菜園日記2024年2月
2024/02/04 2月に入りました。 2月初旬とは思えない、あまり寒さも感じない日曜日です。昼から畑へ。 本日も、特にやるべき作業もなく、収穫と草抜きの畑となりました。 ニンニク、玉ねぎ、エンドウ豆など、冬を越す野菜にもみ殻を撒いておきます。 ダイコン、ネギ、ブロッコリー、正月菜など収穫。 ・・・・・ 2024/02/11 本日は所用ができたこともあり、畑へ着く直前から雨がパラパラと落ちてきたこともあり、収穫のみで退散いたしました。 ダイコン、ネギ、ブロッコリー、壬生菜などなど。ブロッコリーは早くも花を咲かせていました。 ・・・・・ 2024/02/18 所用が重なり、今週は畑はお休みです。 ・・・・・ 2024/02/24 しばらく、寒く冷たい雨の日が続いていましたが、暖かく良く晴れた土曜日となりました。 昼から畑へ。 豆類が皆背を伸ばしていましたので、支柱を立てたり、ビニ紐を張ったりいたします。 2週間ぶりの畑でしたので、雑草がなかなかたくさんではありました。 大きくなっているハクサイ、キャベツ、ダイコン、ネギ、壬生菜、ホウレンソウなどを収穫。 そろそろ冬野菜の始末も考える時期となってきました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
最近になって、ビートルズの曲も幾つかコピーして弾いてみたいなぁと思い、ベスト・アルバム的なものを購入いたしました。 ビートルズのレコードはそれなりに持っていますが、曲をコピーする時の音源としては私の場合CDが便利ですので、「THE BEATLES 1」なるCDを購入。 これは、全英・全米で1位を記録した27曲を収めてあるもの・・・とCDの帯に書いてありますが、「1位を記録した」ってなんだかあいまいな表現です。 調べてみますと、ビートルズのシングル中、アメリカのビルボード誌、もしくはイギリスのレコードリテイラー誌のヒットチャートで1位を獲得した曲は全部で27曲あり、その27曲を1枚のCDで聴けるようにまとめたアルバムということでした。 曲は年代順に並んでいるのですが、初めから順に聴いていきますと私の少年時代~青年時代がちょうど重なっていて、一種不思議な気持ちにもなります。 ヒットチャート1位の曲は、ある意味当然人気が爆発した初期のものが多いのですが、その当時の私はビートルズなどには全く興味がない小学生でした。 ビートルズが来日したのは1966年6月30日、そこから7月2日までの3日間で5公演を実施し、日本には103時間滞在しただけで去っていきました。 私はこの時、小学生6年生でした。 ビートルズ来日の少し後、ちょうど我が家に級友が3人ほど集まっていた時、テレビはビートルズの日本公演の様子を映していました。 友人はそれに興味がありそうでしたが、私は何の興味もなく、当時通っていた塾に行くために友人を家に残したままでかけてしまいます。 玄関をでると、何故かは分かりませんが、門扉のところに同級生の女の子2人が塀にもたれて佇んでいました。 級友が集まっていたことに興味があってやって来たのかもしれません。我家のチャイムを押すところまではいかなかったのでしょうか。 日頃ほとんど話もしたこともない女の子でしたので、私は黙ったまま行ってしまいました。 この光景は不思議に今もよく覚えています。 ビートルズの来日は、私の中ではこのような記憶と重なります。 私は小学校高学年から、漫画を描くことに夢中でした。 勉強部屋に閉じこもり、勉強をしているふりをして漫画を描いていました。 漫画家になりたいと思っていました。 音楽に興味はありませんでした。 ビートルズだけでなく、当時大流行りだったグループサウンズにも全く関心はありませんでした。 中学に入りますと、漫画研究会なるものを主催いたしました。 これは、学校のクラブのようなものではなく、郵便を通じての全国的なサークルであり、当時はそれなりに有名な存在となりました。 学校では、美術部や漫画同好会などのサークルに入ってもいましたが、間もなく自分には漫画を描く才能がないことに気付かされます。 そのような時、文化祭の準備で夜まで学校にいた私は、(その学校は中学・高校の一貫教育でしたから)高校生が文化祭のステージのために練習していたバンド演奏を聴いたことを大きなきっかけとして、いわゆるロック音楽に興味がシフトしていきます。 当時は、ラジオの深夜番組で電話リクエストが花盛りの時でした。 私は毎日かなり遅い時間まで「初めて聴く」洋楽などに夢中になっていました。 1969年、私が中学3年の時、ビートルズの「ジョンとヨーコのバラード」が発売されます。 これは、「THE BEATLES 1」にも収録されています。 私が初めて買ったEPレコードだと記憶しています。 この1969年にはビートルズの事実上のラストアルバムといわれる「アビーロード」が発売されます。 そして、ビートルズは1970年に事実上解散しますが、バンドのドキュメンタリー映画のサウンドトラックである「レット・イット・ビー」が1970年に発売されます。 私が高校1年生の時でした。 公開と同時に映画の「レット・イット・ビー」を見ました。 学校の授業をさぼって見に行きました。 当時の私の友人は、ほぼ皆「アビーロード」も「レット・イット・ビー」のアルバムも持っていて、誰かの家に集まってはこのレコードを飽きることなく聴いていました。 そのアルバムの中の曲について、延々と語り合っていました。 先に、ヒットチャート1位の曲は初期のものが多いと書きましたが、最後期のこの2つのアルバムからも少なからずでています。 Something Come Together Let It Be The Long and Winding Road 時は70年安保の年であり、学生運動は挫折の中、多くの過激派セクトを生み出そうともしていました。 旧社会、旧体制に対する抗議運動が地球上のあらゆる場所で噴出していた時代です。 その世界的な大きな流れの中心に、ビートルズもいました。 ある意味、若者の「異議申し立て」運動の象徴でもありました。 同じく、1969年にアメリカで開催された「ウッドストック・フェスティバル」の記録映画が日本で公開されたのも1970年、私が高校1年生の時でした。 もちろん、この映画も公開後すぐに学校をさぼって見にいきました。 ウッドストックについて語りますとキリがなくなりますので、ウィキペディアから少し引用いたします。 「ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(正確には8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。ロック・グループやフォーク歌手など30組以上が出演し、約40万人の観客が集まった。アメリカの音楽史に残るコンサートであり、1960年代のカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている。」 私はこの頃から、いわゆるハードロックの世界に没頭していきます。 ビートルズに導かれるように漫画の世界から音楽の世界へと入り込んだ私は、このウッドストックによって、ロックの激しさ、メッセージ性等々にのめりこんでいくこととなります。 ある意味、私の原点となったイベントでありました。 大学4年のゼミで、私はこの時代とロック音楽のことについてゼミ論文を書きました。 当時そのようなことを論じるのは極めて少数であり、ROCKについての研究というと、『統治二論』の「ジョン・ロック」のことであると思われていました。 その後の私がビートルズから離れてしまったかというと、そういうことではなく、同時代を過ごした貴重な大切な存在です。 今までビートルズの曲を演奏することはほとんどありませんでしたが、歳をとって、何曲かを弾いてみたいなぁと考えるようになりました。 また少し違う景色が見られるかもと期待しています。 |
|
|
|
2024年3月へ | 菜園日記topへ |