菜園日記2020年3月
2020/03/01 3月に入りました。 ちょっと入院していましたので、3週間ぶりの畑です。 まだまだ暖かな日が続いています。 家の近くの公園では、桜が咲き始めました。 畑は、雑草がすごい勢いで伸びています。草抜き。 ダイコン、ニンジン、ネギ、ブロッコリーなどを収穫。 イチゴの実、1個、初収穫。 ・・・・・ 2020/03/08 そろそろお花見、という感じの今年ではあります。 昨晩からかなりの雨が降っており、昼から畑へと向かいますが、全般的に濡れてもおり、作業は困難で、今日は収穫のみとなりました。 大きなダイコンを1本、残りは2〜3本となりました。 ニンジンを2本。なかなかいい形のものは採れません。 ネギを3か所。あと数か所で終わりです。 ブロッコリーの側花蕾を数個。 早々に撤退いたします。 ・・・・・ 2020/03/15 寒の戻りの日曜日となりました。 昼から畑へ。 そろそろ冬野菜も仕舞い支度の時期となります。本日は、ブロッコリーとカリフラワーの株を全て撤去いたします。 ダイコン、ニンジン、ネギを収穫。 タマネギは早くも根を丸く太らせています。いつもは5月に入ってからの収穫ですが、どーなるのでしょうか!? ・・・・・ 2020/03/22 所用により、今週の畑はお休みです。 ・・・・・ 2020/03/29 3月も最後の日曜日となりました。 そろそろ夏野菜の準備の時期ともなります。 ダイコン、ニンジン、ネギを全て採ります。 その跡地と前から空いている部分も合わせ、元肥を入れて、荒起こししておきます。 タマネギが早くも葉を倒伏させています。試しに1つを抜きます。 イチゴは株を大きくしてきましたが、今日は実は見つかりませんでした。 |
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この2020年3月末で、ちょうど40年間にわたるサラリーマン生活を一旦終了ということになりました。 当初は、まだまだ継続して仕事を続ける予定でしたが、先月に書きました癌治療のこと、そしてコロナの出現という不慮の状況により、一旦の終了であります。 40年間ということでありますが、私の場合、40年度間という方がいろいろな意味で分かりやすい気がしています。 といいますのは、私は誕生日が3月31日ですので、年齢と年度が(ほぼ)ぴったりと重なっています。 (まあ年度にもいろいろな定め方等がありますが・・・) 「(ほぼ)」と書きましたのは、日本には、「年齢計算ニ関スル法律」というものが存在するからです。 * 年齢計算ニ関スル法律(ねんれいけいさんにかんするほうりつ)は、年齢の計算方法を定める法律で、民法の附属法の一つに位置付けられています。 1902年(明治35年)公布、施行の古い法律ではあります。 よく例にあげられますが、小学校に入学する年である「子どもが満6歳になった」というのは何時のことを言うかといいますと、その期間は年齢計算ニ関スル法律により,「出生の日より起算」(同法第1項)し、「起算日(出生日)に応答する日の前日をもって満了」し、年齢が加算されることになると定められています。 (同法第2項,民法143条準用)。 (1) 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス (2) 民法第百四十三条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス 民法143条(暦による計算) (1) 期間ヲ定ムルニ週,月又ハ年ヲ以テシタルトキハ暦ニ従ヒテ之ヲ計算ス (2) 週,月又ハ年ノ始ヨリ期間ヲ起算セサルトキハ其期間ハ最後ノ週,月又ハ年ニ於テ其起算日ニ応答スル日ノ前日ヲ以テ満了ス但月又ハ年ヲ以テ期間ヲ定メタル場合ニ於テ最後ノ月ニ応答日ナキトキハ其月ノ末日ヲ以テ満了日トス これは、生まれた時刻が何時かを一切問わず、その生まれた日を第1日目として年齢を計算し,誕生日の前日深夜12時限りを以て年齢を1つ加算することを意味しています。 生まれた日と同じ月、同じ日が巡りくれば子どもの誕生日を祝う日常生活の感覚からしますと、4月1日に生まれた子どもは4月1日に満年齢を1つ加えるようにも思われますが,法律的に厳密に意味で年齢を加えるのは,その前日の満了ということになるのであります。 以上の解釈から、4月1日生まれの子どもは,前日の3月31日の深夜12時を迎えた瞬間に年齢を1つ加算されますから、「満6歳に達した日」はあくまでも「3月31日」であり,4月1日はその翌日ということになります。 しかし3月31日24時は4月1日0時のことですから、「4月1日から満1歳」という理解も成り立ち得るわけですが、法律上加齢される日は3月31日、その翌日は4月1日という解釈になるのであります。 したがって、小学校に入学できるのは、「満6歳になった日の翌日以後における最初の学年の4月1日から」という学校教育法の規定に当てはめれば、4月1日生まれの子どもは、3月31日の満了で満6歳に達し、その翌日4月1日にはこの要件に見事合致し、その年4月1日から小学校に入学できることになるわけです。 一方、1日遅く4月2日に生まれた子どもは、その前日4月1日の満了(深夜12時到来)により満6歳になったのであり、その翌日は4月2日となりますから、学校教育法により「満6才に達した日の翌日以後における最初の学年の初め」に就学するとなれば、1年先、つまり翌年就学にならざるを得なくなる、というわけです。 これにより「早生れ」という言葉は,「(小学校入学の年が、4月1日以前と2日以後で区切られることから)その年の1月1日から4月1日までの間に生れること。また、その人」(広辞苑)を意味することになります。 この「早生れ」をめぐる問題については、平成14年に国会で質疑応答がありましたが、以上の解釈は動かないものとなっているようです。 まあしかし、私はン十年もこんなことを言い続けてきた業種の一人ではありましたが、現在は役所の人間でもなんでもありませんから、細かいことは捨象して、3月31日生まれの私は、(ほぼ)年度とともに歳を取ってきたというわけであります。 役所の仕事は、4月から3月末までの年度でまとまっていますから、後から振り返るような時も、自分の年齢とピッタリと対比させることができます。 非常に便利な誕生日であります。4月1日生まれの人が、前日=前年度に誕生日を迎えることよりも、一般的感覚に合致しています。 また、私の40年間は、年度だけでなく、年でいっても分かりやすい40年間でした。 初めて役所に就職したのは、1980年、最後に社会福祉法人を退職したのは、2020年です。 数字が苦手な私も数えやすい40年間です。 私の生まれは、昭和30年、1955年ですから、10と5の単位で、いろいろと年が区切れもしました。 (まあ昭和から平成、令和となると数字が苦手な私には数えにくい状態となっています。) さて、社会福祉法人への再就職を除けば、役所生活は35年間に及びました。 それまでの私の時間単位というのは、学生時代の3年〜4年というものしか知りませんでしたから、役所に就職した当時の私にとっては、これからン十年という年月はなかなか想定できるものではありませんでした。 学生時代はずっと昼夜逆転したような生活を送っていた私にとって、ン十年という長期間にわたり、朝ちゃんと起きて、仕事に向かうというようなことが、本当に可能なことなのかと真剣に悩んでおりました。 しかしまあ、なんとか35年間を、首にならずに過ごせました。 その35年後の退職の発令式の時に、高校の同級生と久しぶりに会いましたが、彼は 「ついにこの日が来てしまったなあ」 と感慨深く言っていました。 誰もがそう思う、30年、40年であり、振り返ればアッというまに過ぎた年月でもあり、しかしやはりまとまった長い年月でもありました。 振り返れば、節目節目でそれなりに新しい試みを実現したり、長年の懸案事項を解消させたりというような自負もあります。 ここで一つひとつの「想い出話」を書くつもりはありませんが、しかし、サラリーマン生活最後の40年度目は私にとってなかなかの災難の重なる年でもありました。 ここにも書きましたが、夏には顔面神経麻痺になりました。 お茶を飲むのもストローを使ってという生活が2か月近くも続きました。 瞼のちゃんと閉じない眼は、非常なる苦痛ではありました。 秋には、ずっと通院していた緑内障について、いよいよ手術を受けなければいけないと宣言されました。 私が緑内障を宣言されたのは、生まれて初めて人間ドックを受診した45歳の時でしたから、20年に渡る経過の結果でありました。 この手術などのことについては、またここにも書きたいと思っています。 冬には、悪性リンパ腫を宣言されました。 この癌治療については、先月に書きましたが、追ってその後の経過も書きたく思っています。 想定以上の副作用などがありました・・・ そしてコロナです。 コロナは当初、特に高齢者、既往症アリの人間を中心に重篤な病状を示していましたから、癌治療中の私にとっては、かなりの注意を必要とするものでもありました。 このコロナついては、一段落した後にも、かなりの問題等が噴出すると思われます。世界的にかなりのバタバタです。 いろいろなところで非難合戦が始まることは容易に想像できます。 なかなかの災難の短期集中連続発生ではあります。 (実はこれ以外にも私にとって災難といえる事情が複数発生しています。ある意味そちらの方が深刻度が高いという側面もあるのですが、また落ち着きましたらここにも書きたく思っています。) さて、私は昔から宗教も占いも信じない人間なのでありますが、心のどこかで「良い」ことと「悪い」こと(の総量)はプラスマイナスで調和が取れるようになっているのではないかと思っている、そのように考えたく思っているところがあります。 良いことが続くと、不安にもなります。 若い頃に熱心にしていた麻雀などでも、独り勝ちするような場面があると、その勝ちっぷりが嫌で、わざと負けにかかるということを繰り返ししていました。 勝負事には全く向かないタイプの人間と思います。 で、そんな文脈で、こんな1年度の意味を考えたりしています。 まあ、普通に考えれば、今までのうのうと呑気に、大した災難もなく過ごしていたことへの反動が一挙にやってきたということなのかもしれません。 またここにも書きましたが、「55年ぶりの岡崎」のパワーが私にとっては異常に大きなものであったかもしれません。 しかしながら、ひょっとしたら、この1年度の負のパワーが少し正のパワーとなって、今年度以降の私の人生に「良い」ことをもたらしてくれるのかもしれません。 いずれにしても、ここまで生きてこられたことに感謝して、謙虚に過ごしていきたいと考えてはいます。 まだまだ意味のある時間を持ち続けたい私ではあります。 合掌。 |
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