菜園日記2022年8月
2022/08/07 8月に入りました。 実は、3日の水曜日にも水やりに畑に行ったのですが、雨が降ってきましたので早々に退散いたしました。 今日は少しは涼しいだろうと思い込んでいましたが、かなりの暑さとなりました。 レタスなどを終わりにします。 エダマメも全てを抜きました。エダマメは苦手な野菜の1つでしたが、今回はなかなか良い出来となりました。 あとは、ゴーヤやナスがそれなりの数が採れました。 シシトウやピーマン、トマトもたくさん採れました。 キュウリは、そろそろ終わりです。 トウガラシが赤く色づいてきました。 たっぷりと水をやって帰宅いたします。 ・・・・・ 2022/08/12 お盆の時期となりました。 道路はかなり混んでいましたが、夕方から畑へ。 レタス、エダマメ、トウモロコシの跡地に牛糞を入れてスコップで荒起こししておきます。 キュウリは全て終わりにします。今年のキュウリは梅雨時に雨が降らなかったこともあって、例年よりかなり少ない収穫となりました。 冬瓜、カボチャ、ナス、パプリカ、ズッキーニなどを収穫。 ズッキーニは以前に作っていた時のイメージと異なり、次から次へと実が生ります。 ナスもゴーヤもここにきて新しい実をたくさんつけるようになりました。 水やりをして撤退いたします。 ・・・・・ 2022/08/14 涼しい、というか少し暑さのマシな日曜日となりました。 夕方から畑へ。 キュウリの横のマクワウリ、冬瓜を終わりにします。ツルなどを撤去、ネット、支柱なども取り去ります。 冬瓜は1株しか植えませんでしたが、大きな実が10個ほど採れました。 トマトもそろそろ終わりという感じです。 ゴーヤやナスはまだまだ実をつけています。 そろそろ全体的に夏野菜を終了させる時期ではあります。 ・・・・・ 2022/08/21 当初の天気予報によると、朝のうち雨は残るが昼から晴れというものでしたが、午後にまた大雨、それが下火になるのを待って畑に走るとまたまた大雨というような最近ありがちな一日となりました。 従って、採れるものをパッと採って退散いたします。 最近の雨で、ナスやシシトウ、ゴーヤがたくさん採れました。 ズッキーニも大きなものが3つ。 夏の終わりになかなかの収穫です。 トマトは本格的に終わりの時期を迎えています。 本来、今日しようと思っていた畝を耕す作業は出来ずじまいでした。 ・・・・・ 2022/08/27 少し暑さの和らぐ土曜日となりました。夕方から畑へ。 トウモロコシ、エダマメ、レタスの跡地に化成肥料、石灰を入れて耕します。夏の畝づくりは老体に堪えます。 トマトを終わりにします。最後に数十個収穫。今年のトマトはなかなかいい感じには熟してくれませんでした。 ナス、ゴーヤ、シシトウなどを収穫。最近雨がけっこう降っていましたので、なかなかたくさん採れました。 ・・・・・ 2022/08/30 比較的暑さのマシな火曜日と思い、昼から畑へ。 畑につきますと、カンカンと晴れ渡り、なかなかの暑さとなりました。 キュウリの跡地に牛糞を入れて、荒起こししておきます。 トマトの支柱を全て撤去いたします。 トマトの支柱を利用してナスの枝を吊っていましたので、新たにそれ用の支柱を設置いたしました。ゴーヤ、ナス、シシトウなど収穫。 |
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歳を取るにつれて涙もろくなりました。 しかし、これは医学的に言われるように「背外側前頭前野」が担っている感情の抑制機能が低下したからという理由ではないのではないかと少し前に書きました。 (http://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2022/saiennikki2203.html) その素人判断の正否はともかく、もしこの機能低下が私にも現出していましたら、高齢化とともにどんどんと怒りっぽくなっていていいはずですが、少なくとも私の場合は歳とともに怒りっぽさがだんだんと低下してきたのではないかと感じています。 というか、私は以前かなりの「瞬間湯沸かし器」的存在でありました。 特に若い頃は、ちょっと見解が異なるだけで職場の上司だろうが、なんとかの偉い人だろーが、すぐにカッとして喧嘩を売ってばかりいたように記憶しています。 このような行動は組織内部の人間にとどまらず、職場に押しかけてきた右翼の集団とか、無法な要求をしてきた反社会グループに対しても平気で「瞬間湯沸かし器」となっていました。 私がこの歳まで無事に生きながらえているのは、周りの配慮ある皆さんのおかげであります。 かなり危険なラインにも立ったりしていましたので、特に職場の上司、同僚、部下の方々には心から感謝しています。 考えれば、以前から腕力も全くないのに向こう気だけが強く、学生の頃東京・山手線のプラットホームでヤクザと言い争いになり、気がつけば夕方のラッシュ時であるのに周りには誰もいないという景色もありました。 今でもたまに思い出す「怖かった」時間ではあります。 ラッキーさがなければ・・・と今思うと恐ろしい限りではあります。 まあ「瞬間湯沸かし器」的に怒ったりする時には、当然私なりの理由はあるのですが、しかし、そのような場合にちょっと冷静に考えたり行動したりすることのできない幼稚な人間であったことは確かです。 ごく普通の良識的な大人であれば普通にできていたことができない存在であったと改めて感じます。 また例えば、大きな声をあげたりすることが相手を非常に不快な気持ちにさせてしまうことに想いの及ばぬ自己中人間でもありました。 私も逆に、「瞬間湯沸かし器」人間に叱責されたことは何回もあります。 そんな時、私も相手に感じることはマイナスのイメージしかありません。 私のことを思って怒ってくれているのだなどとは思いもしません。 何で急に怒るのだ? こちらの意見は全く聞かないのか? そんな大きな声をあげる必要はあるのか? 等々等々。 立場が変われば、これだけのことを明確に認識できるのに他者に向かって「瞬間湯沸かし器」となってしまうことは想像力の欠片もないアホ人間と言わざるをえません。 最近はかなり「瞬間湯沸かし器」的要素が減ってきたと感じているのですが、一方でしかし、今でも毎日のように思いだす昔日のダメぶりが頭から振り払うことができずにまとわりついています。 私は長らく公務員というサラリーマン生活をしていたわけですが、ある時職場で「〇〇君やね、高校で一緒だった〇〇です。」と声をかけてくれた人がいました。 彼は当時大手商店の跡継ぎで、たまたま私がそこに在籍していることを知って声をかけに来てくれた高校の同級生でした。 私はその頃一人暮らしをしていましたので、家に必要な製品の購入や修理などでいろいろとお世話になることとなりました。 ある日、彼にちょっとしたことを頼んでいて、仕事終わりに私の家に寄ってもらうという段取りとなっていました。 私は仕事が終わるとすぐに帰宅して、彼が来るのを待っていました。 場合によっては一緒に食事でもと夕食も食べずに待っていたのですが、彼は9時を過ぎても現れず、10時を過ぎた頃にやってきました。 私の側の勝手な思いとしては、晩飯も食わずに待っているのに電話連絡もしてこないのはおかしいのではないの・・・というような気持ちでした。 でも、彼は他のお客さんのややこしいクレーム対応をしていたのかもしれないだろうし、忙しい商売人であることを理解してあげなくてはとも思っていました。 しかし、一方、私もその頃は毎月100時間、150時間といった「サービス残業」をしていた時代でしたから忙しいから連絡もできない・・・というような感覚は理解できないものでありました。 まあ、これがサラリーマンと商売人の違う部分なのかなと思ってもいました。 お客さんから強いクレームなどを受けていたら、ちょっと電話をするタイミングも容易には作れないかもと今では思います。 そのような想像力もなかった私ではありました。 そのようなことは、しかし、2度続きましたが、特にその時は彼に対して怒りを爆発することもありませんでした。 また私は、他のことでもあまり自分を説明せず、相手に説明を求めないという性格の人間でした。本来であればその都度冷静に説明をしたり説明を求めたりすることが正解なのだと思います。 正解というか、それが普通のまともな大人の姿なのでしょう。 対話もせずに自分の考えていることが正しいと思い込んでいた私です。 しかし、その後また彼にちょっとした用事を頼んだ時に、今考えれば意志の疎通が不十分だったことを契機に、私の「瞬間湯沸かし器」がついに爆発してしまいました。 私の職場であれば、双方で怒鳴りあいの大喧嘩になってもおかしくないのですが、その時も彼はジッと冷静にいました。 言った私もすぐに恥ずかしさを覚えましたが、怒りが止まらずまともな謝罪もできないダメな若者でもありました。 これまた、サラリーマンと商売人の違うところかと考えたりしました。 そんな時にでも、「お客さん」に対してジッと冷静に向かい合うのが商売人の在り方なのかもしれません。 例え友人に対する場合としても、そのような在り方が表出されるのでしょう。 商売人の彼と、同級生であり「瞬間湯沸かし器」のサラリーマンとの関係性に、当時の自分としては何か大きな隔たりを感じてもしまいました。 最近、歳と共に怒ることも減りました。 しかし今、自分で自分の昔日の「瞬間湯沸かし器」ぶりを振り返っては恥ずかしい思いになることが多々あります。 上に書いたことはその典型的な一例ですが、ン十年前のこととはいえ、今も繰り返し頭に浮かんでくる光景の1つです。 少なくとも、相手と冷静に話をしたりすることが何故できなかったのだろうかとよく思います。 私の大きな「欠陥」であると認識しています。 今になって認識したところで、「瞬間湯湯沸かし器」たる私によって嫌な思いをした人からその嫌な思いを払拭することは叶わないでしょう。 最近、上に書いた例だけでなく、他の「爆発」事例も思い出したりします。 私の「瞬間湯沸かし器」でご迷惑をかけた人々に対して一人一人頭を下げて謝罪したい気持ちです。 しかしながら、怒られるべき人間はやはりちゃんと怒らなくてはいけないとも思ってもいます。 少なくとも自分の感情の起伏次第によって「瞬間湯沸かし器」となる以前に、ちゃんとした方法で怒らなくてはいけないこともあるのだと思います。 まあ、冷静な怒り方があるとしても私のようなダメ人間にはなかなか困難なことかすもしれません。 現在の社会であれば、パワハラの典型的存在でしかないのかもと思います。 「背外側前頭前野」が担っている感情の抑制機能が低下してさらに怒りっぽくはなっていない現在の状況に感謝しています。 そうなっていたら、私は正に救いようのないダメ×3乗人間ではあります。 |