菜園日記2023年7月
2023/07/02 7月に入りました。 7月らしい暑さの日曜日、昼から畑へ。 この時期の野菜はぐんぐんと大きくなります。 トマトは、多くの実をつけています。今年はかなり実の数が多いように思えます。 ナス、シシトウ、シソを収穫。 エダマメは今年もちょっとまた残念な結果に終わりそうです。 キュウリもいい形のものが収穫できました。 トウモロコシは、2つほど鳥に食べられていました。無事なもの1本を収穫。 ネギはあまり元気がありません。 ゴーヤもツルを伸ばし、小さな実をつけ始めました。 大きなズッキーニも収穫。 あとは、草抜き、水やり等々。 ・・・・・ 2023/07/10 小豆島旅行の帰路、夕方から畑へ。 長雨で、雑草はボウボウでしたが、本日はその対応時間はありません。 トウモロコシにトマト、そしてナスなど、見事にカラス?!に食べられています。 来年はまた何か対策を講じなくてはいけません。 キュウリ、ナス、トマト、シシトウ、ズッキーニなどたくさん収穫。 ・・・・・ 2023/07/15 7月も半分が過ぎました。 本日は、祇園祭の宵々山の日となります。 朝から畑へ。 先週の雨の連続で、畑は雑草だらけでした。 本日はそれを抜くことがメインの作業となります。 キュウリは細く曲がったものが数本だけとなったため、2株を処理いたします。 ゴーヤが20数個の実をつけていました。これからどんどんと実をつける時期となります。 トマトもだいぶ色づいてきました。 ナス、シシトウなども収穫。 スイカは一番大きなものが鳥につつかれたためか腐ってしまっていました。 トウモロコシも鳥に食べられています。今年のトウモロコシは少ししか収穫できませんでしたが、粒入りのいい甘いものでした。今までの中で一番の出来かもしれません。 だんだんと暑くなってきたため、昼前に退散いたします。 帰路、量販店でキュウリの苗3つ購入。 ・・・・・ 2023/07/16 猛暑予報のため、朝から畑へ。 昨日抜いたキュウリの跡地に、買っておいたキュウリの苗を3つ植えます。この時期に新たにキュウリの苗を植えるのは初めてのことですが、どーなることやら。 トマトが大分色づいてきました。 トマト、ナス、シシトウ、シソなど収穫。 あとは昨日に引き続き、草抜き、株の剪定など。 以前失敗した夏のネギも順調な様子です。 たくさん水やりをして、本格的に暑くなる前に退散いたします。 ・・・・・ 2023/07/19 この月曜、火曜と異常な猛暑が続いたため、せめて水やりでもと夕方から畑へ。 先日定植したキュウリは、2つが当然枯れ枯れ。 しかし不思議なことに残りの1本はとても青々としています。枯れ枯れの2本もその生命力を期待してたっぷりと水やり。 ゴーヤなど少し収穫。 あとは全体に水をやって退散いたします。 ・・・・・ 2023/07/22 梅雨が明けました。 朝から畑へ。 新しいキュウリの苗は、やはり、1つだけが青々と育ち、あとの2つはダメになっていました。この元気な苗の状態もこの猛暑の中不思議ではあります。 トマトがたくさん色づいてきました。カラスなどにつつかれてダメになったものもありますが、20個ほど収穫。 ナスはちょっと元気がありません。 シシトウ、ゴーヤなどを収穫。 水をたっぷりあげ、草を抜いて退散いたします。 ・・・・・ 2023/07/24 猛暑が続きます。 朝から畑へ。 トマトがかなり色づき、数十個の収穫となりました。黄色のものは、どーいうわけか鳥にはあまり狙われないようです。 ナス、シシトウ、シソ、ゴーヤ、ズッキーニなどたくさんの収穫となりました。 あとはたっぷりと水やり、そして草抜き。 ・・・・・ 2023/07/29 酷暑が続きます。 朝から畑へ。 高い高い気温が続いたわりには野菜たちは元気でした。 例のキュウリの新しい苗も順調な様子です。 トマトがたくさん採れました。カラスにもそれなりにつつかれていますが、ちゃんと収穫できるものもたくさんあります。 ナスはちょっと小休止状態。まだ花は咲いています。 ゴーヤ、ズッキーニなど収穫。 水をたくさんやって早めに退散いたします。 ・・・・・ 2023/07/30 7月最後の日曜日となりました。 暑く暑く長い7月でした。 朝から畑へ。 トマトとシソを採り、あとはたっぷりと水をやって退散いたします。 トマトは例年になくたくさん採れる年となりました。 |
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最近では車を運転している時ぐらいしかラジオを聴かないのですが、先日旅行先の車内で「本日は納豆の日」という言葉を何回か聞きました。 その日は誰でも容易に想像できるように、7月10日でした。 数字の語呂合わせで7月10日は納豆の日となったようですが、これは1981年に初めて制定されたということで、関西では納豆が苦手な人が多く消費量がなかなか上がらなかっために、関西納豆工業協同組合が制定した日であり、もともとは 関西地方限定の記念日だったということです。 私が京都に居住するようになりましたのは今から60年ほど前のことですが、その時代に関西のスーパーで、というか当時は今でいうスーパーマーケットなるものもまだ存在せず、小売店やいわゆる「〇〇市場」で納豆を売っている店はほぼ皆無でした。 今ではどこのスーパーマーケットでも納豆は山積みされています。 当時は、関東と関西の食文化はかなり明確に分かれていたように思えます。 当時は・・・と書きましたが、それはけっこう最近まで続いていたのではないでしょうか? 私は学生時代を7年間東京で過ごし、25歳で京都に戻ることとなりましたが、その際非常に残念に思った、今後京都では出会えないであろう大好きな飲食物が3つほどありました。 1つは、焼肉屋のユッケジャン(orユッケジャンスープ)です。 私は、大学院時代、塾の講師などを3年間ほど務めていたのですが、塾の仕事を終えて帰宅する途中、自宅アバート近くの焼肉屋で夕食をとるのがおきまりでした。 ナムルを食べながら瓶ビールを飲み、焼肉を2種類ほど焼いて、最後にユッケジャンを食べるのが通例でした。 しかし、その頃・・・私が京都に戻ったのは1980年ですが、京都の焼肉屋でユッケジャンを提供している店はほとんどありませんでした。 今のようにネット情報もなく、いろいろと調べる中でユッケジャンのある店を見つけ、そこで店主の方と話しますと、京都でユッケジャンを出している店は2軒ほどしかない、全国的にも名古屋から西では少ないのではないかということでした。 今はいろいろな焼肉屋で当たり前のメニューとなっています。先日はたまたまコンビニで「ユッケジャンラーメン」なるレンチン食品を発見し、さっそく購入して美味しくいただきました。 2つめは、ホッピーでした。 ホッピーは、ビールテイストの炭酸飲料なのですが、一般的には焼酎をこれで割った飲み物もホッピーと呼ばれ、東京などの庶民的な居酒屋などでは定番のメニューです。 これも京都で飲めるようになったのはそれほど古くはないと記憶しています。 その嚆矢かどうか厳密には分かりませんが、恐らく1990年代以降に「ホッピーあります!」と大きく書かれた居酒屋を見かけ、さっそく入店して飲んだ記憶があります。それまで関西の店にはほとんどなかった飲料であったことは確かと思います。 庶民の味方といえる飲み物であり、学生などが一種得意げに飲みたがる酒でもありました。 そして、3つ目は焼きトンです。 東京在住時は、誰かと会ったりしますと、とにかく新橋や渋谷などのガード下に軒を連ねる串焼き屋で飲むわけですが、この串焼きは、鶏などの肉ではなく、ブタのホルモンが材料の「焼きトン」でした。 京都に帰ってから、そのイメージで焼き鳥屋などの串焼き屋に入りますと、京都らしい?!上品な?!焼き鳥や牛肉などが出てくるわけです。 私としては当然どこの部位かもよく分からぬブタのホルモン串が食べたいわけです。 この焼きトンも京都ではなかなか食べられなかったものの1つと思いますが、最近になって焼きトンを看板にした店がボチボチ存在するようになりました。 我が家の近くにも焼きトン屋が複数でき、ついにそーいう時代になったのか!と喜んでいます。 ただ、ちょっとした「不満」もあります。 これらの焼きトン屋のいくつかは、焼きトンがなにか上品な料理になってしまっていて、串が1本ずつ皿に載せられて出てきたり、あるいは塩や一味七味以外の洒落た味付けが既定のものとして提供されたりしています。 もっとモクモクとした煙の中でバーと焼いてもらって、ガーと食べたい私であります。 丁寧に焼いておられるとは思うのですが、注文してから出てくる時間もなかなか長く、関西でいう「いらち」な私には困った現象です。 * 「いらち」=関西地方の方言で「せっかち」「気が短い」という意味を表します。 さてさて、上に書いた内容は、私の狭い行動範囲での個人的な記憶による「年表」ですから、事実と異なる点も多々あると思いますが、その辺はご了承ください。 いずれにしてもこのような関西と関東の交わり方、文化の混ざり合いというものは、仕事で行き交う人が多くなったこと、あるいは転居する場面も増えたこと、そしてマスコミの東京一極集中の破綻等々によって拡充してきたのではないかと思います。 私が学生の頃、地方訛りを隠そうとしないで話をしている学生は極めて少数派でした。 多くは標準語で話すことに努め、東京で地方訛りを話すことは一種「笑い」の対象でもありました。 今では、例えば大阪弁を話すことがカッコいいことの一つとなっている状況があったりしますが、それは一つに大阪のお笑い芸人達が東京の全国ネットのテレビなどに数多く進出して人気を博したことが大きな要因ではないかと思っています。 一方で関東から関西に転居、就職する人々も増えてきて、そのような流動的な人口移動の中で、京都などでも納豆が当たり前の食べものとなり、また繁華街で焼きトン屋が成立するというようになったのではと思われます。 まあ我々関東、とりわけ東京の味を恋しく思っている人間からしますと、非常に嬉しいことではありますが、地域的特性が薄れていくという意味では、いかがなものでしょうか? |
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