菜園日記2021年12月


2021/12/05

 12月に入りました。師走の寒さがあります。
 昼から畑へ。
 畑は概ね順調な様子でしたが、やはりソラマメがちょっと元気がありません。といって、まだ完全にダメなようにも見えません。
 カリフラワーの大きな頂花蕾、すずなりキャベツ、ネギ、レタス、ダイコンの間引き菜、ブロッコリーの側花蕾などを収穫。
 なかなかの収穫です。
 あとは水やり、草抜き等々。

・・・・・

2021/12/12

 暖かな日が続きます。
 昼から畑へ。
 ソラマメは少し元気になってきたようですが、まだなかなかピンチの色合いを残しています。
 ブロッコリーの頂花蕾を収穫。
 他にも、間引き菜を含め、正月菜、シュンギク、ダイコン、レタス、ネギなどを収穫。
 後は草抜き、水やり等々。

・・・・・

2021/12/19

 12月も後半となり、寒い日曜日となりました。
 昼から畑へ。
 野菜はほぼ順調な様子です。
 ソラマメもなんとかなりそうな感じです。
 カリフラワー、ブロッコリー、ダイコンの間引き菜等を収穫。
 寒い風が吹いてきましたので、水やりを簡単にして、早々に退散いたします。

・・・・・

2021/12/26

 厳寒の日曜日となりました。
 雪もちらついてきましたので、畑はお休みです。

・・・・・

2021/12/30

 今年最後の畑となりました。
 そろそろ大きくなってきたダイコン、2本を抜きます。
 ブロッコリーの側花蕾、ネギを3株、ホウレンソウ、正月菜、わさび菜などを収穫。
 今年の葉物野菜は、とても上手くできています。上手くできる時は、株のスタイルもなかなか良くなっています。
 ソラマメはちょっと心配していましたが、青い新しい葉や茎が伸びてきました。一安心です。
 今年は全体的に、上出来な畑ではありました。


   
 


 私の高校時代からの友人Sが7年近く前に、ちょうど還暦という若さで亡くなってしまったことについては前に書きました。

http://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2015/saiennikki1502.htm

 このページに詳しく書きましたが、彼とは一緒に酒を飲み、旅行に行き、バイクで走り、そして何よりも2人の共通の趣味であったロックについて語り合い、コンサートやライブハウス、ロック喫茶等々によく一緒に行きました。

 彼との結びつきは、Rockという要素が一番だったかと思います。
 2人とも少なくとも当時は、洋楽一辺倒でハードロックやブルースが大好きで、会えばロックについての話は尽きませんでした。
 私は、ギターやベースを弾いてロックバンドをしていましたし、Sはロックについてかなり掘り下げた知識や意見を有していました。

 二人の学生時代ぐらいまで、外国の有名バンドが来日すると京都にも来てコンサートをしました。
 今は京都は素通りして、大阪などの大きな収容人数の会場でしかプレイしませんが、当時は旧の京都会館などでコンサートをしていました。
 エリック・クラプトンもサンタナもSと一緒に京都会館で聴きました。

* 今はライブという言葉を使いますが、当時は一般的にはコンサートと言っていました。また現在は特に若い人々が「ライブに参戦する」というように表現しますが、これに関しては、単に「聴きに行く」というよりもいろいろな要素を現す言葉であると評価?しています。 

 その中でも、京都八坂神社くの円山公園音楽堂でのコンサートは忘れることができないものの1つです。
 思えば小さな野外の施設で、今でしたら騒音問題などでロックのコンサートなどは問題外の場所です。
 1975年8月6日に開催されたそのロック・コンサート=「ワールドロックフェスティバル・イーストランド」に、私はSと「参戦」いたしました。
 小雨が降っていたと記憶しています。
 
 このコンサートはかなりの出演メンバーが揃っていましたが、なんといっても目玉はジェフ・ベックでした。
 ほとんどの参加者かジェフ・ベックを目当てに押し寄せていました。
 その後もこのフェスに関して、いろいろなサイト等でその時の参戦者がそれぞれの想い出を述べていますが、ほとんどがジェフ・ベック目当てに集結していたと語っています。
 しかし、ジェフ・ベックは登場しませんでした。
 やはりその日を待ち焦がれて参戦していたフォーク歌手の豊田勇造氏は「ジェフ・ベックが来なかった雨の円山音楽堂」と歌にし、今もライブで歌っています。
 それぐらい多くの人の期待を集めていたコンサートでした。
 後になっていろいろな人と話していると「実は私もその時、そこに居た」という人が多くて驚くことがあります。

 企画者であり司会をしていた内田裕也氏は、さまざまな言い訳を述べたあげくに最後、ジェフ・ベックは風邪で高熱のため出演不可になったと説明しました。
 しかし、当日は雨が降っており、それを嫌ったのではないかと私は思いました。そのように考えていた人も多かったように思います。
 実際には、ジェフ・ベックはアメリカツアーでかなり体調を崩していたようで、この間近までハワイで静養していたとか。
 あるいは・・・等々といろいろなうわさ話も飛び交った事件ではありました。

 代わりにニューヨークドールズのステージが2回ありました。私は実は他の演者をあまりよく覚えてはいないのですが、このためニューヨークドールズの演奏は強く脳裏に残っています。
 ジェフ・ベックについては残念なコンサートではありましたが、今となってはそのことや天気が雨だったことも含め、Sとの思い出深い時空間となりました。
 (ジェフ・ベックに関しては、Sが亡くなる10年ほど前に一緒に大阪厚生年金会館に「参戦」しました。これも深く心に残るライブの1つです。)

* 円山公園音楽堂は、昭和2年11月に開堂。京都市東山区の円山公園内にあり、2528名を収容できる会場です。マイルス・ディビスやキャロルを初め、多くの「伝説」を生んだ会場でもあります。

 また、Sと共に行った旅行も印象深いものがいろいろとありました。
 あてもなく数日間、信州などを回ったこと。
 2人で泊りがけで日本海に海水浴に行ったこと、などなど。
 また、ちょっと旅行とは言えないかもしれませんが、ある正月のこと、
「うなぎを食べに行こう!」
と京都駅から新幹線に飛び乗って浜松に行き、目的のうなぎを食べ、その後も飲んでいて時間を見失ない、帰路名古屋までしか辿り着けず、名古屋駅で始発まで過ごしたことも今や楽しい思い出の1つです。

 さて、Sは病気のこともあってか、生前から自分の弔われ方をいろいろと考慮していたようです。そして、通常のお墓に納骨という形をとらず、骨仏という方法を選択していました。

 骨仏とは、寺に納められた遺骨を集めて粉にし、セメントで固めて作った仏像のことを言います。各地にあるようですが、Sの眠る大阪天王寺の一心寺の阿弥陀像が有名です。

 そこでは骨仏は10年ごとの練造が内規として定められているようで、そのために時間を要したこと、またコロナの関係もあり、私がその一心寺を訪れることができましたのは、2021年の12月14日のこととなりました。

 JR天王寺駅から、スマホを頼りに15分ほど歩きます。
 一心寺は特に行事もない平日にも関わらず、多くの人で賑わっていました。
 彼のお骨仏・14期阿弥陀尊像の場所はすぐに分かりました。
 像はガラス戸の向こう側に安置されていましたので、通常のお墓のように直接間近にお供えをしたりすることはできません。
 指定の場所に線香を立て、ガラス戸の外側からお参りいたしました。
 7年ぶりの再会です。

 葬儀の、特に出棺の時に、故人の親しい友人などが「またゴルフに一緒に行きましょう!」とか「また飲みに行こう!」などと声をかけることがよくあります。
 私の親しい友人の多くが若くして亡くなりましたが、そのような声を発しようと思ったことは今までありませんでした。
 しかし、この時Sのお骨仏に対しては「またいつかどこかで会ったら、また一緒に遊ぼう!」という言葉が心の中に自然に浮かんできて、そのように語りかけました。

 友人関係の軽重といったことではなく、本当にまた一緒に遊べるのではないかという想いが生じていました。

 お参り後、近くにある四天王寺、あべのハルカス、通天閣と歩きました。
 あべのハルカス60階の展望台や通天閣の展望台から大阪の街を見ていますと、昔Sに連れて行ってもらった「トップ・オブ・オオサカ」の夜を思い出しました。

 トップ・オブ・オオサカは、大阪のとある?ビルの最上階?にあったラウンジ?で、当時はテレビでもよく宣伝していたりして、有名どころの場所でした。
 Sが大阪の会社に就職してから間もなくのことだったと思いますが、私がまだ大学院に通っていた時のことか、就職してからのことかはっきりした記憶はありませんけれども、大阪でSと二人で食事をして、その後このトップ・オブ・オオサカに連れて行ってもらい、Sに奢ってもらったことを覚えています。

 当時の私からすると、テレビなどあまり見ない私でもCMで知っているような人気スポットに連れて行ってもらって奢ってもらったことで、彼の職場での活躍ぶりが間接的に分かったような気がして、とても嬉しく感じたことを今でも覚えています。

* トップ・オブ・オオサカのことは、今ネットで検索してもほとんど全くヒットしません。昔にあった飲食店の1つという感じで、特に取り上げられることもない存在なのでしょうか。上の文章に?マークが複数つくのはその関係ではあります。

 トップ・オブ・オオサカが「高い」ビルにあったと言っても、あべのハルカスの60階とは異なりますが、ハルカス60階の展望台=地上287.6mから見る大阪の街は、ビル群が広がり、大阪湾が見え・・・と、Sが営業マンとして大阪を走り回っていた姿を浮かび上がらせてくれました。

 また、その景色は大きく平野が広がっていて、東京タワーなどから見る東京の景色にも似ており、私が東京に下宿していた学生時代にSが訪ねてきてくれて、一緒に大学の授業に潜り込んだりした日のことなども思い出しました。
 
 Sとの想い出は山ほどあり、今回できなかった昔話をしに、また一心寺に会いに行きたく思っています。

 そして、またいつかどこかで一緒にロックを聴きながら、酒でも飲みたいものです。


 
 
12月末の畑の様子




ニンニク


すずなりキャベツ

レタス

ショウガツ菜

ホウレンソウ



ダイコン

 


ネギ



シュンギク


ワサビ菜



玉ねぎ





 

キャベツ


ソラマメ

スナップエンドウ


カリフラワー


ブロッコリー



2022年1月へ 菜園日記topへ