菜園日記2023年8月



2023/08/02

 8月に入りました。
 夕方から畑へ。
 ゴーヤとトマトを幾つかずつ収穫し、あとは水やりです。
 畑はこの猛暑続きで、枯れ枯れでした。
 この夏一番の水枯れ状態と思われます。
 私の住んでいる地域ではこの1週間に2回ほど夕立がありましたが、こちらは1度もなかったとか。

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2023/08/06

 朝から畑へ。
 空は少し曇り、涼しい風の吹く、過ごしやすい日曜日の朝となりました。
 といっても気温は30度を超え、太陽も顔を出してきましたが・・・
 新しいキュウリが伸び、花をつけてきました。今1つの枯れ枯れであった苗も葉を増やしてきています。なかなかの生命力です。
 スイカが実を大きくし、また新しい実をつけています。
 ナスもまた元気になり、実を大きくしてきました。トマトはそろそろ終わりの時期となりました。
 ゴーヤ、ナス、シシトウ、ズッキーニなどを収穫。太陽が元気になってきたので、退散いたします。

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2023/08/10

 朝から畑へ。
 ここ2、3日、我が家の周辺では少し雨が降ったりしていましたが、聞きますと畑の方ではまだほとんど降らないとか。ちょっと不思議ではありますが、畑的には困った天気であります。
 新しく植えたキュウリが実をつけてきました。ここからどうなるのか楽しみではあります。
 スイカも少しずつ大きくなっています。
 トマトは枯れ始めてきました。
 ゴーヤ、シシトウなどを収穫して、水やりをたっぷりとして、退散です。

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2023/08/12

 また朝から暑い土曜日となりました。太陽が姿を現し、風もなく、猛暑の畑です。
 スイカは少しずつ大きくなってきましたが、1つがひび割れしていました。鳥につつかれた形跡もありませんので、自然に割れてしまったのでしょうか?
 新しく植えたキュウリは実を1つ大きくしていましたが、何かにかじられていました。今までキュウリがかじられることはありませんでしたので、ちょっと???
 ナスは少しずつ復活してきたようです。
 ゴーヤ、ナス、シシトウ、そして割れたスイカを収穫。
 スイカはまだ熟していない感じではあります。MY畑でスイカを収穫するのは初めてのことです。
 あとはまたたっぷりと水やりをして退散いたします。

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2023/08/19

 朝から暑い土曜日となりました。
 先日の台風7号の被害が少しはあると思っていましたが、畑は全体的に大丈夫でした。
 雨が降りましたので、雑草が育ってきています。
 草抜きも、しかし、暑さに負けてある程度で中止です。
 ゴーヤ、ナス、シシトウなどを収穫。
 スイカもまた試しに1つを収穫。
 新しく植えたキュウリの苗は2つとも順調な感じです。本日は1本採れました。
 水やりをして暑さにやられる前に退散です。

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2023/08/20

 朝から危険な暑さでしたので、夕方から水やりに。
 といっても夕方もやはり猛暑でしたが・・・
 水をたっぷりとやって、ゴーヤを5本、スイカを1つ採って帰ります。
 この時期は、ゴーヤが次から次へと大きくなります。

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2023/08/27

 少し涼しい朝となりました。この機会に・・・と、一番西側の畝の南側半分に牛糞、コーヒー滓を入れて、荒起こししておきます。
 先週、何回か夕立があったためか、ナスが復活していました。これからもまだまだ楽しみです。
 雨が降ると、雑草も伸びます。
 キュウリはなんとか2つほど実をつけていました。
 そして、どういうわけかスイカがたくさんの実をつけています。
 一方、昨年たくさんとれたカボチャが今年はなかなか生りません。不思議です。
 ナス、シシトウ、ゴーヤなどたくさんの収穫となりました。
 水やりをして退散いたします。



   
 



 今年は本当に暑い暑い夏となりました。
 2023年は特にいろいろな条件が重なってこのように暑い夏であったのか、あるいは年々暑さが増している途上の暑さであるのか。
 歳を取りますと暑さは実態以上に身体にこたえ、「危険」な暑さといわれる理由がよく分かります。

 暑さに多少のプラスマイナスはあるとしても、暑い夏は凝りもせず?必ず毎年やってきます。
 夏と青春は結びつけられて語られることが多くありますが、青春の夏といえる夏は何回巡ってくるのでしょう。
 個々の人間にとっては、せいぜい10回ほどのめぐり合わせかもしれません。
 けれども、青春を過ぎた人間にも毎年夏は巡ってきますし、若者が謳歌する夏は青春を過ぎた人間にとって辛く身体にこたえる危険な夏でもあります。

 当然のことですが、私が死んだ後も暑い夏は繰り返され、恐らく地球最後の瞬間まで続くのでしょう。

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 私はひねくれ者ですから、特に若い頃は毎年繰り返されるような事柄にあまり興味を持ちませんでした。
 年中行事といわれるものはもちろん、昔日から繰り返されている伝統的なイベントなども関心の対象ではありませんでした。
 京都の暑い夏に行われる祇園祭や大文字五山の送り火などについても、つい最近までどうでもいいことの一つでした。

 しかし、恐らくは菜園をするようになってから、毎年のめぐり合わせ、繰り返しということに関心が増してきたように思います。
 幾ばくかの差や変化があろうとも、毎年の野菜は毎年同じように育ち、同じように枯れていきます。
 夏野菜の時期が過ぎて、秋・冬野菜を準備する時期となり、冬野菜を楽しんで味わった後には、また夏野菜の準備の時期が到来します。
 以前の私でしたら、そのようなサイクルを1度経験したならもうそれはそれで充分と考えていました。
 今の私は今年もまた同じ野菜と出会えることをとても嬉しく感じています。

 夏野菜を作る際、多少の変化を捨象すれば、毎年キュウリを植え、トマトを育て、ナスを収穫するという作業を20年ほど繰り返しています。
 そして、キュウリは、盛夏と共にその命を終えます。
 菜園で育てる野菜はほぼ全て一年生の植物です。
 種子から発芽した野菜は一年以内に生長し、開花・結実して、種子を残して枯死いたします。
 実際の寿命はせいぜい半年ほどでしょう。

 年々成長する動物のようには毎年の変化もなく、毎年毎年新たな苗が同じように育って実をつけ、そして同じように死んでいきます。

 キュウリの寿命よりも短い動物の存在もあるでしょうし、もちろん植物にも長年にわたり生長し続けるものが多くあります。

 広く知られる短命な生き物としてカゲロウがいますが、これは幼虫の姿で2、3年を過ごし、成虫になって24時間で死ぬそうです。
 ウミユスリカという生物は、卵から成虫になるまで約3週間ですが、成虫になった後の寿命はたった1時間程しかないとか。
 どこででも見られるイエバエは、卵は0.5~1日で孵化し、幼虫(ウジ)で約7日を過ごします。その後サナギになり約4日で成虫へと羽化をして、そして1か月で寿命を終えます。
 ホタルも短命な生き物として有名ですが、2週間という短い時間で繁殖をし、儚く死んでいく生き物ではあります。

 カゲロウの成虫には摂食機能はありません。
 他の短命動物にも同様な形態が見られるようですが、それらの成虫はただひたすら子どもを作ることだけを目的として短い生命を終えます。
 せっかく大人になったのだから、美味しいものを食べて、恋をして子供を育ててというような時間の存在はありません。
 そうだったら、わざわざ世代交代しないでずっと生き続けていればいいのになどと考えてしまいますが、なかなかそうもいかないのでしょう。
 種として連続する生命ということの他に存在感のないような生物に対してはなにか不思議な想いを持ってしまいますが、そのようなことに疑問を持つ人類こそが不思議な存在なのかもしれません。

 私は家の近くにある公園の桜を定点観測してSNSに載せたりしていますが、その木は毎年春に花を咲かせ、やがて青々とした葉を繁らす時期を迎え、秋になると全ての葉を落とします。
 そして寒い冬をジッと耐えた後、春にまた満開の桜花を見せてくれます。
 この桜の花の下では、毎年、近所の保育園の子どもや老人ホームのお年寄り達が楽しそうに弁当を広げる光景が繰り返されます。

 桜も生長しつつ毎年の繰り返しを行うわけですが、もちろん永遠にというわけではありません。
 桜の木の寿命は100年を超えるものも存在するようですが、一般的に60年程度といわれています。

 樹木の寿命といえば、なかなか驚異的な存在があるようです。
 少し調べてみましたら、現在確認されている単独の木として世界で一番長生きしているのは、米国カリフォルニア州インヨー国立森林公園内のブリッスルコーンパイン(日本名はマツ科のイガゴヨウ)という木とか。
 樹齢は推定4800年と言われています。
 4800年前といえばピラミッドができるよりもはるか以前、日本はまだ縄文時代の真っ只中です。

 それぞれの形態で、それぞれの毎年が繰り返されます。

* 最近、ベニクラゲの不老不死の性質が発見されたというようなニュースがありましたが、とても興味あるテーマでもありますので、また調べてみたいと思っています。

 若い時の私は、一回性の時間や一度限りのイベントこそ優れたものであり、同じことが繰り返される現象はどーでもいい退屈なこととしか思っていませんでした。
 今は繰り返されることの不思議さ神秘さに感心し、それを楽しんでいます。

 多くの人々にとって、このような感覚は当たり前のことかもしれませんが、私にはこの歳になってやっと習得できた感覚であります。
 その習得には、やはり畑を耕す経験が大きく影響しているものと野菜たちに感謝しています。

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 さて、ちょっと飛躍した話になりますが、今の私は、政治的、社会的領域において、過去から繰り返され継続している事象に対して優れた価値を見出すというような考えはありません。

 以前にテレビのニュース番組で見た記憶があるのですが、当時の安倍晋三総理大臣が国会で保守主義について、エドマンド・バークの説を引用して語っていました。
 その安倍総理の言を細かく具体的に覚えているわけではないのですが、エドマンド・バーク的に言いましたら、
 保守主義とはフランス革命により提示された〈社会契約〉といったものではなく、〈本源的契約〉というものを重視するものであり、多年にわたり根本的に保持してきたものの中に本源的契約の存在を見て、その表れである祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していこうとするような政治哲学であるといえます。

 単純化してちょっと安易な表現に翻訳いたしますと、続いているものは続くだけの価値があるから続いているのだ、それらは将来に向けて守っていかなくてはならない、というような表現も成立するかもしれません。

 しかし、私は、現代の世はやはり、ラディカルに=根源的に、急進的に変化することが求められている世ではないかと思っています。
 いつ実現するのかは別にして、人間が毎年の自然な営みや生命のパワーを十全に享受することができるためには、この現代にはびこるさまざまな桎梏を消滅するためのラディカルな変革が(それがいわゆる右からのものであるのか、左からのものであるかは別として)必要だと考えています。

 そして、いつか、人間にとっての最適な毎年の繰り返しが訪れる日を期待しています。


8月末の畑の様子



ズッキーニ


ツルムラサキ


ゴーヤ



(なし)



 
ネギ



(なし)


ミニカボチャ


小玉スイカ



キュウリ



エダマメ


シソ


万願寺トウガラシ

シシトウ


ナス


トマト


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