菜園日記2021年1月
2021/01/03 年が明けました。 今年初めての畑は収穫だけといたします。 ダイコン1本、ネギ1株、ホウレンソウ2株、ブロッコリーの側花蕾を10個ほど、 そしてカラシナ。穏やかな年となってほしいものです。 ・・・・・・ 2021/01/11 稀に見る大寒波襲来! とのことですが、本日は少し寒さが緩みました。昼から畑へ。 寒さのせいか、ソラマメを初めとして、元気がなく、ヘタっとしている株が幾つかあります。 ダイコンを1本、ネギを2株収穫。 あとは畝間の整地、草抜き、水やりをして撤退いたします。 ・・・・・・ 2021/01/17 所用のため、畑はお休みです。 ・・・・・・ 2021/01/24 本日は雨のため、畑はお休みです。 2週連続の休みとなりました。 ・・・・・・ 2021/01/31 1月最終日となりました。 昼から畑へ。 2週連続でお休みしましたので、3週間ぶりの畑です。 大きなダイコンを2本、ネギを4株、ブロッコリーとホウレンソウを少しずつ収穫いたします。 ソラマメはたくさんの株が重なって大きくなっていましたので、間引きます。 葉物野菜は、カラシ菜以外はちょっと枯れてきました。 |
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若い頃の私は、年中行事や季節的なイベント、とりわけ「式」と名のつくものなどに全く興味を持たない人間でした。 興味を持たないということに収まらず、それらを否定してもおりました。 なんでそのようなものに参加するのかと異を唱えたり、そのようなイベントに出向く人々をバカにしたりもしておりました。 京都に住んでおりましたから、そのような行事は多くあります。 しかしながら、若い頃に祇園祭や五山送り火になどを見に行った記憶はありません。 一方、区切りのイベント等々という意味では、高校の修学旅行や卒業式、また成人式などというものにももちろん不参加でありました。 単なる天邪鬼であったと言うこともできますが、まあしかし、まだまだ学生運動が終焉していない時代でしたので、形式的に定められた成人式のような式典などには行かないぞー!と張り切っていた同年代の方も少なくはないはずです。 先日たまたま見ていたテレビで、コロナ禍の中、成人式が行えないといった話題が展開されていましたが、その番組のコメンテーターの一人である私よりだいぶ若い弁護士が「自分が若い頃には成人式にいくことに価値を認めていなかった」と言っていました。その方は今はテレビでかなり「保守的な」発現をされる方ですが、どうやら若い天邪鬼は世代を超えて存在していたようです。 そんな中で、高校時代にも大晦日の夜からの初詣には行っていた記憶があります。 これはしかし、門限などを気にせず、夜中に堂々と友人たちと行動できるという面で初詣なるものに参加していた感が大きいと思います。 大晦日から元日の朝にかけては、家人にも「夜遊び」とは認識されませんでした。 また最近は、いわゆる年中行事といわれるものにも興味を持つようになりました。 祇園祭の宵山などにも、大変な人混みに交じって街を歩いたりします。 以前でしたら、そういう「行事」ということとは別に、「人混み」という現象が避けたいものの最たるものでありました。 単に窮屈な空間ということもありますが、多くの人が興味を示すものはとりあえずは否定するということでもありました。 * 年中行事ということとは少し違いますが、畑で野菜を育てるようになってからは、その季節季節の作物や気候などにも興味を持つようになりました。毎年の繰り返しという意味では、畑仕事といわゆる年中行事などが私の中のどこかで結びつくようになったのかもしれません。夏には夏の祭りがあり、冬には冬の食べ物がある・・・と言った自然なことに、私のような不出来な存在以外の方々は早くから 気づいておられたわけですが、不肖の至りではあります。 さてさて、正月の年中行事といえば、最近の私は、コロナ禍ということを別にすれば、近所の壬生寺に除夜の鐘を撞きに行くことから始まります。 現在のマンションに住むようになってからほぼ4半世紀が経とうとしています。何時頃か明確には覚えてはおりませんが、その初期の段階で、壬生寺で除夜の鐘に参加できるという事を知りました。 * 壬生寺の除夜の鐘撞き 12月31日 23:40から(開門は午後10時30分) 梵鐘を108打して、百八つあるといわれる煩悩(迷い・悩み・苦しみ)を少しでも取り去って、くる年はよりよい年であるようにと祈願します。 第1打は貫主が撞き、第2打から希望者に、一打につき約10人位ずつ綱を引き、ついて頂きます。(希望者は2列に並んで頂きます。) 先着300名には甘酒の無料接待をします。鐘をついた後、希望者に温かい「甘酒」を差し上げます。 梵鐘は嘉永元年(1848)に鋳造されたもので、重さは約1,35dです。鐘楼は嘉永4年 (1851) の再建です。 ※除夜の鐘つきは、午後10時30分に開門、元日の午前1時に閉門致します。 (壬生寺のfacebookより) 毎年、大晦日らしいテレビ番組を見ながら少しお酒をいただき、時間を見計らって出かけます。 (今年はコロナの関係もあって出かけませんでした。) だいたい11時半頃になりますが、その時には既に数百人の方が並んでいます。 しかし、10人で1回ですので、十分に全員が撞くことができます。 (実際には家族友人達の固まりを分割はしませんので、12〜3人で一組となっています。) 鐘を撞いて甘酒をいただき、その時には既に年があけていますので、年始のお詣りもいたします。 (全国的には、寺での初詣も一般的なものかもしれませんが、私の場合、それはこの壬生寺が初めてで全てです。) 壬生寺は家から歩いて5分もかからない所にありますので、いろいろな意味で親しみあるお寺となりました。 そして家に戻り、お節料理を少し食べながら、お酒をいただき、寝ます。 明けて元日、従来は、北野天満宮、平野神社と参るのが例年のパターンでした。 時間のある時には、その他の京都の神社にも参っていました。 しかし、あるときから、わざわざ遠くへ初詣に行くことを止め、これまた家から5分ちょっとのところにある梛神社へ参るようになりました。 小さな社ですが、正月には参拝者が列をなします。 * 梛神社(なぎじんじゃ)は、京都府京都市中京区壬生にある神社。通称は「元祇園社」。 境内には大正期に遷座した式内大社の隼神社(はやぶさじんじゃ)が鎮座する。 境内北側に御供石があり、祇園祭の山鉾巡行の際にこの石の上に神饌を置いて神に供える習わしになっている。 もとは下京区万寿寺通烏丸西入ル、御供石町にあったが、1932年にこちらに移された。 社伝では、貞観11年(869年)3月朔日に京での疫病流行により播磨国広峰(広峰神社)から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのが創祀という。 その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会の起源であるとしている。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという。 明治までは小祠であったが、明治7年(1874年)と昭和4年(1929年)の復興により現在の形が整えられたという。 (Wikipedia) 正月は「ハレ」の日でありますが、自分の毎年の生活の中で「ハレ」に臨むという意味では、家のすぐ近くで、除夜の鐘を撞き、初詣をすることが最適な過ごし方であるのかもしれません。 歴史的にも近所の氏神様に詣でることが基本であったのでしょう。 交通網の発達などにより、遠方の有名な寺社仏閣にでかけるようになったのはそれほど昔の話ではないように思えます。 自宅マンションに接する坊城通りをまっすぐ北へ2〜3分歩けば、壬生寺、そこからまた同じ坊城通りをまっすぐ北へ2〜3分歩けば梛神社。 来年もこの場所で、年を越すことができたなあと思います。 ・・・・・・ 〇2021.1.1の壬生寺 ![]() ・・・・・・ 〇2021.1.1の梛神社 ![]() ・・・・・・ 〇2021のお節 ![]() |
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タマネギ ホウレンソウ 正月菜 |
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