菜園日記2020年1月
2020/01/05 新年初めての畑です。 朝から細かな雨が降ったり止んだりの日曜日となりました。昼から畑へ。 濡れた畑でしたので、また収穫のみといたします。 大きな重たいカリフラワーが1つ。 ブロッコリーの側花蕾を数個。 ダイコン1本、ネギ1本。 いろいろな作業は来週からです。 ・・・・・・ 2020/01/13 成人の日 暖かな祝日となりました。昼から畑へと走ります。 この時期としては、ビックリするぐらい雑草が生えていました。時間をかけて取ります。 ダイコンを2本、ニンジンを2本採ります。 ニンジンは二股となってしまっていました。 大きなブロッコリーとカリフラワーを収穫。ブロッコリーは側花蕾も収穫です。 ネギを1か所抜きました。 雑草は今日だけでは片付きそうにありません・・・ ・・・・・・ 2020/01/19 本日は所用のため、畑はお休みとなりました。 ・・・・・・ 2020/01/26 1月も最後の日曜日となりました。 とにかく暖冬です。異常と言ってもいいでしょう。 スナップエンドウは、早くもサヤをつけて実を太らせてきています。 ダイコンを2本、ニンジンを2本、ネギを2ケ所、ブロッコリーの側花蕾を10数個収穫いたしました。 ニンジンは、なかなか形のいい大きなものはできません。もう少し丁寧に耕すべきかと反省。 |
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(その2から続いています。) 岡崎ニューグランドホテルの2階が同年会の会場でした。 30数名の同級生がおられましたが、私が名前と顔が一致する方は、2〜3名しかいませんでした。 こちらが分からなくても、先方から「もりもり君!?」と声をかけられることもありました。とても嬉しいことです。 この日は、遠方から来た同級生ということで、3名が紹介されました。 私もその中に入っており、スピーチを求められました。 実はこのスピーチについては事前に聞いていましたので、私は岡崎で2回野ツボにはまってしまったことを話そうと思っていたのです。 しかし、乾杯も過ぎ、宴たけなわの食事時間にスピーチの時間となりましたので、いくらなんでも食事中に野ツボの話はシンドイかなと当たり障りのない話に変更いたしました。 考えていた野ツボの話は次のようなものです。 ・・・・・ 岡崎の思い出といいますと、いろいろあるのですが、何分小さい頃の思い出ですから、記憶の定かでない部分もあり、一方で部分的に覚えている細かなシーンもあるのですけれども、一番記憶にありますのは、3年間の間に確か2回、野ツボにはまってしまったことです。 1回目は、家の近所の、たまたま出会ったような友達と、稲刈り後の田んぼか作物を取り終えた畑で遊んでいたときのことと思うのですが、野ツボを発見した私は、何分生まれてからずっと東京のど真ん中で暮らしていまして、60年前のこととはいえ、畑も田んぼも見たこともありませんでした。まして、野ツボがどんなものかも知らず、これは何だろうと、自分から足を出して、その固まった表面を踏みに行ったという記憶があります。まあ、その結果は、皆さんの想像とおりの結果となりました。 自分で踏みにいったというかすかな記憶がありますので、これが1回目であろうと考えております。 2回目は、私の記憶は定かでなかったのですが、今回この同年会に関する幹事の方とのメールのやり取りの中で、幹事のSちゃんに教えてもらいました。それは、Sちゃんも含めた附属小学校の友達数人とちゃんばらごっこをしていて、はまってしまったということでした。ひょっとしたら、ちゃんばらで追い詰められてはめられたのではないかと今、疑っているところであります。 この時は、服の着替えなどで、Sちゃんの家の方に大変お世話になったと、これまたSちゃんに教えていただきました。 いずれにしましても、野ツボにはまってしまったことを楽しい思い出として思い出せることに、この岡崎での生活が私にとって大事な3年間であったと、心から感謝しております。 ・・・・・ ということでした・・・ この「思い出」の大切さは、この同年会のために特に考えたものではなく、実は、この「菜園日記」の第1回目のコラムはこの野ツボの話から始めているのです。 さまざまなカルチュア―ショックの象徴的な出来事だったのかもしれません。 興味のある方はぜひお読みください。 http://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2003/saiennikki0304.htm さて、附小時代、毎日毎日遊んでいた友達がいて、今回少し遅れて参加してくれました。 家も近所で、ご両親は大きな工場を経営されていました。 その友達の誕生日会のゲームも、部分的ですが、競って皿の中の豆を箸でつまんだりしたことなど、かすかに記憶にあります。 工作の宿題を一緒にしていた時には、私はそこの家にあった漫画をずっと読んでいて、宿題には手が回らず怒られました。その時読んでいた漫画の1つが牛若丸の物語であったことも、何故かよく覚えています。 宴会の最中はあまり話す時間がなく、帰り際にホテルのロビーで2人で話したのですが、彼も昔のことをよく覚えていてくれて、 「あの頃は、毎日毎日もりもり君とばかり遊んでいたね」 と言ってくれました。 とても嬉しい言葉でした。 最高の思い出が甦りました。 彼は、私が京都に転居して間もなく、京都に遊びに来てくれました。 確か彼の家族と一緒に京都に来て、彼だけを残して家族は岡崎に帰り、彼は私の家に3日ほど滞在していました。 毎日、行く先々の名所旧跡で2人で走り回っていたとのことです。 このことについて、実は私はあまり定かな記憶を有していないのですが、彼はその時のことを実によく覚えていました。 岡崎に帰る時も、当時は新幹線もありませんから、もりもり君のお母さんに弁当も作ってもらって、数時間かけて帰った。電車の中では他の大人に囲まれていろいろと質問されたりして緊張してしまい、トイレにも行けなかったというような思い出話もしてくれました。 彼との話を終えた私はホテルを出て、バス通りに戻り、タクシーで駅までと思ったのですが、どうやらこちらは流しのタクシーがほとんどない感じです。 たまたますぐ近くにタクシー会社の「乗り場」がありましたので、そこの電話でタクシーを呼び、岡崎駅へと向かいます。 帰路もアッという間に京都に到着いたしました。 岡崎市の人口、40万人弱、京都市の人口、140万ほどですが、外国人観光客も含め、京都駅は比較できないほどの大混雑でした。 タクシー乗り場も長蛇の列で、あちらこちらのタクシー乗り場を回ってやっと乗ることができました。 岡崎での滞在は短い時間でしたが、55年ぶりの岡崎は愉しい思い出の場所でありました。 また機会がありましたら、今度は小学校を見に行きたいと思っています。 (終) |
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