菜園日記2022年5月
2022/05/03 5月に入りました。 昼から量販店に行き、トマトの苗を4つ、ナスを3つ買って畑へ。 西側の畝の南から、トマト、ナスの苗を植えて、本支柱を立てておきます。 それぞれの苗には、先週植えたキュウリなども含め、短い支柱を立て、ビニ紐で留めておきます。 真ん中の畝の北側に化成肥料、石灰を入れて耕し、夏野菜用の畝を作成いたします。 ソラマメはちょっと病気かもしれません。 キャベツは結球を大きくしてきました。 玉ねぎ、にんにくは、まあそれなり・・・ ・・・・・ 2022/05/08 ゴールデンウィークも最終となりました。 量販店で、シシトウを2種2株、トウモロコシを4つ、エダマメの苗を4つ購入して畑へ。 真ん中の畝の北側に本日購入した苗を植えます。 ニンニクは小さい株のまますっかり葉を枯らせていましたので、全てを抜きます。大きいものもありましたが、全体的にはあまり育っておらず、ちょっと残念な結果となりました。 ニンニクとすずなりキャベツの跡地に鶏糞を入れて、荒起こししておきます。 キャベツは結球を大きくしてきました。 キュウリの1つが完全に枯れていました。???です。他のキュウリなどもちょっと元気がありません。 ソラマメはやはり病気のようです。 玉ねぎは小さいながら球を少しずつ大きくしてきた感じです。 先週植えたトマトとナスは元気な様子です。 ・・・・・ 2022/05/14 ゴールデンウィークも過ぎ去りました。 昼から量販店で、キュウリの苗を2つ、青シソの苗を1つ購入して畑へと走ります。 東側の畝に、ウリ科の野菜を並べていましたが、立ち枯れしてしまったキュウリの代わりに、そして少し空いていたスペースに、本日購入した苗を定植いたします。 ニンニクと鈴なりキャベツの跡地に化成肥料と石灰を入れ、耕して畝を作ります。 玉ねぎは、葉も全て倒伏し、球を太らせてきました。そろそろ収穫です。 ソラマメは、ウイルスにやられていますが、まだ新しく花を咲かせてきましたので、もう少し様子を見ることといたします。 キャベツは結球を大きくしてきました。しかし、青虫もかなりの数となっています。 他のものは概ね順調な感じです。 ・・・・・ 2022/05/15 雨続きで遅れた作業を取り戻すべく、昼から畑へ。 キャベツがそれなりの大きさになっていましたので、2つとも収穫いたします。まあ虫食いだらけですが、キャベツとして初収穫です。(今までは芽キャベツと鈴なりキャベツは作ったことがありました。) キャベツの跡地に牛糞を入れて荒起こししておきます。 ソラマメは瀕死ですが、ウイルスにやられた部分を撤去し、あと少しの可能性を見守ります。 キュウリ等は順調な様子。 トウモロコシは4株とも1本立ちにいたします。 玉ねぎを全て収穫いたします。ニンニクと同じく、今年の玉ねぎは小さな球のものばかりとなりました。玉ねぎも毎年比較的上手くできていましたが、今年は、玉ねぎやニンニクに不利な条件の年となってしまったのかもしれません。 トマトに本支柱を立て、上部を紐で留めます。 他のものも概ね順調に見えます。 ・・・・・ 2022/05/21 昼から畑へとまいります。 キャベツの跡地に化成肥料と石灰を入れ、耕して畝を作ります。 エダマメは、丸い虫が大量についていて、なかなか苦戦していました。虫を撤去いたしますが、水をやってもなかなか復活しません。 トマトとナスは元気な様子。 トウモロコシやシシトウも元気です。 キュウリなどウリ類は少し元気がありません。 ・・・・・ 2022/05/22 暑い日曜日となりました。 量販店で、ズッキーニ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、シシトウ、ピーマンの苗を購入して畑へ。 ニンニクとすずなりキャベツの跡地に、本日購入してきた苗を植えます。 キュウリなどウリ科の野菜を並べたところにネットを張りました。 玉ねぎの跡地に牛糞を入れ、荒起こししておきます。 エダマメにはまたまたたくさんの虫がついていましたが、撤去して水をやると元気になりました。 他の野菜も元気な様子です。 ・・・・・ 2022/05/29 5月最後の日曜日となりました。 真夏のような暑さです。 昼から量販店で、ゴーヤの苗を2つ、ミニカボチャの苗を1つ購入して畑へ。 キャベツの跡地に購入した苗を植えます。 玉ねぎの跡地に化成肥料と石灰を入れ、耕して畝を作ります。 他の野菜も概ね順調ですが、エダマメには相変わらず虫がついていて、ちょっと病気になってしまった感じです。 ソラマメも不調なまま。 今回は、豆類がダメな感じではあります。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
上島竜兵さんが亡くなりました。 上島竜兵さんは、1961年(昭和36年)1月20日、兵庫県丹波市に生まれ、神戸育ち。 ダチョウ倶楽部としての活躍も、キス芸、どうぞどうぞ、くるりんぱ、そしてジャンプ芸などの持ちネタも知らない人はいないといってよいものです。 2022年5月11日逝去、享年61歳。 私は、上島竜兵さんの熱心なファンというわけでもなく単なる一視聴者に過ぎませんが、突然亡くなったというニュースを聴き、びっくりして泣いてしまいました。 私がこのように泣いてしまったのは、脳の「背外側前頭前野」の劣化(*)なのかどうかは別として、何がそうさせたのか今も毎日考えているのですが、一つには私なりに上島竜兵さんの芸の在り方に共感していた部分が多かったということではないかと思っています。 * http://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2022/saiennikki2203.html といって、私は上島竜兵さんの芸歴やご活躍の場面などに特に詳しい人間でもなく、氏に対しての私の勝手な「思い込み」なのかもしれません。 ただ、一つはっきりしていることは、氏は私の好きな「領域」の芸人さんであったということです。 学生の頃、友人たちと喫茶店に集まってヨタ話をしていた時、その中の2人が落語にはまっていて、誰々の落語は芸術の域に達している、また誰々はもうすぐ 人間国宝になるだろうなどと語っていました。 それを聞いて私は、「芸が芸術に成り下がってはダメなんじゃないの!?」と持論を言ったのですが、私の発言は全く理解されることなく、彼らには「あいつは芸術のことが分からないダメ人間」と烙印を押された記憶があります。 しかし、この時の私の考え方は基本的に今でも変わっていません。 芸は芸術に成り下がってはダメだと強く考えています。 芸が芸術に成り下がっていくことは、いわゆるお笑い関係の芸のみならず、(比喩的な意味も含め)文化としての存在のあらゆる分野に見られるものです。 歌舞伎の歴史は良く知られています。 性の享楽やご政道批判で大人気を博したもののいつの間にか時のご政道に換骨奪胎され、幕府に気にいられる道を進んだかと思ったら、アッという間に日本を 代表する伝統文化の中心というポジションを手にいれました。 今や歌舞伎は日本固有の演劇、伝統芸能として重要無形文化財に指定されています。 また2005年にはユネスコにおいて傑作宣言がされ、2009年に無形文化遺産の代表一覧表に記載されてもいます。 歌舞伎は現在、日本を代表する芸術といっていいでしょう。 歌舞伎ファンだけでなく、多くの方はそのことを当然であり誇らしいことと考えていると思います。 そういう方々にとっては、正に日本の誇る伝統文化であります。 まあ、長い歴史を持つ文化、芸能のことを語っていきますと話は複雑多岐に折れ曲がってしまうかもしれません。 「伝統文化」という言葉自体、先ずは長年にわたり受け継がれてきた文化ということが基本なのでしょうから、「継続」してきたという力を持つものはその言葉にふさわしい存在ではあるのでしょう。 それは否定できません。 しかし、継続した「結果」がどこに向かっていったものなのかは、私にとって大きな関心の対象です。 比較的最近の?私の大好きな領域のことを2つほど書きたく思います。 一昔前にPTAから敵視された漫画は、その作者が「先生」と呼ばれるようになり、今は漫画を扱う大学も存在しています。 戦後の悪書追放運動は有名ですが、見るからに子供に有害なエログロ漫画などが悪書として追放されたのかといいますと、「鉄腕アトム」(手塚治虫)や「月光仮面」(川内康範原作・桑田二郎作画)そして「赤胴鈴之助」(福井英一・武内つなよし)といった勧善懲悪ものの人気作品もつるし上げの対象になっています。 * ちなみにでありますが、赤胴鈴之助はラジオ放送としてラジオ東京(現TBSラジオ)で1957年1月6日から放送されました。千葉さゆり役には当時小学生であった吉永小百合が公募で出演しています。女優・吉永小百合の誕生です。(千葉さゆりとは、北辰一刀流の祖千葉周作の娘の名前です。) 今から考えますとこのような作品群が何でつるし上げの対象とされたのか、なかなか理由も思い浮かびませんが、守旧的な人々にとっては、漫画のようなサブカルチュアーが大人気となること自体が我慢できなかったのかもしれません。 今思いますと、新しい文化が大きな潮流となっていくことに対する彼らの展望や危機感は正しかったと言えます。 まあこの辺は私的に極論を言いますと、漫画の可能性が「正しく評価」された結果とも言えます。 今はしかし、先にも書きましたように漫画家は先生と呼ばれるようになり、叙勲や国民栄誉賞の対象となっています。 また、1960~1970年代に「異議申し立て」運動の代名詞であったロックミュージックやフォークソングは、小学校などの音楽の時間に皆で仲良く歌われるものとなりました。 音楽の教科書には、少し前から歌唱や合奏の教材として「翼をください」とかビートルズの「イエスタディ」などが取り上げられていましたが、今はポピュラー音楽の系譜図やロックやジャズの解説まで載っています。 ロックやフォークソングを「学問的」に位置づけようとしているわけであります。 ご丁寧なことです。 またまた私的に極論を言わせていただければ、文部科学省か教科書制作会社などの勝手な枠組みでロックなどを定義するなんてことは止めていただきたいものです。 時代が移ろう中で、そのような変化が生じることについて全的に否定するつもりはありませんが、時の権力によって認められることを是とするのであれば、それがやがて自分自身を否定することになる存在としての文化もあるはずです。 また、このような存在をひとくくりにして、サブカルチュアーであるとか、カウンターカルチュアーとかの範疇で語ることもある意味危険なことであると思います。 しかしながら、具体的な時代的展開を捨象して言えば、多くの人は何故歴史のメインを流れる、あるいは文化のメインと言われるいわゆるハイカルチュアーの範疇に自分を置きたがるのでしょうか。 あるいは、自分の好きなものをハイカルチュアー的存在として認めたいのでしょうか。 そのような場所で安心したいのでしょうか。 そのような場所で認められたいのでしょうか。 ハイカルチュアーは、文化威信の高い文化活動群と定義づけもされますが、それは例えば具体的に、「クラシック音楽のコンサートに行く」、「美術館や博物館に行く」、「歌舞伎や能や文楽を観に行く」、「華道・茶道・書道をする」等々ということであれば、そのような行動をすることを多くの人々は切望しているのでしょうか!? 芸術としての落語ファンは、「寄席に行く」ことをそれらと同列に扱われることで非常なる満足を得るのでしょうか? 漫画やロックは、私の好きなものとしての代表ではありますが、その他現代の日本文化を代表する特撮やアニメなどもハイカルチュアーを目指しているのでしょうか!? ゲームは国立劇場のような場所でplayされるのでしょうか。 コスプレは家元制度の下で方法論が確立され、代々受け継がれていくのでしょうか。 フィギュアは、美術館でうやうやしく鑑賞されるものとなるのでしょうか。(←これはしかし、既にそんな端緒が見受けられます。) 私にはよく分かりません・・・ ただ、そのようになるのであれば、それはそれぞれの本来のエネルギーや姿を失った(換骨奪胎された!??)後のことであることは容易に想像できます。 上島竜兵さんの話からちょっと離れたところに来てしまいました。 私の思い込みの部分を拡大させすぎてしまいました。 申し訳ありません。 また改めて語りたく考えています。 上島竜兵さんの逝去にあたり、多くの方々が追悼の言葉を発しましたが、ビートたけしさんが所属事務所のホームページにアップした言葉を最後にあげておきたく思います。 「上島、大変ショックです。40年近く前から一緒に仕事をしてきたのに、芸人は笑っていくのが理想であって、のたれ死ぬのが最高だと教えてきたのに、どんなことがあっても笑って死んで行かなきゃいけないのに、非常に悔しくて悲しい」 |
|
|
|
2022年6月へ | 菜園日記topへ |