菜園日記2023年6月



2023/06/10

 またまた久しぶりの畑となりました。
 野菜達は概ね順調のようです。
 伸びた株を新たに支柱に留めたり、草抜きなど。
 キュウリを数本収穫。
 ズッキーニやナス、シシトウなども小さな実をつけ始めました。
 またまたここにきてキャベツが新たに結球してきました。ちょっと不思議な感ではあります。

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2023/06/17

 夏日の土曜日となりました。畑は雑草がすくすくと育っています。
 キュウリ、ナス、ズッキーニ、シソを収穫。
 キュウリ以外は、今年の初収穫です。
 ナスやトマトの脇芽などを撤去いたします。
 あとは草抜き、水やり等々・・・

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2023/06/18

 昨日と比べて少し涼しい日曜日となりました。
 昼から畑へ。
 トウモロコシの北側の畝を耕します、例年であれば、玉ねぎの収穫と同時に畝の準備に取りかかっているのですが、今年は、入院やらなんやらで大幅に遅れました。何を植えるか、何が植えられるかはちょっと検討です。
 キュウリを数本、シソを数枚、キャベツを収穫。
 キャベツはここにきて大きく丸く育ってきましたが、本日のものは少し虫が食べている感じです。
 あとは草抜き、水やり等々。

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2023/06/24

 涼しい土曜日となりました。量販店に行き、ネギ苗を購入。2~3年前に夏のネギはちょっと失敗してしまいましたが、そのリベンジでもあります。
 ゴーヤの支柱を棚というか、トンネル的に隣の畝に支柱を立てて、そこと繋げます。この方法はかなり以前にしたことがありますが、その時はうまくトンネルができて、夏の木陰を作ってもくれました。
 その新たなゴーヤの支柱の北側に、ネギ苗を植えていきます。今回は上手くいってほしいものです
 キュウリ20本ほど、ナス数本、ズッキーニも数本、シシトウも10個ほど等々、いろいろと収穫できました。
 あとは、草抜き、水やり等々。

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2023/06/28

 6月もそろそろ終わりに近づいてきました。
 昼から畑へ。
 この間「棚」を作ったゴーヤの支柱部分を少し補強いたします。
 トウモロコシを1つ、試しに採りました。今年は入院などもあって、トウモロコシは各場所2本立ちのまま大きくしましたので、実がどーなるか心配でしたが、ちゃんと粒の揃ったものとなっていました。ただ、全体に少し小ぶりではあります。
 キュウリ、ナス、シシトウなど収穫。
 小さなスイカの実を発見できした。
 カボチャの実も、カボチャらしい模様となっで少しずつ大きくなっています。
 最後のキャベツを収穫。
 エダマメは今年もなかなかいい感じにはなりません。
 草抜き、水やり等々。



   
 



 いろいろなところで書いていることなのですが、私が25歳で役所に就職したことで父はかなり安心したのでしょう。
 この放蕩息子がなんとか社会人になることかできたと、父はその時からゴルフを始め、瀬戸内海に小屋を建て、船舶免許を取って小さなモーターボートを買い、海釣りなども楽しむようになりました。

 そして同時にゴルフ場の会員ともなりました。
 1つは、小屋を建てた小豆島にある小豆島カントリークラブ。今は小豆島シーサイドゴルフクラブと名を変えパブリックのゴルフ場となっています。
 そして、今1つが滋賀県の湖南に位置する近江カントリー倶楽部でした。

 父はまだ55歳でしたが、当時の社会的にはサラリーマンが定年となる歳でもあり、放蕩息子の今後は当然本人に任せ、その後の自分の人生の楽しみをゴルフや釣りに求めたのでしょう。

 その頃の私はゴルフに興味はなく、休日にはバイクにまたがって走り回ったりしていました。
 その後、役所生活が10年を迎えた35歳の時、どういうわけかゴルフもいいなぁと思いたち、父に連れられて近所の打ちっぱなし練習場に行きました。
 そこで「ハマって」しまった私は、それから1か月間、毎日、文字通り毎日一日も欠かさず京都は北山のしょうざんゴルフに通い、毎日必ず300球のボールを打っていました。
 何故300球かといいますと、当時の打ちっぱなし練習場では入場時に渡されるコインを機械に投入して練習ボールを購入するというスタイルだったのですが、
その練習場で入場時に渡されるコインは6枚であり、1枚で50球の練習ボールが出てきますから、コインを全部使い切ったら300球ということになります。
 毎日毎日ほぼ営業時間終了近くまでボールを打ち続けていた私であります。

 しかし、そんな練習の甲斐もなく、私のゴルフは全く上達しないままでしたが、最近はとりわけ眼の調子が思わしくなく、ゴルフもそろそろ終わりにしようかと考えておりました。

 現在の時点での私のゴルフ最終ラウンドは、2021年5月29日の比良ゴルフ倶楽部でのものです。
 この時から、もう2年以上はラウンドをしていないことになります。
 全ラウンド回数は、1149回となりました。

 もちろん将来的に近くのゴルフ場などに出かけていく機会があるかもしれませんが、一応のゴルフ仕舞いとなります。

 眼の調子が悪いといっても全く見えないわけでもないのですが、スムースな進行が重視されるゴルフのプレイにおいては、他の方々に迷惑をおかけせずにはできないだろうということが一番の理由であります。
 その辺がクリアされる環境がありましたら、またゴルフ復活もありえるだろうと考えています。

 また、1000回以上もラウンドをしている私が、ゴルフをできなくなることが非常に寂しいかと言いますと、実はそんな感情もあまり生じません。
 実際のところ、眼の手術などをする前から、年齢的な衰えもあってドライバーは飛ばなくなり、スコアも100を叩いたり・・・と、ゴルフ熱はだいぶ冷めておりました。

 そんな状態の中、永年ホームコースとしてお世話になっていた近江カントリー倶楽部の会員を辞めることといたしました。

 近江カントリー倶楽部は、父親の会員権を受け継いだゴルフ場の一つであり、想い出多い場所の一つです。

 父親と一緒にラウンドしたある日、まるまる午前中濃い霧が引かず、ただただキャディの指示する通りにボールを打っていたことなど今では楽しい想い出です。
 その日はかなり近くしか見えない状態で、キャディなしでは不可能なゴルフでありました。

 近江カントリー倶楽部は、ミドルホールでドライバーの飛距離を特に必要とするホールが多く、もともと非力な私にとって苦手なゴルフ場の一つでもありました。他のゴルフ場ではそれなりに80台で回っていた時期もここでは90を切ることができず、ホームコースでありながら、ベストスコアは90点ちょうどでした。

 私がゴルフを始めた時は、バブル期と重なっています。東京勤務の時代に軽井沢の某ゴルフ場に行ったことがありますが、平日に食事代も含め50000円でお釣りなしといったこともありました。
 当時は京都、滋賀でも、休日のプレイでは2万数千円の料金が普通で30000円を超えるところも珍しくありませんでしたが、近江カントリー倶楽部はその間もずっとキャディフィーも含め、17000円というビジター料金を守っていました。
 当時の社長さんが「ゴルフ場に来るのはサラリーマンが多いのだから、あまり高い値段設定をしてはいけない」との考え方を貫いておられたとお聞きしています。この方は、残念ながら阪神大震災で亡くなられました。
 この近江カントリー倶楽部の料金設定は、当時は何か「安物」のように受け取る人もいたようですが、私は一つの誇りと思っておりました。

* 父のもう1つのメンバーコースであった小豆島カントリークラブにも小豆島や瀬戸内海の美しい景色とともに多くのの想い出がつまっています。少し長めの休暇が取れた時には、ここで父親と連荘ラウンドを楽しんでおりました。そのような休暇を取得できるのは真夏の時期が多かったのですが、今思うと、当時父親は既に60歳代半ばを超えた年齢であり、疲れをためながらも私のラウンドに付き合ってくれたのでしょう。

 父親は、71歳で亡くなりました。私が42歳の時です。
 この享年は当時としても「若い」としか言えないものでした。
 55歳で始めたゴルフは、たった10数年しか楽しめなかったということになります。
 私がもう少しまともな子供であったのなら、父ももう少し早くからいろいろな楽しみを長く享受できたのにと思います。

 父の死後は私が近江カントリー倶楽部の会員を引き継ぐこととなりました。
 しかし、私はそんなに熱心な会員ではありませんでした。
 クラブ競技にもほとんど参加しませんでしたし、ここでのラウンド回数もそれほど多くはありません。
 私はちょうどその頃から、ネットでゴルフサークルの主宰をすることとなったのですが、サークルメンバーからは、いろいろと多くの場所でできるだけ安価にラウンドすることが求められていました。
 当時は、誰でもネットでゴルフ場が予約できるようになり始めた頃で、その頃から近江カントリー倶楽部の料金は、どちらかといえば高い部類に入るようになってしまいました。

 ゴルフに関する想い出話はキリがありません。
 ゴルフを開始して30数年、父から会員を引き継いで約25年、不肖の息子の私は、それなりにゴルフ三昧の生活を続けてもおりましたが、一つの区切りとして先般近江カントリー倶楽部に電話をし、会員脱退のお話をさせていただき、手続きを進めていただくこととなりました。

 先に書きましたように、ゴルフそれ自体の「休止」にはそれほどの寂しさも感じなかった私ですが、この電話を終えると何か大きな寂しさがこみあげてきました。
 父とのゴルフの想い出が遠くに去ってしまうような感じがしたからかもしれません。

 父は非常に若くから組織の頂点を極めていたような人間でしたから、父に面と向かって注意するような人間は非常に少なかったと記憶しています。高名な政治家も経済人も父には一目置いているように見受けられました。
 そのことは、当然ゴルフにおいてはマイナスに働き、父は決してマナーの良いゴルファーとは言えませんでした。
 しかし、私が、「バンカーをちゃんと直せ」などというと、渋々と従ってもいました。
 また、ちょっといいショットが出たり、父なりにいいスコアで回ることができると、無心に喜んだ表情を見せたりしていました。
 ゴルフが大好きな人でした。癌で闘病していた最期の時期も、私の顔を見ると「ゴルフに行きてえなあ」とよく言っていました。
 私がもっとまともな息子であったなら、父親もゴルフをもっと長く楽しめたのにと重ねて思います。

 私のゴルフの歴史は、ひょっとしたらいつかまた復活するかもしれませんが、父から引き継いだ近江カントリー倶楽部でのメンバーとしての歴史は会員権の証書とともに消え去ることとなります。

 父の葬儀の出棺の際、あの濃霧の日にもご一緒していた父のゴルフ仲間が大きな声で「また一緒にゴルフをしましょう!」と呼び掛けてくださったことを今も良く覚えています。

 私もまたあの世で父と一緒にゴルフができることを期待しています。


6月末の畑の様子



ズッキーニ


ツルムラサキ


ゴーヤ



(なし)



 
ネギ



トウモロコシ


ミニカボチャ


小玉スイカ



キュウリ



エダマメ


シソ


万願寺トウガラシ

シシトウ


ナス


トマト


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