菜園日記2021年3月


2021/03/07

 3月に入りました。
 本日は所用のため、畑はお休みです。

・・・・・

2021/03/14

 春らしい暖かな日曜日となりました。
 ジャガイモの跡地などをまた荒起こししておきます。
 プロッコリーの側花蕾を収穫。
 コマツナの花を食用菜の花として収穫。
 ソラマメが大きくなってきましたので、支柱で回りを囲み、ビニ紐を回して、株が倒れないようにします。
 後は草抜き等々。

・・・・・

2021/03/21

 昨晩から続き、かなりの雨となっています。
 畑はお休みです。

・・・・・

2021/03/28

 本日もかなりの雨となり、畑はお休みとなりました。
 2週連続の雨休みです。

この3月は雨が多かったこともあり、畑へは1回しか行けず、野菜の写真も取り損ねました。
一方で、厳寒と言われたこの冬も後半はぐんぐんと暖かくなり、
桜の開花も非常に早くなりましたので、私の立ち寄り先などの桜をご紹介いたします。 
 
落葉の時期も含め、定点観測しているような?光徳公園の桜。
下では園児たちが弁当を広げています。(3/17)


 
光徳公園の横にある某中学高校の南端に植えられた桜。(3/29)



近江カントリー倶楽部正面の枝垂れ桜(3/27)


 

新選組壬生屯所跡地の桜(4/1)


 

交野カントリー倶楽部 par3ホールの景色(4/3)



 

 
 2021年3月。
 この冬は厳寒と予報されていましたが、後半はかなりの暖冬となり、桜の開花も早いものとなりました。 
 コロナ禍で迎える2回目の春です。

 私の場合、日本におけるコロナの拡大、蔓延等と、自身の癌治療とがほぼ同時期的に平行していましたが、癌についてはこの2月に寛解通告を受け、一方では相変わらずのコロナ禍の中の2回目の春を迎えました。

 年度末であり、厚生労働省の職員が23人という大人数で歓送迎会を開催していたとか、地方自治体の職員がやはり多人数で送別会をしていたとか報じられています。その後も類似のニュースが繰り返されてもいます。
 注目を浴びやすい役所関係のものがどうしても大きく報じられますが、その他のものも少なからず開催されているのでしょう。

 その是非は(敢えて)いったん別にして、送別の宴ができないことは、しかし、とても寂しいことではあります。
 別れることそれ自体が寂しいことなのですから、送別会などの機会が持てないことは、その寂しさに拍車をかけることにもなります。
 特に長年の務めを終えて退職される方に退職記念のお祝いを盛大にしてあげたいのは、極めて一般的な感覚であると思います。 
 来年こそは送別会などはもちろん、この時期に相応しい桜の花の下での宴会を楽しくしたいものです。

 さて、この時期に大人数の歓送迎会を開催したことは責任を問われても仕方ないことであると思いますが、歓送迎会を許さない現実の理由は明確にコロナに存在しています。
 それだけでなく、コロナは日常生活の全てに渡って、我々の行動を制約しています。

 コロナやその対応に関する考え方は様々に成立しえます。

 一つに、SNSなどでよく見かける論として、コロナなんて本当は実態のないものであり、それがあたかも恐ろしい病気であるかのように思われているのは、世の権力者やマスコミなどの「陰謀」であるという主張があります。

 この論はしかし、非常に脆弱な、また嘘の証拠などで成り立ってはいますが、活動したい、遊びたい若者の一つの理屈として拡散していることは確かな事実です。
 またこれらの論を仲間内で秘密結社的に信じているだけならまだいいのですが、その主張はSNSなどで拡散され続けてもいます。

 私の見るところ、これらの主張者のコロナやその対応に対する意見、主張などの多くは自ら考えたものというより、SNSで拡散されたものの「コピー」が非常に多くなっていると思われます。
 遊びたい、宴会したい、活動したい、そのための理屈〜理論武装が必要なのであり、それは極論を生み出すこともあります。

 「コロナで重症化するのは、一部の高齢者である。そのために、若者の行動が制限されたり、我々の経済活動が制約を受けるのはけしからん。日本の平均寿命はかなり高いのだから、一部の高齢者の生命を必要以上に尊重する必要はないのではないか」
と、年寄りは死んでも仕方ないのだというような論もごく普通に拡散されています。

 さて、昨年、横浜港に停泊していたダイヤモンド・プリンセス号内での状況が連日大きく報じられていた時も、多くの、否、ほとんどの人々はコロナを一時的な災いと思っていたはずです。
 せいぜい2〜3か月経って暖かくなれば、サーズやエイズのように、自分たちの生活にはまあ無縁なものになるであろうと考えていたのではないでしょうか。
 ところが、あにはからんや、2回目の春を迎える中でコロナの行方はいまだ暗闇の中です。

 そして一方で、上にあげたような極論には及びませんが、コロナは単なる風邪の一種であり、大騒ぎすることは経済的なダメージを大きくするばかりであり、人々の行動を不要に制限するものであるという考え方も根強くあります。このような論はいろいろなパターンがあります。、
 いろいろな考え方が成立しうることは否定しませんし、ここでその主張それ自体の是非を考える気もありません。
 問題は、SNSなどで拡散させている、その論拠となる(論拠としようとしている)「ネタ」や証拠とされているもの等々の「内容」です。

 コロナ=風邪論の理論的展開よりも、政府や専門家の推進しようとしている対処方法などについて、極端な逆の「証拠」を示して「必要ない、無駄だ、悪影響が多い」と主張する「ネタ」が非常に多くなっています。

 最近見たものの1つに、マスクは役に立たない、何枚付けても無駄だ!という動画がありました。
 まあマスクから少し気体がもれる様子を描いているものであれば、それなりに説得力があるでしょう。我が国の誇るスーパーコンピュータのマスクに関する演算結果を視覚的には上回るかもしれません。
 
 しかしながら、その動画は全然違いました。
 マスクを2重にして着用している男性から、青い気体がどんどんと出てきます。その男性はマスクを交換し、2重、あるいは3重と試しますが、やはり青い気体がどんどんと次から次へと大量に出てきます。

 何か色をつけた気体を吸い込んで吐いた状況というものではなく、あるいは実際の息に色をつけるような処理をしたというものでもなく、次から次へと青い気体が大量に生じて、しかも、男性の口からだけでなく、頬から耳から、そして頭のてっぺんから、青い気体が大量に噴出してきます。
 明らかに意図的にコンピュータ処理などを施した画像です。
 しかしながら、その動画に対するコメントを見ますと、
「これを見て、マスクの不要さが明らかになった」
などというものばかりです。
 彼らが本気でそのように書いているのか、批判能力が全く存在しないのか、他人事ながら心配になってしまうレベルです。
 しかし、自分がマスクをつけないことの「言い訳」の1つには使えるかもしれません。

 今一つ最近の例としては、どこかの国のテレビニュースを映している動画で、付けられた日本語のテロップが
「ワクチンを打った人の80%が高い熱など重篤な状態になっている」
と記されているものがありました。
 明らかに嘘の動画であり、でたらめなテロップを誰かが意図的につけているものですが、これまた視聴者のコメントが
「コロナではわずかな人間しか症状がでないのに、ワクチンは80%が重篤な状態となる。だから、ワクチンは決して打ってはいけない」
というようなものでありました。
 最近ではエスカレートし、
「○○社のワクチン接種後に×万人死亡」「△△社のワクチン接種後に□万人が死亡、重症」
といった堂々たるアナウンスを、世界なんとかワクチン機構などといった何か公的機関のような嘘の名前を付けて報じています。
 元々の動画を作る人間も、コピー、拡散する人間もそれをどこまで信じているかは別として、このようなネタを流すこと自体に快感を感じることが目的ではないかとしか思えない状況であります。

 まあ自分たちのプロパガンダに使える「証拠」は、何でも使おう、ホントでもウソでも構わないといった作戦は今に始まったものではないでしょうけども、ちょっと幼稚すぎるものであり、それを本気で信じている、また、誰かに見せれば説得力があるだろうと考えることがどーしても理解できません。
 
 まあ千歩譲って意図的なものでないとしても、いわゆる「確証バイアス」といわれるものの極端な形ではあるでしょう。

* 「確証バイアス」(「科学辞典」サイトによれば)
人間は自分の考えが正しいか否かを検証する際に、自分の考えを証明する証拠ばかりを探してしまい、反証情報に注目しない傾向が強い。これを確証バイアスと呼ぶ。ある情報が入ってきた場合、その情報と合致する事例が見つかることによって、その情報は正しいと証明されたような気持ちになりやすい。しかし、これは証明を指示する情報が見つかったと言うだけで、反証を指示する情報の方が多い可能性は十分にあり得るのである。

 また悪質な偽造という意味では、コロナ以外でも最近、地震や台風などの災害時に、動物園からライオンが逃げたぞ!と適当な合成写真を拡散させていた事案がありましたが、同様に困ったものです。場合により犯罪ともなりうるでしょう。

 そして、これらの「証拠」の掲出、拡散だけでなく、最近目立つ傾向は、冒頭にも書きましたが、コロナに関する陰謀論の展開です。
 まあ、この類の主張の多くは結局のところ陰謀論にたどり着くことが少なくありませんが、今もSNSなどで繰り返し主張されている極端な主張の一つは、
「コロナは実は存在しない。コロナで死亡した人は1人もいない。全て国家、地方自治体などとマスコミのでっちあげである」
というようなものです。
 誰がこれを信じるのかというよりも、言っている本人がどういうつもりで言っているのか実に不可解な展開ではありますが、「言うに事欠いて」状態の極限形かもしれません。
 別の面からみれば、神がかった信心状態とも言えます。

 さてさて、ちょっと話は斜めになりますが、東日本大震災から少し経過して、被災当時には考えられなかった「訴訟」が多く起こされました。
 国や地方自治体、そして東電らに対する訴訟などは想定内のものではありましたが、避難時のそれぞれの現場の「リーダー」的存在の判断ミス、行動の誤り等々を訴えるものも多くあります。
 その是非は敢えていったん別として、必死に生きようとして、また懸命に周囲の人々の命を救おうと思って行動した人間に対して、ちょっと寂しい行為かなと思ってもしまいます。(第三者的な私の感情ではありますが・・・)
 この東日本大震災の時も、震災は某国の秘密兵器が起こしたのだ!というような陰謀論が堂々と発表、拡散されていました。
 しかし私は、このような「面白可笑しい」陰謀論は、震災で犠牲となった人々や一生懸命向き合った人々に極めて「失礼」な論であると思っています。

 コロナも一段落したら、今では考えられないいろいろな「争い」が浮かび上がってくる気がいたします。

 コロナの対応に関する非難合戦ではなく、来年こそは楽しい春を、桜の下での宴を期待したく思います。

3月末の畑の様子




葉物野菜


ニンニク


(なし)




ブロッコリー
カリフラワー


 


ソラマメ


タマネギ


(なし)
 

正月菜

 

(なし)


コマツナ


(なし)



(なし)


2021年4月へ 菜園日記topへ