菜園日記2020年8月


2020/08/02

 梅雨明けです。
 8月に入りました。
 記録的に長い梅雨も明けました。
 暑い暑い京都です。
 先週は雨のために行けませんでしたので、2週間ぶりの畑です。
 夕方から畑へ。
 キュウリとシシトウは完全に枯れていました。長雨のためか、猛暑のためなのか、その両方なのか・・・2つとも全て撤去いたします。
 ナスとトマトは元気です。それなりに実を収穫。ゴーヤも元気です。いくつか収穫。
 インゲンが伸びてきましたので、支柱を立て、間引きます。
 あと、エダマメ、ダイコンもそれなりです。

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 2020/08/08

 京都らしい暑い暑い一週間が過ぎました。
 夕方から畑へ。
 野菜達は、暑さと水枯れで皆枯れ枯れと思っていましたが、意外に元気でした。
 先週支柱を立てたインゲンは、早くも長くツルを絡ませています。
 もう一つの豆類、エダマメは株が大きくならないままで、ちょっと収穫はダメかも・・・という感じです。
 ゴーヤ、トマト、ナス、辛味ダイコンをそれぞれ収穫。
 水をたっぷりと与えます。

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2020/08/14

 猛暑の京都となりました。
 夕方から水をやりに行きます。
 ナス、トマトなど少しずつ収穫。

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2020/08/16

 かなりの猛暑が続きます。
 今年は「危険な暑さ」が続いています。
 本日の京都もかなりの猛暑となりました。
 夕方から水をやりに畑へ。
 ナス、トマト、ゴーヤを少しずつ収穫。

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2020/08/20

 夕方から水やりに行きます。
 ゴーヤ、ナス、トマトを少しずつ収穫。

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2020/08/23

 40度近い酷暑が続いていましたが、少し気温も下がりましたので、夕方少し早めから畑へ。といっても、35度はあります。
 辛味ダイコン、ラディッシュを全て抜きます。辛味ダイコンは20個ほど、ラディッシュはちょっと形の悪いもの数個収穫。
 エダマメは、株が枯れていますので、全て抜きます。食べられそうな実は20個ほど。
 ダイコン、イチゴ、エダマメの跡地に腐葉土を入れ、荒起こししておきます。
 あとは、ゴーヤ、バナナウリ、ナス、トマトを少しずつ収穫。
 インゲンは元気ですが、なかなか伸びてきません。

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2020/08/29

 まだまだ暑い京都ですが、夕方から畑へ。
 西側の畝に化成肥料と石灰を入れ、耕し始めましたが、1/4ほど進んだところで、夕立となりました。
 雨が止むまで車の中で待機しておりましたが、土も水を吸って作業はできない状態となりましたので、退散いたします。

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2020/08/30

 8月最後の日曜日となりました。夕方から畑へ。
 西側の畝を耕します。完了。
 あとはナス、ゴーヤ、トマトを収穫。
 インゲンはなかなか伸びてきません。というか、支柱に絡まってきません・・・??


   
 

 
 2020年の夏は、いろいろな意味で記憶に残る夏となりました。

 年が明けて間もなく入院、そして在宅治療を継続している癌については、夏を超すこととなりました。

 世界的に蔓延しているコロナは、この夏もまだまだ終息には遠いものとなっています。

 梅雨が異常に長引き、その後はかなりの猛暑となりました。

 異常な勢力の台風も襲来いたしました。

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 京都の夏は例年祇園祭の山鉾巡行と同時にやってきます。
 人で溢れる宵山、そして山鉾巡行が過ぎ、京都らしい湿度の高い暑い暑い夏が訪れます。
 私は本来人混みは好きではありませんが、何時の頃からか年中行事である宵山には「参加」したいと、人混みの中へでかけるようになりました。
 たまには人混みも楽しいものです。暑い中宵山を歩いていますと、そろそろ本格的な夏が来るなあと感じます。
 今年は、コロナの関係で山鉾巡行も中止となりました。
 この山鉾巡行については、今は正確に前祭の山鉾巡行と言わなくてはいけません。

 祇園祭は疫病退散を祈願する八坂神社の神事です。
 古来、神事の中心となる7月17日の神幸祭と7月24日の還幸祭にあわせて、17日に前祭の山鉾巡行、24日に後祭の山鉾巡行を行うことが習わしになっていましたが、昭和41年(1966年)に7月17日に両者併せて行われることとなりました。
 以来、祇園祭の山鉾巡行といえば7月17日ということが定着しましたが、しかし、平成26年(2014年)より後祭の山鉾巡行を24日に行うものとして本来の形が復活しました。

 いずれにしても、長く1本化の時期がありましたので、京都に住む人間としては7月17日の山鉾巡行とほぼ同時に梅雨が明けるという季節感が一種の常識ではありました。
 しかし、今年はコロナの関係で巡行は中止。
 その成り立ちが疫病退散の祈願であった祭としては、非常に残念で皮肉的な中止ではあります。

 そして、2020年の近畿地方の梅雨明けは7月31日となりました。平年より10日遅く、昨年より7日遅いとのことです。
 この長い梅雨のおかげで、私の家庭菜園の作物もなかなか困難な状況となりましたが、一般的にも野菜の高騰が報じられたりいたしました。
 異常な梅雨の長さではありました。

 梅雨が終わりますと、これまた異常な猛暑がやってきました。
 今年の8月の猛暑ぶりは、いろいろな記録も生まれたようです。
 近畿地方でいえば、大阪市は統計開始以来、初めて1週間連続で最高気温が37°C以上となったとか。
 梅雨の期間、気温も低い時期が続きましたので、急変の猛暑に身体もなれず、非常にツライ夏ではありました。

 癌治療が長く続き、体力がとても落ちた私にとっては特にシンドイ今年の夏となりました。
 まあ、いずれにしても高齢者が夏に無理をすることは避けるべきことなのでしょう。この「無理がきかない」現実に直面いたしますと、自分が確実に歳を取っていることを如実に思い知らされます。
 父が存命の時、家族でよくゴルフに行きましたが、父は毎年2月と8月はゴルフをお休みしていました。
 当時私はまだ40歳前後という年代でしたから、父の真夏、真冬のゴルフ休みの理由を実感できませんでしたが、今は非常によく理解できます。

 さてさて、祇園祭と並んで今一つの京都の夏の風物詩といえば、五山送り火でしょう。
 五山送り火は、毎年8月16日に執り行われ、「大文字」・「妙法」などの炎の文字は、お盆に迎えた精霊を再び冥府へ返す送り火とされています。
 五山送り火として浮かび上がる文字、絵は「大・妙法・船・左大文字・鳥居」の5つです。

 今年の送り火は、やはりコロナの関係で、規模を大幅に縮小して行われました。
 例年は、大などの文字や船形などの絵がくっきりと浮かび上がるのですが、各山とも点火する場所が数か所に減らされ、点々と火が灯るような形となりました。

 この送り火については、私は最近わざわざ見にでかけることはありませんでしたが、住んでいるマンションの上階に上がりますと、全てを見渡すことができます。
 ですから、毎年この日になりますと、このマンション最上階の共用廊下は、下の階の住人などでなかなか賑やかになります。
 しかしながら今年は、他の方も上がっては行かれなかったようです。
 まあ、本来その地元ごとのお盆の行事なのですから、その他大勢に見ていただく必要はないのだとは思います。

 さて、私的には、京都の夏で忘れてはならない今1つのイベントは、「京都・五条坂陶器まつり」です。
 毎年、8月7〜10日に五条通の南北両方の歩道に川端通から東大路まで全国の陶器屋さんが屋台を連ねます。
 毎年同じ陶器屋を訪れ、少しずつシリーズで食器を揃えたりしています。

 真夏の暑い夜の散策がてらとなりますが、多くの陶器屋の並ぶ五条通は、屋台ごとの色合いや飲食物の出店なども合わせ、なかなか風情のある景色となります。今年はこのイベントも新型コロナウイルスの影響で中止となりました。

 ちょうどこの陶器祭りの期間、五条通から少し北の松原通りでは六道珍皇寺の「六道詣り」が開催されます。
 お盆に祖先の霊を迎えに詣る行事です。

 「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅(阿修羅)道・人道(人間)・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生するといわれています。
 この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境の辻が、古来よりこの六道珍皇寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきたとのこと。
 このような伝説が生じたのは、この寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」をされたことにより、ここがいわば「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったこと、また小野篁が夜毎冥府通いのため、当寺の本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたことによるものであろうと伝えられています。

 この時期の六道珍皇寺は、この世とあの世の境にふさわしい一種独特な雰囲気の中にあります。
 陶器市を歩いた後に、この寺を覗き、ブラブラと四条まで歩いて食事・・・というのが、毎年の私の真夏の行事ではありました。

 例年の私の夏の行事は以上のような感じではありますが、今年は多くの方にとって、果たせなかった残念な夏が多く存在するものと思われます。

 花火大会、夏祭り、真夏のロックフェス、帰省、家族・友人との旅行。
 海水浴、山歩きなどは、自粛していた方も多いでしょう。
 宴会も自粛対象の1つでしたから、夏にふさわしい仲間との冷えたビールで乾杯!も思うようには実現できなかったことと思います。

 学校の一斉休校という対応により、授業時間の不足が問題となり、夏休みが短縮されるということも生じました。
 私は、夏休みの短縮は、ただ単に授業時間の過不足というものとは別に、大きな問題を抱えているのではないかと考えています。
 過去から繰り返し繰り返し語られるものではありますが、小説、映画などのテーマの1つで、若者が夏の間にさまざまに経験を積んで、大きく、あるいは子供から大人へ成長するというものがあります。
 長くて短い夏。暑い時空間の中で人をひと回りもふた回りも成長させる夏は、青年にとって非常に貴重な時空間であるのでしょう。
 いつもは行かない場所に行き、新たな友人と出遭い、初めての経験を持ち、危険なあるいは甘美な時間を過ごして、若者は知らず知らずに生まれ変わります。

 コロナのおかげで、ほとんどの学校が短縮した夏休みしか実施できませんでしたが、果たして若者にとってはどのような夏だったのでしょう。
 夏休みはこのような大きな意味も有しているものと思っています。

 疫病退散。
 合掌。

8月末の畑の様子




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トマト


 

ナス

 

(なし)


ゴーヤ



バナナウリ



インゲン


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