菜園日記2023年3月
2023/03/05 3月に入りました。 本日は所用のため畑はお休みです。 ・・・・・ 2023/03/12 2週間ぶりの畑となりました。 しかし、ここ何日間か4月中旬並みといわれる暖かさが続きましたので、畑はなかなかの状態となっていました。 水菜は水菜の花となっていました。 雑草が背を高くして全体を覆っています。 いろいろな野菜を採りきることといたします。 特に中央の畝は、一番北側の玉ねぎを残して、ニンジン、ダイコン、ブロッコリー等々と終わりにします。 ニンジンは形の悪く小さなものが10数本採れました。今年のニンジンは、あまり上手くできませんでした。 ダイコンも小ぶりのもの数本を抜いて、お仕舞いです。ダイコンも今年はあまり大きくは育ちませんでした。 ブロッコリーは、頂花蕾も側花蕾もたくさん大きくなっています。全てを採って株を抜きます。 他にも、ホウレンソウ、コマツナなどを収穫して終わりといたしました。 真ん中の畝の空いたところに鶏糞を入れて軽く起こしておきます。 そろそろ夏野菜の準備時期となります。 ・・・・・ 2023/03/19 京都も3月17日に近畿で最も早い桜の開花宣言が行われました。 2021年に次いで、史上2番目に早い開花ということです。 暖かな日曜日となりました。 畑は、先週に水菜が花を咲かせましたが、今日はブロッコリーもコマツナも花を咲かせています。 一番東側の畝のネギから北側を終わりとします。 正月菜、コマツナ、(ホウレンソウ)、ブロッコリー、キャベツ。 キャベツは大きな球を収穫できました。 ブロッコリーも側花蕾が豊作でした。 その跡地に鶏糞を入れて、荒起こししておきます。あとは、ネギ、壬生菜などを収穫。 草抜き、水やりをして退散です。 ・・・・・ 2023/03/26 朝から本降りの雨となりました。 畑はお休みです。 |
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桜の時期がまた巡ってきました。 2023年、東京では、3月14日、観測史上最速タイの開花宣言がなされました。 タイ記録ということですが、直近の2020年と2021年と並んで観測史上最も早い開花発表ということです。 京都でも、3月17日に近畿で最も早い開花宣言が行われました。 こちらも2021年に次いで史上2番目に早い開花ということです。 いずれも最近になってどんどんと開花が早くなっているということで、やはりどんどんと暖かくなっているということなのでしょうか!? いわゆるお花見にいろいろな所にでかけることもありますが、私の住むマンションの南側には道を挟んですぐの所に少し大きな公園があり、ウォーキングの場所の一つですので、ほぼ毎日通るのですが、桜の木も多く植えられています。 秋と春の2回花をつける種もあれば、3月の初めぐらいから淡いピンクの花を咲かせるものもあります。 私は花の種類などにあまり詳しくありませんが、少し早めに咲くこの桜は河津桜というものでしょうか。 この花が咲き誇る時期となりますと、公園も桜目当ての人が多く集うようになります。 近くの幼稚園か保育園の子どもたちは、ほぼ毎日この公園でグラウンドを走り回ったり砂場に飛び込んだりしていますが、この時期には桜の下で弁当を広げる景色が毎年見られます。桜と一緒に彼らの姿も撮りたいのですが、このご時世ですから顔が分かるような写真は遠慮せざるをえません。 先日見かけましたのは、車椅子でお弁当を食べる高齢者のグループでした。 車椅子の安定のためと思われますが、桜から少し離れたコンクリート地面の所で2~3名ずつ固まってお弁当を食べておられました。 近くの施設の方々と思われます。 スーパーに買い物に通った時には、高齢者によくみられるようにウトウトとしながらの食事時間ともなっていましたが、帰路にまた近くを通りますと、皆さん楽しそうに歓談する花見の食事会となっていました。 桜をバックに写真を撮る人々、桜を単体で撮影する方々は入れ替わり立ち替わり訪れます。 私も桜の写真を撮って、SNSにアップいたしました。 最近は老いも若きもスマホを持っていますから、賑やかな撮影会となっています。 一つちょっと!!??な光景を見かけました。 高齢の夫婦が桜の枝先を手折って、丁寧に紙でくるんで持ち帰ろうとしています。 この時にはさすがに声をかけようかどうか迷ったのですが、かなりの高齢夫婦でもあり、見て見ぬふりをすることといたしました。 適切な対応であったかどうかは疑問ですが・・・ |
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日本人・・・という書き方が正しいのかどうか別にして、日本列島に住む我々にとって桜は特別な感情が宿るものであります。 いろいろな人が多くの想いを桜とともに持っていて、その総量はこの宇宙よりも大きいのではないかと思ってしまいます。 私が思い出すことの一つは、私が大学に入った時に父からもらった手紙の内容です。 そこには私の大学入学式の日のことが書いてありました。 父はそれまで、小学校の時も中学校の時も高校の時も、私の入学式や卒業式にきたことはありませんでしたが、私の大学の入学式の時には東京に来て、大学の近くで食事を共にしました。 まあ私も父も元々東京の生まれで、東京には親戚もありましたし、その当時の父は東京に仕事の関係で来ることも多かったですから、その一環だったのかもしれません。 しかし、中学から高校にかけて家庭事情もいろいろとあり、まあろくな学生生活も送らず悪行を繰り返しては父を悩ましていた私が、なんとか無事大学に入学できたということで、父は重たい肩の荷がやっと下りたと感じていたのかもしれません。 正直ホッとした時だったと思います。 まあそんな父の期待を分かろうともせず、他の新入生がほとんどスーツ姿の中、私だけは着古したジーンズの上下での出席でした。 まだまだそんな意識の18歳ではありました。 大学近くで父との会食を終え、大学の門から入学式の会場へと向かう多くの学生の塊りの中に私もおりました。 このことは父のその手紙で知ったのですが、父はその門の近くにある歩道橋に登り、私の歩く姿をずっと見ていたようです。 桜が満開の構内でした。 年々開花が早くなる今と違い、当時は入学式の頃に桜が満開になることが多かったように思います。 父は安心していたと思います。 バカ息子が見栄を張ってジーンズ姿で入学式に臨む姿を喜んでいてくれたと思います。 この話は、その時の手紙だけでなく、父が晩年に書いた文書の中でも満開の桜の下を歩く私のことをまた書いていてくれました。 私はもちろん後方の歩道橋の上にいる父の姿など知る由もなく、父の手紙で初めて知ったのですが、今では私が桜の花に囲まれた道を進むのをずっと見ている父の姿がはっきりと見えるような気がします。 桜に思うことはそれこそ宇宙空間ほどありますが、特に嬉しくも悲しく、楽しくも寂しい想い出ではあります。 |
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