菜園日記2021年10月
2021/10/03 10月に入りました。 30度を超える日曜日となりました。 昼から量販店に行き、ダイコンとホウレンソウの種を買って、畑へ。 一番西側の畝の一番南側にダイコン、その北側にホウレンソウの種を蒔きます。 本日で、ナスを終わりにしようと思っていましたが、大きく元気なナスが10個ほど収穫できましたので、まだ少し置いておくことにいたします。これほどナスが元気に続くのは初めてのことです。 今年初めて植えた夏のネギを初収穫です。まだ固い感じはいたします。 ニンニクが2か所ほど目を出していました。 他の野菜にも少し追肥、草取りなどいたします。 ・・・ 2021/10/10 まだまだ暑い日が続きます。 初めに量販店に行き、ショウガツ菜とシュンギクの種を購入して畑へ。 レタスの南側にショウガツ菜の種を蒔きます。 ネギの南側にシュンギクの種を蒔きます。 今日こそは、ナスを終わりに・・・と考えていましたが、まだまだ大きな実が幾つも生り、花もつけていますので、もう少し置いておくことといたします。 他の人の畑を見ても、ナスを続けているところも多く見られます。全体的に今年はナスの当たり年なのかもしれません。 他の野菜も順調でした。 ・・・ 2021/10/16 朝から開店と同時に量販店へ入り、カラシ菜とスナップエンドウの苗を購入して畑へ。 ネギの南側のシュンギクの南にカラシ菜の苗を植えます。 トマトの跡地に、スナップエンドウの苗を植えます。 ナスは本日こそ本当に本当に終わりに・・・と思っていましたが、20個も実が採れ、まだまだ花も咲かせていますので、まだまだ残しておきます。 ダイコンは良く発芽してきました。 他の葉物野菜も小さな双葉を見せ始めました。 すずなりキャベツなどはかなり虫に食べられています。 昼から所用がありましたので、水やりをして撤退です。 ・・・ 2021/10/24 昼過ぎまで所用があったため、夕方から先ず量販店に行き、玉ネギの苗を購入して畑へ。 真ん中の畝の南側に玉ねぎを定植いたします。 いろいろと蒔いた葉物野菜はなかなか発芽が多くは確認できません。 カラシ菜の苗は、かなり弱っています。根腐れしているかもしれません。 ナスはまたまた10数個収穫できました。 ・・・ 2021/10/31 10月も最後の日となりました。 昼から畑へ。 先週完全に立ち枯れしたかなと思われたカラシ菜が少し元気になっています。もう少し様子をみることとします。 葉物野菜は、全体的に発芽が確認できましたが、かなりまばらになっていましたので、少し種を追加で蒔きます。 ナスはいよいよ終わりにします。株、支柱など撤去して、跡地に腐葉土を入れて、荒起こししておきます。ナスは毎年育てていますが、10月の末までこんなに実をたくさん収穫できたのは初めてのことです。 ネギを2本、根元で切って収穫。 すずなりキャベツ、ブロッコリーなども順調な様子です。 |
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10月10日・・・といっても、「とつきとおか」で子供が出産というようなことではありません。 10がつの10かです。 さて、しかし、この「とつきとおか」なのですが、現代においては最終月経の初日から280日目(40週)を出産予定日として計算しています。 従って単純に10か月プラス10日の日付にはならず、むしろ9か月と少しという時期となるわけです。 このような事実に対して、何故「とつきとおか」という表現がされるようになったのかについては、いろいろな説があって面白く思います。 旧暦から新暦への移行、数えから満への移行、そして最終生理日予定日からの計算の登場など、移り変わる時代の計測方法の変化などが表現の違いの原因になったのではないかと言われています。 * 例えばですが、月数を「数え」で数えると10か月となるが「満」で数えると9か月となるとか。あるいは、太陰暦では1か月は28日間であるとか等々。 ちょっと寄り道となりますが、数詞10の読み方はいろいろと面白いものがあります。また現代的にはかなり変化していますね。 以前は、10個は、「じゅっこ」ではなく、「じっこ」と呼ぶものと学びました。 現代では、数詞「10」を「じっ」と読むという習慣は薄れつつあるようです。特別な慣用的あるいは歴史的な読み方(例えば「十把(じっぱ)一絡(ひとから)げ」「十手(じって)」「十派(じっぱ)」「十傑(じっけつ)」など)以外は、「じゅっ」と読んでも間違いとは言わなくなりました。 「10個」の規範的な読み方は「じっこ」ですが、今は「じゅっこ」と呼ぶのが普通?なのかもしれません。 この関係でもう一つ遠く寄り道いたしますと、例えば「食べる」の可能形を最近はプロのアナウンサーでも「食べれる」なんて堂々と言っていますが、これについては長くなるのでまた別に書きます。 閑話休題 さて、「とつきとおか」ではなく、「10がつ10か」の話なのですが、この日は長く体育の日でした。 (以下、10月10日と表記いたします。) 体育の日の由来や名称について、もはや若い人々は知らないかもしれませんが、1964年(昭和39年)に東京オリンピックの開会式が行われた日=10月10日を、1966年(昭和41年)に「体育の日」に定め国民の祝日としたものです。 東京オリンピックといっても「前の・・・」と書かなくてはいけないかもしれません。 我々、前のオリンピックを経験した世代にはなかなか思い出のある日であります。 私は小学生でした。 高度経済成長期の中、オリンピック開催に合わせ、道路が整備されたり、新幹線が走ったり・・・と、世の中が大きく動いていたことは子供でも実感できました。 名神高速道路の一部、栗東IC - 尼崎ICは、1963年(昭和38年)7月16日に日本初の都市間高速道路として開通しました。 開通の直後、一家で車に乗り込んで京都から尼崎へと走り、終点でUターンして(それが許されていました)、また京都までドライブしたことを覚えています。 1964年(昭和39年)10月1日には、東京駅 - 新大阪駅間に東海道新幹線が開業いたします。 この10月10日は、その後体育の日として、学校などでもこの日に運動会などを行うことが一般的であったと思います。 また10月10日は、天候も一種の特異日だと記憶している人も多いと思われます。 特異日とは、その前後の日と比べて偶然とは思われない程の高い確率で、特定の気象状態(天気、気温、日照時間など)が現れる日のことで、世界的に認められた概念であるようです。 例えば、日本では晴れの特異日として11月3日、文化の日が知られています。そのため、この日に屋外で実施される地域の行事などが数多く設定されています。 最近は、しかし、地球温暖化のせいなのか、昔から晴れの特異日といわれている日も豪雨の日が増えたりしていますね。 そして、10月10日が東京の晴れの特異日であったことから、1964年の東京オリンピックの開会式の日に選ばれたと言われることがありますが、現実的には10月10日は統計的に晴れが多い日とは言いがたく、晴れの特異日ではなかったようです。 まあ、そのことも含め、何故10月10日を東京オリンピックの開会式に定めたかについては、ここでは省略いたします。 いずれにしても、日本でスポーツをするにはいい時期であることは確かでしょう。 現在のようにアメリカのマスコミの利権確保のために真夏に開催されるオリンピックの現実とは雲泥の差であります。 このことだけでも、アスリートファーストなんて言葉がむなしく響きます。 とりわけIOCの関係者にはアスリートファーストなどと言う言葉を使ってほしくないものです。 改めて記しておきますが、8月のオリンピック開催はアメリカのテレビ局の都合であります。この時期、アメリカのスポーツ界で圧倒的な人気を誇る4大スポーツのうちアメリカン・フットボール(NFL)、バスケットボール(NBA)、アイスホッケー(NHL)はいずれもシーズンオフ。唯一開催中の野球のメジャーリーグ(MLB)もレギュラーシーズンがほぼ終わっている状況です。 つまり、8月にオリンピックが開かれることは、アメリカのテレビ局にとってきわめて好都合であり、その結果、開催地の気候などはお構いなく、オリンピックは北半球の真夏に開かれるのであります。 そして、IOCは莫大な放映権料をテレビ局からいただきます。 まさに、アスリートファーストどころか、利権ファーストの大会ともいえます。 話は戻りますが、いろいろな経過がある中、体育の日はそのように定められました。 しかし、その後いわゆる「ハッピーマンデー制度」が適用され、体育の日は10月の第2月曜日となり、その後名称も「スポーツの日」に改められます。 * ハッピーマンデー制度は、2度に渡って実施されましたが、体育の日は1998年(平成10年)「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」によって、10月の第2月曜日に移動しました。 * 2018年(平成30年)に改正祝日法が成立し、2020年(令和2年)「体育の日」は「スポーツの日」へと改められました。 まあ祝日固有の歴史をもっと大切にしろ!と大声をあげるつもりはありませんが、体育の日は、前の東京オリンピックを知っている人々の多くに、特別な感情を抱かせる日でもあったと思います。 ちなみに「スポーツの日」は、体育の日以前に存在していました。 1961年に制定されたスポーツ振興法(スポーツ基本法の前身)において、「スポーツの日」として10月の第1土曜日が定められていたということです。ただし、この日は、祝日ではありませんでした。 もう一つ、ちなみにですが、「スポーツの日」という名称は日本の祝日では、初めての英語由来の片仮名の名称であるとのことです。 そして、さらに今年2021年については、東京オリンピック/パラリンピックの開催に伴い、「東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法」の規定に基づいて、このスポーツの日は7月23日に移動しています。 結果として、今年の10月は祝日のない月となってしまいました。 なんやかんやとオリンピックの期間を盛り上げることが目的であったのなら、祝日を移動させなくても、今年だけ祝日を増やせばよかったのではと思う私です。 まあ、いずれにせよ、年寄りにとって2回目の東京オリンピックが今年開催されました。 コロナで1年延期、そして様々な議論がある中でしたが、原則無観客という異例な開催となりました。 私は、スポーツそれ自体にそれほど興味がありませんので、オリンピックそれ自体にも関心は薄い人間なのですが、やはり東京オリンピックということで、他国で開催されるオリンピックに対するものよりは高い関心度となりました。 前の東京オリンピックの時にはあまり注目されていなかったものがあります。 それは、パラリンピックてす。 パラリンピックの歴史は、その内容や名称など、紆余曲折している部分もありますが、簡単に言いますと、1960年のローマオリンピックの場で、第1回パラリンピックと呼ばれるものが実施されたようです。 そして、第2回大会は、その次の1964年の東京オリンピックが開催された東京で実施されました。 その状況やパラリンピックの意義、歴史などについて詳しく書く余裕も知識もありませんが、私がこの夏の東京パラリンピックで刮目して見ておりましたのは、アスリートの皆さんのとても明るい表情、そしてどこまでも前向きの姿勢でした。 もう1つ、バンドをしている私としては、パラリンピック開会式の「デコトラRock Band」はひたすらカッコ良いものでした。アスリートの皆さんだけでなく、そのバンドの皆さんには最大限の「カッコ良さ」がありました。 失礼な表現になるかもしれませんが、私が何か大きな障害を負った際には、私はひたすら社会から閉じこもり、世に恨みつらみを発し、他者と自分を比べては泣き言ばかりを繰り返すだけの人間であり続けてしまうことはほぼ間違いありません。 パラリンピックの競技を見れば見るほど、自分の矮小な姿があぶりだされて、情けない感情にもなりました。 しかし、そのようなことが自覚でき、わずかながらでも意識改革のできた私にとって、このような祭典を観ることができたことに感謝しています。 できれば、スポーツに適した10月に開催してほしかったですね。 |
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カリフラワー |
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