菜園日記2021年5月


2021/05/02

 5月に入りました。
 今年もコロナ禍のゴールデンウィークです。
 本日は苗を植える予定でしたが、雨予報のため、その合間をぬって、畝を耕すだけといたしました。
 ブロッコリーとネギの跡地、正月菜とホウレンソウの跡地に、化成肥料と石灰を入れて耕し、畝を作ります。
 ソラマメがまた大きくなっていましたので、10数個収穫。
 タマネギはそろそろ球を丸くしてきました。

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2021/05/08

 昼からコーナンに行き、ナスの苗を4つ、トマトを4つ、シシトウを2つ購入。それぞれ全て違う品種を1つずつ買いました。
 畑へ行き、一番東側の畝に、先ほど購入した苗10本を植えます。
 苗の回りにモミガラを撒いて、水やり。
 ソラマメは、明らかに病気のように思われる株がでてきましたので、それらを全て撤去いたします。
 タマネギは不調です。他の方の畑も同様になっていまして、聞きますと、西日本全体にタマネギのベト病なるものが蔓延しているとのこと。結球が大きくならないようです。私の畑も結球を大きくしてくれません・・・

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2021/05/09

 2日連続となりましたが、昼から量販店で苗と種を購入して畑へ。
 ブロッコリーとネギの跡地に、キュウリとゴーヤの苗を植えます。
 短い支柱を添え、紐で苗を留めます。
 正月菜とホウレンソウの跡地に、エダマメの種を蒔きます。8か所、4粒ずつ。エダマメは、何回も作っていますが、なかなか上手くいきません。
  ソラマメを20個ほど収穫。
 タマネギは、倒伏し始めました。

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2021/05/15

 暑い土曜日となりました。
 昼から畑へ。
 先週植えたキュウリが見事に葉を食べられています。その生命力に期待しますが、この状態では無理かも。
 その他の苗は概ね順調です。
 タマネギを試しに1つ抜きます。球はまだまだ小さいものでした。病気ということで、大きくなるかは疑問。
 ニンニクを試しに1つ抜きます。なかなか大きないい形のニンニクができていました。
 キュウリとゴーヤの畝に本支柱を立てます。あとはキュウリがどうなるのか・・・です。
 ソラマメを20個ほど収穫。今までにないほど、ソラマメは順調です。

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2021/05/23

 異常に早い梅雨入り後、かなりの雨が続いていましたが、久しぶりの晴天の日曜日となりました。
 先週ボロボロに虫に食べられていたキュウリは見事に復活して背を伸ばしています。なかなかの生命力です。
 ニンニクを全て採ります。先週の試し採りを含めると全25個となりました。
 ニンニクと葉物野菜の跡地に鶏糞を入れ、荒起こししておきます。
 ソラマメをまた20個ほど収穫。
 タマネギもここに来て球を大きくし、倒伏してきました。
 エダマメも2ケ所ほど発芽を確認。
 他の苗も順調です。

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2021/05/30

 5月最後の日曜日となりました。
 梅雨の晴れ間の清々しい日曜日です。昼から畑へ。
 ニンニクと葉物野菜の跡地に、化成肥料と石灰を入れて耕し、畝を作ります。
 タマネギを全て抜きました。今年は球が全く大きくならず、ベト病かと考えていましたが、最終期にグングンと大きくなり、今までにない大きなタマネギが収穫できました。50数個。
 ソラマメを全て収穫して終わりとします。本日は、100個近くの収穫となりました。今年のソラマメもなかなかのいい出来でした。
 タマネギとソラマメの跡地に鶏糞を入れて、荒起こししておきます。
 ナスに支柱を設置。
 トマト、キュウリなどが伸びてきましたので、また上部を支柱に留めます。
 エダマメは、まだ2ケ所しか発芽を確認できません。
 後は、たっぷりと水やり等々。


   
 


 私は、生まれてから小学校に入る前まで、東京都は世田谷区の松陰神社の近くに住んでいました。
 松陰神社には行った記憶はないのですが、松陰幼稚園に通っていた時のことを断片的に覚えています。

 その私の家には、比較的早くからテレビが入っていました。
 人気番組の時間ともなると、近所の方々が我が家の縁側に座って、テレビを見ておられました。
 子ども心に「中に入って、もっと近くで見ればいいのに」なんて思ってもいましたが、今考えれば、そのように招き入れるような親しい隣人ではない方々もテレビに集まっていた「時代」だったのでしょう。
 特にプロレスの時にたくさんの方が来ておられたような記憶もあります。

 当時のテレビ番組については、非常に小さい頃のものですから、具体的な記憶はあまりないのですが、「シャボン玉ホリデー」や「チロリン村とクルミの木」など懐かしく想い出す場面が幾つかあります。
 他に思いつく番組をあげますと、「スター千一夜」、「おとなの漫画」、「真珠の小箱」、「番頭はんと丁稚どん」、「ザ・ヒットパレード」、「鞍馬天狗」、「兼高かおる世界飛び歩き」、「まぼろし探偵」、「海底人8823」、「少年ジェット」
などなど。

 その頃の私は、「少年ジェット」が一番のお気に入りだったかもしれません。
 空地などでやたら「ウーヤーター」と叫んでいました。

* ウーヤーターは、ミラクルボイスと名付けられ、少年ジェットが「ウーヤーター」と大きな声で叫ぶと振動が起こり、敵は失神してしまいます。この時期は、皆が皆「ウーヤーター」と大声で叫んでいました。

 当時、テレビ創世期のバラエティ番組は、まだほとんどが生放送であったことも記憶にあります。(まあドラマも生放送でしていましたが・・・)
 その一つに「夢であいましょう」という番組がありました。NHKのバラエティ番組で、1961年4月から1966年4月まで、土曜日の22時台に「生放送」されていました。
 これまた細かな記憶もありませんし、放送時間帯が遅いので、いつも見ていたわけではないと思いますが、そのタイトルとともに、何か独特な雰囲気も懐かしい番組ではあります。

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 私の(私が一方的に思っているかもしれない)親友と連絡が取れなくなって、いつの間にか10年以上が経過いたしました。
 当初は、何か事故があったのか、重い病気にでもなったのかといろいろと心配いたしましたが、そうでもないらしく、安心はしています。

 彼とは多くの数えきれない想い出があります。
 小学校4年生の春、転入生がそれぞれのクラスに配置される前に集められたU小学校の校長室で、隣に座った彼が私に「何処から来たの?」と声をかけてきたこと。
 2人で旅行に行ったこと。ボウリングに行ったこと。同じ塾に通ったこと。
 彼の家で二人、ジッとロックのレコードを聴いていたこと。
 ケンカしたこと。
 浪人中にも関わらず、東京まで私の大学の学園祭でのロック演奏を聴きに来てくれたこと。
 普通自動車免許取り立ての時に、レンタカーを借りて鎌倉へドライブに行ったこと。
 彼の結婚式には私が司会をしたこと。
などなど、などなど。

 最近の様子については、あまり詮索をしたくありませんし、またいつか連絡をくれるようになるだろうと考えるようになりました。

 しかし、毎日のように頭に浮かびますし、よく夢にも出てきます。

 夢に出てくる場合は、他の夢によくあるようにボヤーとした姿かたち、非現実的な言動の場合が多いのですが、つい最近、かなりリアルな夢を見ました。
 彼の姿かたちは、昔日の若い時のものでありましたが、かなりはっきりとしていて、私と会話した内容も「長年会えなかったけれども、またよろしく」といった感じの具体的なものでした。
 どこかのテーブルの前で、お茶を飲みながら、そんな話を楽しくしていました。

 あまりにリアルで、あまりに嬉しい内容だったので、私は夢が覚めてからも想い出しては泣いてしまいました。
 夢で誰かに会えることがこんなに嬉しいこととは、今まで考えたこともありませんでした。

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 「夢で逢いましょう」は、上記バラエティ番組「夢であいましょう」のテーマ曲で、オー プニングでは東京混声合唱団が、そして、エンディングでは坂本スミ子が歌っていたものです。

  作詞:永 六輔、作曲:中村 八大

 夢であいましょう
 夢であいましょう
 夜があなたを抱きしめ
 夜があなたに囁く
 うれしげに 悲しげに
 楽しげに 淋しげに
 夢で 夢で
 君も 僕も
 夢であいましょう

 うれしげに 悲しげに
 楽しげに 淋しげに
 夢で 夢で
 君も 僕も
 夢であいましょう


5月末の畑の様子




(なし)





キュウリ




ゴーヤ


 


(なし)




 

エダマメ

 

ナス



トマト




シシトウ


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