほど前の今年の正月に古希を迎えていたということになります。 古希(古稀)という言葉が、中国・唐の詩人である杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」という言葉に由来していることは多くの人が知るところですが、その前文「酒債は尋常行く処に有り」という言葉はほとんど知られていません。 「酒代のつけは私が行くいたるところにあるが、70年生きる人は古くから稀である」という意味だそうで、つまり、今のうちにたくさん飲んで楽しんでおこうという歌とか。 実にいい歌であると言わざるをえません。 さて、古希を迎えますと、私はちょっと今までとは異なった感覚に襲われました。 古希、70歳、70代という状況に想うことが少なからず存在します。 私の父は、満71歳で亡くなりました。 今から四半世紀前のことですが、その当時でも71歳の死は「早い」ものでした。 現在でも私とほぼ同じ年齢の友人、知人で親が元気な人は少なからずいます。 羨ましく思います。 父の早い死に想うことも多々ありますが、私もその年齢に近づいてきたという想いも大きくあります。 そして、最近、それなりに親しみを感じていた芸能人の方などがたて続けに亡くなったことも私の想いに直接しています。 今年=2024年、この原稿を書いている時間までに亡くなった方で、私の印象の強い方を現時点に近い日の方から少しあげてみます。 (敬称略) ( )内は享年。 アラン・ドロン(88)俳優 高石ともや(82)歌手 園まり(80)歌手 ジョン・メイオール(90)ミュージシャン 坂田信弘(76)プロゴルファー 正司照枝(91)漫才師 桂ざこば(76)落語家 今くるよ(76)漫才師 中尾彬(81)俳優 キダ・タロー(94)作曲家 唐十郎(84)劇作家、演出家、俳優 桂由美(94)ファッションデザイナー フジコ(フジ子)・ヘミング(92)ピアニスト ディッキー・ベッツ(80)ギタリスト 佐川満男(84) 歌手、俳優 曙太郎(54)元大相撲力士、元プロレスラー 鳥山明(68)漫画家、デザイナー 小澤征爾(88)指揮者 南部虎弾(72)コメディアン、パフォーマー 正司歌江(94)漫才師 エスパー伊東(63)元お笑い芸人 篠山紀信(83)写真家 この方々は、当然直接的な知り合いでもなくお会いしたこともないのですが、テレビなどで拝見する中で、またレコードを聴いたり、著作を読むなどする中で、同じ時代を一緒に過ごしてきた・・・という感を、勝手ではありますが、それなりに強く持っている方々です。 桂ざこばさんや今くるよさんの訃報に接し過去の活躍しておられる映像を見た時には、思わず泣いてしまいました。 どこかに、自分の過去の姿を重ねていたのかもしれません。 このお二人とも享年76歳、現在の感覚的には「早すぎる」ご逝去ではあります。 上に書いた方々は、今年に入って亡くなられた方々ですが、2年前の2022年2月に亡くなったのが石原慎太郎さんです。 私は、石原慎太郎さんの特なるファンでもありませんし、氏の(特に政治的な)主義主張に賛意を示す者でもありません。 しかし、非常に高名な方ですから、さまざまな経歴、業績等については若干存じあげておりますし、著作も何冊かは読んでいます。 私が特に気になりましたのは、亡くなられてしばらくして氏の息子さんである石原良純さんが、父の最期期についてテレビで語っておられた内容です。 この時に石原良純さんが語っていた内容をネットなどで探し出すことはできなかったのですが、私の記憶では、慎太郎さんは最期期に近づくとともに死について語ることが多くなり、死は「永遠の虚無」だと語っていたというように覚えています。 それをお聞きした際、私的には、石原慎太郎さんのように文学者としてものごとを捉え、それらを突き詰め、表現してきた方が最後の最後まで死のことを「分かろうと」していた姿がちょっと意外でした。 勝手ながら私は、慎太郎さんは、そのことに関して早期に自分なりの「結論」を有していなかったのだろうかと考えたりしていました。 もちろん、そのような状況があったとして、最後の最期には「納得」のいく「説明」を求め続けるのが一般的であろうとは思います。 特に気になったことは、「永遠の虚無」という表現です。 石原慎太郎さんは、自己のSNSでも次のように語っています。 「私はもうかなりの高齢ですがそのせいか周りの友人が死んでいくのが身に堪えます。 人間は死んだ後どうなるのか分からないのが不安。 死後の来世なるものはあるのだろうかそこでまた仲間達に会えたらそんな贅沢はあるまいが。 しかし死後に在るものはやはり虚無でしかあるまい。虚無も実在するのでしょうね」 (X) この「虚無は実在するのでしょうね」という表現は、これまた私の勝手な解釈ではありますが、自分の「死後の虚無」を観ているもう一人の石原慎太郎さんの存在を感じてしまいます。 失礼ながら皮肉的な表現になりますが、「死後の虚無の中に存在する自分」を期待していておられたような気がいたします。 ※ もちろんこれは、石原慎太郎氏の法華経に対する深い理解、あるいはキリスト教的な死生観に対する考え方等々を前提とした上での私的低レベルな「感慨」にすぎないものではあります。 <参考> 石原慎太郎『法華経を生きる』幻冬舎、1998 石原慎太郎、曽野綾子『死という最後の未来』幻冬舎、2022 当然、私はそのような在り方、考え方を否定できるような存在ではありませんし、また氏の考え方として私が勝手に思い込んでいるだけのものかもしれませんが、あの石原慎太郎さんをして最期まで明快な回答を自分に与えられない課題が「死」というものかもしれません。 |