菜園日記2022年2月
2022/02/06 2月に入りました。 雪がちらつき、強い風も吹く、寒い日曜日となりました。 昼から畑へ行き、ダイコン、ブロッコリー、すずなりキャベツ、ネギ、ホウレンソウなどを収穫。 またまた雪が落ちてきましたので、早々に退散いたします。 ・・・・・ 2022/02/13 冷たい雨の日曜日となりました。 畑はお休みです。 ・・・・・ 2022/02/19 2月も半分を過ぎましたが、ちょっと足を痛めてしまい、本日も畑には行けません。 困ったものです。 ・・・・・ 2022/02/27 2月も最後の日曜日となりました。 暖かくなるという予報でしたが、冷たい風の吹く一日となりました。 いろいろとあって、久しぶりの畑です。 スナップエンドウは2つの内1つが立ち枯れして、残った1つの様子を見ておりましたが、残る1つも枯れてしまいました。非常な寒さが続いたためか、何か他に基本的な原因があったためか・・・ ダイコン、ブロッコリー、ネギ、ホウレンソウ、正月菜などを収穫。 そろそろ夏野菜の準備もしなくてはいけません。 |
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2022年2月15日の火曜日に伊勢神宮をお詣りしてきました。 近鉄京都駅8時10分発直通特急ビスタカーに乗り、伊勢市駅に10時16分到着。 ビスタカーには多分初めて乗りましたが、ちょうど2階建て部分の2階の席となり、少し揺れの大きな乗り心地となりました。 (私はこの前日からちょっと足を痛めておりましたので余計に強く感じた次第。) 伊勢市駅は、近鉄、JRが共通の改札口となっていました。JR口から外にでます。地方都市によくある駅前の風景が広がっていました。 しかし、観光案内所や交通機関の案内など、やはり神宮を訪れる駅の設えでした。 その雰囲気の中で、私は出雲大社を訪れた時と同じことを思い出していました。 それは、小学校の時に観た東映アニメ『わんぱく王子の大蛇退治』です。 わんぱく王子とは素盞嗚尊であるわけですが、日本神話の天岩戸説話や八岐大蛇退治に題材を採った子供向けのファンタジー映画でした。 1963年公開の劇場用アニメ映画ですから、小学生の時に親に連れられてか、学校の集団映画鑑賞の1つとして行ったものかは記憶に定かではありませんが、素盞嗚尊が高天原で暴れたり、八岐大蛇を退治する場面などを今でも良く覚えています。 特に、素盞嗚尊にとどめをさされた八岐大蛇の亡骸が緑の山々や水の流れに変わっていった光景は、小さな子供ながらにその意味を考えたりもしておりました。 この時期、日本神話を他の場で学んだような記憶もありませんので、このアニメの中の天照大神や素盞嗚尊の姿が私の中の日本神話の原点となっている気がします。 伊勢市駅から歩いて外宮へと向かいます。 その参道は2月の平日ということもあってか、ちょっと寂しい感じでした。 外宮は、伊勢市駅から歩いて数百メートルのところにありました。 伊勢市の中心市街地にゆったりと存在しています。 外宮=豊受大神宮は、豊受大御神をお祀りしています。 豊受大御神は内宮の天照大御神の食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。 外宮は、森閑とした・・・という表現がふさわしい落ち着いた、大きな木々に囲まれた参道でした。 さて、外宮といえば、また少し思い起こすことがあります。 江戸時代に、おかげまいり、ええじゃないか・・・と言われるムーブメントがありましたが、私はそれらについて少し調べていたことがあります。 それぞれは別個の性質を帯びるイベントではありますが、その運動の中に幕末における天皇の復権を見出そうとする要素が語られることがあります。 また一方で、これらのムーブメント、特におかげまいりは、主に伊勢神宮の外宮を目的地としていて、天皇、天皇信仰とは直接的な関係性はなかったのではないかと述べる説も見受けられます。 しかしながら私見では、伊勢神宮を目的地あるいは題材とするイベントであったから云々、また外宮を目指していたから云々といった一種の単純化は、それらのイベントやまた江戸時代に伏流する人々の精神構造などの本質を見逃してしまう危険があるのではと考えたりしています。 もう少し勉強いたしたく思います。 外宮の正宮から、土宮、多賀宮、風宮と参拝。 外宮前からバスで内宮へと向かいます。 旅先でバスに乗る時には、どのような形で料金を支払ったらいいのだろうかなどと少し不安になってしまいますが、京都でいつも使っているPITAPAがそのまま使えて安心いたしました。最近の交通カードの進展はなかなかです。 さて、何故「内」宮、「外」宮なのかと思ってしまいますが、朝廷のことを「内裏」というように「内」は天皇を意味すると考えられ、皇大神宮の御祭神‧天照大御神が皇室の御祖先の神であることから「内」なる「宮」と言われているとか。 ちなみに、内宮の読み方は「ないぐう」ではなく「ないくう」、外宮は「げぐう」ではなく「げくう」です。 &、よく知られた話でもありますが、伊勢神宮の正式名称は「神宮」です。失礼な発言かもしれませんが、このような自信に満ち溢れた名称は他にはあまりないのではないでしょうか。 (といいつつ類似例を思いつきましたが、ここでは省略いたします。) バスには10分と少し乗っていたでしょうか。バスを降り、宇治橋を渡ります。 内宮は、外宮と反対で右側通行となっています。 「宇治」と言いますと、京都府宇治市のことが想起されますし、そこにも宇治橋が存在いたしますが、その両者の関係性について述べている説もあります。 五十鈴川でお清めをして、正宮=皇大神宮そして荒祭宮にお詣りいたしました。 内宮は、明るく雄大な参道でした。 帰路もまた宇治橋を渡り出てきますと、そろそろ昼食の時間となっていました。 隣接する、おはらい町、おかげ横丁に足を向けます。 宇治橋の前から猿田彦神社方面へ真っすぐ続く通りを「おはらい町」といいます。 伊勢神宮・内宮の鳥居前町です。 その中ほどに、おかげ横丁があります。 おはらい町の中でも特に、昔日の鳥居前町の町並みを再現した観光地となっています。 運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社がしているとか。 (赤福の不祥事事件*については、まだ記憶に新しいものではありますが、しかし、今も伊勢観光等の中心的存在であることは否定できません。*2005年~07年に行われた店頭売れ残り品を包装し直して再出荷する「まき直し」や、消費期限を先延ばしする「先付け」などの食品衛生法違反の偽装事件) ここはしかし、2月の平日だというのに若い観光客で溢れていました。 実は内宮の中でも若い参拝者が多いなあと感じておりましたが、この場にまいりますとそれ以上に多く感じます。 パワースポット云々ということで伊勢神宮が人気なのか、あるいは三重の他の観光地を巡った若者がこのおはらい町、おかげ横丁を神宮とは切り離した形でグルメスポットとして目指してきているのか。 いずれにしても、人気の観光地となっていることは間違いありません。 赤福本店も大盛況です。 多くの店の店頭で、コロッケ、カキフライ、から揚げなどファストフード的なものが販売され、そこには若い人達が列をなしていました。 アワビの串焼きなるものもありました。 そういえば、伊勢うどんは江戸時代から続く元祖ファストフードであるとか。 しかし、私のような高齢者は、ここにきて歩きながらのコロッケもいかがなものかと、せっかくの機会ですから、松坂牛の店を探します。 店頭の行列とは違い、店内はけっこう空いていました。 松坂牛「まるよし」の牛鍋セットをいただきます。 まん延防止等重点措置期間の三重県の方針ということで、アルコールは提供されていませんでした。 食事後、帰りのバス停へと向かいます。 時刻表を見ますと、つい先ほど出発したばかりのようで、30分ほどの待ち時間がありましたが少し待っていますと、臨時のバスがやってきました。 それほどの大混雑でもないのに、この辺の対応は優れているなあと少し感心。 そのバスで、伊勢市駅へ戻ります。 15時9分発の直通特急「伊勢志摩ライナー」に乗ります。 17時20分、京都駅着。 足を故障していたこともあって、少しバタバタした日帰りの小旅行となりました。 また、ここでは肝心の伊勢神宮のことについてあまり書けませんでした。 時を改めて、書きたく考えています。 一つ気づいたことですが、参拝者の皆さんの作法等が最近非常に洗練されてきているのではないでしょうか。 例えば、二礼二拍手一礼という方法は、我々の若い時には極めて少数の者しか実行していなかったものと思います。 また、鳥居をくぐる時に一礼をし、真ん中を避けて端を歩くというようなことも同様です。 多くの若い人が、帰路時も鳥居をくぐるたびに振り返り、一礼をしていました。 how to的な知識がネットのおかげで取得しやすくなっているためなのか、そのような知識を実践することを良とする人が増えているのか、さらには若者における神社仏閣などの参拝の在り方が以前とは違う価値観の下にあるのか等々、興味ある勉強課題ではあります。 いずれにしましても、私は本来不信心な人間であり、伊勢神宮の中を歩いている際も日本の神々の在り方や歴史といったことよりも、現在大きな転換期を迎えているであろう我々の暮らす共同社会が今後「まとまる」「存続し続ける」方法は 奈辺にあるのだろうかと、自分なりのテーマをいつもながらに考えておりました。 実は、少し前から考えていたことにヒントを加えていただいた気がしています。 |
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カリフラワー |
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