菜園日記2022年4月
2022/04/03 4月に入りましたが、雨のため、先週に続いての畑はお休みとなりました。 確か昨年もこの時期に雨が続いて、夏野菜の準備が少し遅れた記憶があります。 ・・・・・ 2022/04/09 雨などもあって、3週間ぶりの畑となりました。 この暖かさもあって、畑は雑草がたくさん背を伸ばしていました。 一番東側の畝の南半分に化成肥料と石灰を入れ、耕して畝を作ります。 すずなりキャベツが菜の花状態となっていました。すずなりキャベツの成功を見て少し後から植えたキャベツは、半分が球を巻かずに花を咲かそうとしており、半分が少し球を巻きそうな様子を見せています。もう少し観察です。 ネギ、わさび菜、シュンギクを収穫。 ソラマメも背を伸ばしてきました。 ニンニクや玉ねぎも順調な感じです。 ・・・・・ 2022/04/10 夏野菜の準備で忙しい時期となりますが、来週も所用で畑に来られないため、今週は土日と連続しての畑となりました。 西側の畝の南半分に化成肥料と石灰を入れて耕し、畝を作ります。 ソラマメは、ここにきてアブラムシが集まってきました。ちょっとピンチかもしれません。 キャベツは2種類を2つずつ植えましたが、その1種2株が大きくならず、花を咲かせてきました。残りの1種2株は少し球を巻こうとし始めています。 ネギ、わさび菜、シュンギクを収穫。 夏日の気温となりました。 ・・・・・ 2022/04/17 4月も後半に入りましたが、本日も所用のため、畑はお休みです。 ・・・・・ 2022/04/24 先週も所用で畑に来られませんでしたので、今日は・・・と考えていましたが、朝から本降りの雨となってしまいました。 この時期に困った天気ではあります。 と、昼前に書いていたのですが、昼過ぎに雨が弱くなってきましたので、できることだけでもと畑へ向かいます。 ネギ、シュンギク、わさび菜などの撤去。草抜き等々。 ・・・・・ 2022/04/29 ゴールデンウィークスタートの祝日ですが、かなりの雨となり、畑には行けません。 ・・・・・ 2022/04/30 4月も最終日となりました。昨日とは打って変わって、暑いぐらいの晴天となりました。 昼からすぐ量販店に行き、キュウリの苗を4種4株、マクワウリも1つ、トウガンを1つ購入して畑へ。 東側の畝の南側に本日購入した苗を植え、本支柱も立てておきます。 真ん中の畝の北側に腐葉土を入れ、スコップで荒起こしします。 玉ねぎは倒伏してきましたが、球はかなり小さなものとなっています。 ニンニクも葉を枯らせてきましたが、ちょっと株が小さいままとなっています。 キャベツは大きくなり、結球を進めているようです。 ソラマメはちょっと弱り気味な感じです。 後は、草抜き、水やり等々。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
4月に入りました。 私の無職素浪人生活も3年目に突入です。 と言っても、週休2日というような密度での継続的な仕事を探しているわけでもなく、できたらアルバイトでも・・・という程度の求職指向ですから、無職素浪人生活というよりは年金隠居生活と言ったほうが適切かもしれません。 我々の年代になりますと、仕事や時間に対する考え方は大きく2つに分かれるような気がします。 1つは、最後まで仕事を続けよう、仕事こそが生きがいそのものだという人たち。自由業をしている人たちの多くもこの範疇ではないかと思います。 あるいは、自由業であることで、なかなか仕事の終わり方が明確にならないのかもしれません。 昔のように代々の家業があって子供がそれを継いでいくという形であれば、それぞれの終わり方も明らかにしやすいでしょうか。 今一つは、残された時間は長くないのであるから年金などを切り詰めて生活する中で、いろいろと自分の興味などを最大限充足していこうとする人たち。 私はどちらかというと、後者の考え方にシンパシーを感じています。 まあその分、少ない収入の中での行動となりますから、現役時代のように贅沢!?はできません。 この2つの考え方については、本人の志向とは別に、それぞれの置かれた現実的立場、例えば、定年のあるサラリーマンというような要素、また定年はなく健康な限り継続できる職業といった要素などに規定される部分が大かもしれません。 しかし、現実的立場を超えた志向的な選択肢であることも確かでしょう。 さて、私はこの2年間、次から次へと様々な病気の治療を継続してきましたが、2年目の後半からはかなり落ち着いてきました。 毎週あるいは毎月といったペースで何ケ所かの病院に通わなくてはいけなかったものが、1つは2か月に一度となり、また1つは3か月に一度となり、その頻度はかなり落ちました。 思えば、放射線治療で連日の病院通いをしていた時期もありましたが、といってもまあしかし、朝の1~2時間程度で終わるのですから、職場に毎日通勤して8時間労働していたことを思えば、特に負担というわけでもありません。 それを負担というように感じること自体が気力体力の低下ということなのかもしれません。 まあ毎日通っても給料を頂くわけにはいかず、逆に医療費を支払わなくてはいけません。このことは明らかな負担です。 病気、そしてその治療は確実に人生の少なからぬ負担ではあります。 この2年間は、かなりのペースでさまざまな病気に対応いたしましたから、病院、特に総合病院通いのベテランになっていることが一つの密かな「マイ ステータス」でもありました。 いろいろな総合病院では、受付から料金支払いまでのシステムにかなり共通的なものを有していますが、独自なものもあり、特に待ち時間の長短、その対応などについては、それぞれの特徴が大きく現れたりいたします。 また、ちょっと複雑な手続きとなりますと、窓口の事務担当=多くは委託業者でしょうけど、その説明能力によって、お客さんの対応もかなり違ってきます。 言葉遣いの差などによるトラブルの多少も明確なものがあります。 そのような中で複数の総合病院やクリニックにそれなりの頻度で通っていますと、病院によって、どこに重点を置いて運営しているのか、あるいは内部業種間の力関係はどのようになっているのか、また、さまざまな事務改善を継続実施しているようだがチラッと影を見せる取り残された部分など、いろいろと窺えるところもあり、これも「マイ 自己満足」の1つとなります。 長い待ち時間も、有益な?観察時間として、非常に有効に「マイ ステータス」を構築してくれます。 このような日々の積み重ねで「患者のベテラン」と自己満足するような通院生活も、時間の経過とともに散発的なものとなり、一種の寂しさも生じたりいたしますが、一方ではそろそろ本格的にアルバイトでも探したり、趣味の生活を拡大したいなあと考えておりました。 しかし、ここにきて左膝のリハビリというものが加わってしまいました。 足の不具合は、この左膝が初めてではなく、実は今年2月に左足のくるぶしが激しく痛くなって歩けなくなるという症状がありました。 その時は、朝起きましたら左足のくるぶしあたりにねん挫したような違和感を少し感じたのですが、まあそんなにたいしたこともなく、午前中に銀行を2つ回り、午後からは病院を2つ回りと一定普通に歩いて用事を済ませておりました。 そして、その次の日には前々からの予定であった伊勢神宮に参拝いたしました。 神宮ですから、広い敷地を歩き、神社特有の長く急な階段を登ったり降りたりいたしました。この階段を歩く際には流石にちょっと足の動きに大きな不自由を感じたりはしておりました。 伊勢参拝の次の日からがダメでした。 左足が痛くなって、まともに歩けません。足を動かすと痛いというだけでなく、寝ていても痛さで目を覚ます事態となりました。 当初はまあ、休んでいたらそのうちに・・・と家に閉じこもっておりましたが、丸3日間ステイホームしていてもどーしようもない痛さになり、これは単なるねん挫などではないことにやっと気づき、近所の整形外科に行くこととなりました。 レントゲンを撮り、血液検査をいたします。 医者によれば、痛風か偽痛風ということでありました。 私は尿酸値は少し高い人間ですが、それほど高い方でもありません。 総合的な判断として、偽痛風の疑いが大ということでありました。 これはしかし、なかなか原因などもよく分からぬ病気のようです。 * 偽痛風 日本リウマチ学会のサイトによれば、 偽痛風(ぎつうふう、Pseudogout)とはピロリン酸カルシウム二水和物(CPPD)の関節軟骨や周囲組織への沈着を原因とした、関節炎を来す疾患の総称。痛風と同じような関節炎の症状を起こしますが、高尿酸血症が見られないことから名付けられたとのこと。このピロリン酸カルシウム結晶が関節内に沈着する主な原因は、あまり分かっていないとのことで、まあ困った病気ではあります。 ですから、日常的に注意する術もなく、またいつ再発するかも不明であります。 そこからまた1週間ほどの間、病院でいただいたシップと鎮静剤でやり過ごし、その間には3回目のコロナワクチンを打ちに病院にタクシーで往復したりしてもおりましたが、やがてなんとか痛みも引くこととなりました。 さてさて、その回復からちょうど1か月後、今度は小豆島旅行というタイミングに、左膝が痛くなりました。 痛み自体はそれほどでもないのですが、普通にスタスタとは歩けなくなり、また左足がなかなか普通には上がらなくなってしまいました。 これも旅行中はそれほどひどくはありませんでしたが、帰ってきてから痛みが増し、症状が激しくなってきました。 1か月前の偽痛風の時もそうでしたが、旅行時には神経が一定張りつめているために痛みをそれほど感じなかったのかもしれません。 しかし、こうなりますと、階段などは非常に不自由ですし、風呂に入る時も風呂桶をまたぐことがなかなか困難な状況となりました。 今回も数日様子を見ていても好転しませんので、またまた1ケ月前と同じ近所の整形外科に行き、レントゲン、MRIと診察していただきました。 レントゲンを撮るときにズボンを脱ぐのも痛い状態となっておりました。脱ぐ時だけでなく、ズボンを履くときも立ったままでは困難な状態でした。 そこでは1ケ月前の時と同じ先生に診ていただきましたが、偽痛風の派生・・・というようなことではなく、まあ膝の軟骨等の劣化であろうとの診察で、今回は別の整形外科の病院を紹介していただきました。 そこに参りますと、膝を専門とする医師がおられ、診断名としては両側性原発性膝関節症ということでした。 この病名自体はなかなか良く分からない面もあるのですが、一言で言えば、膝がもう老朽化、劣化している、軟骨が減っているし、変形もしている、ということのようです。 まあ偽痛風のように痛みが治まれば一旦は大丈夫ということではなく、継続的な治療が必要となりますから、膝関節に関わる筋肉を強化して痛みがでないようにし、かつ可動域を増やすという方向で、その病院のリハビリを受けることとなりました。 週に1回のリハビリ生活が始まりました。 もちろんリハビリで通院するのは初めての経験です。 最近は、病院通いのベテランとしてその自己満足的言説を心の中でつぶやく機会が上に書きましたように激減していましたが、またここに新たな自己満足的要素が加えられることとなりました。 ただ、この病院は家から歩いて15分ほどの距離なのですが、普通に歩いて通院していることを先生に言いますと、エー、自分で歩いて来られるのですか?!とちょっとした驚きで応えられますし、リハビリ初期のエクササイズなどで膝の痛みはほとんど消えてしまいましたので、今後本格的なリハビリ生活としてどのように自己満足を得られるかは不明であります。 まあ冗談はともかく、しばらくは新たな課題としてリハビリに取り組む私ではあります。 |
|
|
|
2022年5月へ | 菜園日記topへ |