菜園日記2019年11月


2019/11/03

 11月に入りました。
 一挙に涼しくなりました。
 今週は旅行のため、畑はお休みです。

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2019/11/10

 2週間ぶりの畑となりました。
 なかなか涼しい風の吹く日曜日となりましたが、昼から畑へと向かいます。
 エンドウが背を高くしてきましたので、支柱を立てます。
 ニンジン、ダイコンを間引きつつ収穫。
 コマツナは、虫食いでちょっと全滅状態となってします。場所、年によって、育て方を工夫しなければいけないようです。
 他はまずまず順調です。

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2019/11/17

 寒さの増す時期でありましたが、比較的暖かな日曜日となりました。
 初めにコーナンに寄って、コマツナの種とレタスの苗2つを買います。
 虫食いがひどいコマツナを全て抜いて、新たに種を蒔きます。虫よけに不織布を被せておきます。
 タマネギの南側に少し空きスペースがありましたので、そこにレタスを植えました。
 またまたニンジンとダイコンを間引きしつつ収穫。
 後は草抜き等々。

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2019/11/24

 11月も最後の日曜日となりました。
 昼から畑へ向かいます。
 ニンジンをまたまた間引きしつつ収穫。ニンジンはいつも種を密に蒔きすぎてしまいます。
 先週植えたコマツナはまだ発芽を確認できません。
 スナップエンドウが背を伸ばしてきましたので、長めの支柱を添えておきます。
 イチゴが花を咲かせています。
 後は、草抜き、水やり等々・・・


   
   

 
 私は、小学校1年生から3年生までの3年間、愛知県の岡崎市に住んでおりました。

 小さい時の短い時間でしたので、その後その地域やその人々とつながることも全くありませんでしたが、ある時サイトで何気なく当時の小学校のことなどを検索していましたら、たまたまその同窓会組織があることを発見いたしました。

 当時は愛知学芸大学附属岡崎小学校、今では愛知教育大学附属岡崎小学校と言う名の小学校です。

 同窓会の幹事代表の方と連絡が取れ、何回かのメール交換の後、私のことを知っているという同年の方を紹介してもらいました。
 Sという女性で、私は初め誰だか分からなかったのですが、すぐに当時「Sっちゃん」と呼んでいて、よく遊んでいた同級生であることに気づきました。

 彼女が我々の同年の幹事をしていて、今年、小学校の同年会を16年ぶりに行うということでした。
 非常にグッドタイミングのコンタクトでありました。

 また、彼女とメールをやり取りする中で、当時私の住んでいた家の現在の写真を撮って送ってくれました。
 それが、なんということか、55年前に住んでいた家の姿が、ほぼそのままの形で残っているのです。
 特に玄関や窓の形などは記憶のとおりです。
 周辺が開発され、新しい住宅やマンションが立ち並ぶ中、何回かの改装などはしているでしょうけど、当時のままの我家がありました。
 「奇跡的な」としかいいようがありません。
 傾斜地に張りついて斜めに建てられたような家で、1階が2階、地下が1階というような感じの建物です。

 グーグルの地図を見て、当時の家への行き方、当時学校へ通っていた時のバス停を探したりしていましたが、なかなかはっきりしません。

 グーグルの航空写真などで家そのものの場所は分かったのですが、バス通りからの行き方がしっくりときません。
 見当をつけたところから道を進みますと、向かって右側にあるべき家が、どうしても左側にきてしまうのです。
 しかし、ある時、見当をつけていたその道ではなく、もう少し北側から入る道であることに気づきます。
 
 子どもの記憶、意識で、大通りから入った道を弧の形に沿って少し歩き、そこから左に入ってまた少し歩いて・・・と思っていた道程は、大人の感覚で地図を見直しますと、大通りから入ってすぐに左に曲がり、ちょっと坂を上れば、我が家・・・というルートでした。
 また大通りから入った道の太さも、子供の感覚で一定度の太さと認識してその意識で地図を見ていましたが、実際はやはりもっと細い道でありました。

 11月23日、同年会当日。
 私は、朝8時には岡崎の地を踏んでいました。
 新幹線のぞみ号で京都・名古屋間34分、JR東海道本線新快速で名古屋・岡崎間30分、アッという間に55年前にタイムスリップです。

 当時利用していたであろうバス停へ、タクシーでも良かったのですが、この日はバスに乗っていきます。
 1駅前で降りて歩きます。
 
 そして、その小学生の時に乗り降りしていたであろうバス停から横断陸橋を使って、道路の反対側へと渡ります。
 そこから大通りを外れて住宅街へと入っていきますが、まだまだ子供の頃の距離感が残っており、左へ曲がるべき道を通り越してしまいます。
 いったん戻って、それらしき坂道を上ります。
 アッというまに、我が家?が見えてきました。

 Sちゃんに送ってもらった写真のとおりでした。
 55年前に住んでいた時のままの家でした。
 今は他人様の家ですから、ゆっくりじろじろと観察するわけにもいかず、怪しまれぬようサッと写真を撮って、通り過ぎます。
 非常に短い時間でしたが、感激の一瞬でした。
 奇跡というにふさわしい!?光景です。

 まだまだ時間は早いので、当時妹の通っていた幼稚園を探しにいきます。
 地図で見ますとすぐ近くなのですが、直線的に行く道が分かりませんので、スマホの地図をたよりに太い道路をぐるっと遠回りしていきます。
 いずれにしても、けっこうな坂道を登っていくこととなりました。

 この幼稚園については、私は記憶にありません。
 少し前に、岡崎の同窓会のこと、昔住んでいた家のことを妹にメールした時、

 「坂の上の幼稚園に通っていた。聖母マリア幼稚園。」
 「クリスマス会の帰り、もう暗くなってから坂の上からもらったリンゴを落としてコロコロしたことを覚えている。」

という返信でしたが、まさに坂の上でした。
 直線的な道でしたら、さらなる傾斜だったでしょう。遠回りでいく道はしかし、けっこうな距離がありましたので、幼稚園の児童がその道を通ったとは思えません。

 幼稚園の名前は、聖母マリア幼稚園ではなく、みそのマリア幼稚園でした。
 しかし、後に調べてみましたら、当時はどうやら「聖母幼稚園」という名称であったようです。

 「みその」とは・・・と調べてみますと、岡崎聖園マリア幼稚園(おかざきみそのまりあようちえん)とありました。
 聖園で「みその」ということです。(せいえんと読ましているところもあります。)

* みその

 「みそのマリア幼稚園」という名を聞いた時、「みその」とは何なのだろーと思いました。平仮名で書いてありましたので、意味がつかめないこともあって、地域的な固有名詞かなとも考えておりました。調べますと、みそのは「聖園」であって、「せいえん」と読むことも多いようです。この幼稚園だけでなく、いろいろなキリスト教系の幼稚園の名に使われています。

 しかし、聖園という語を、聖なる園、神の園というように捉えますと、なかなか日本語的には一般的ではない語でもあり、何故幼稚園の名の前に付くのか、現在的には一般名詞としての「聖なる園」であっても、何か宗教的な具体的な理由が
あるのではと疑問に思っていました。

 例えば、「聖母マリア幼稚園」といえば、具体的な想いが伝わってきます。
 
 ネットで教えていただきました。

 「聖園(みその)テレジア」というドイツのヴェストファーレン州出身の聖職者、女性教育者がおられたとか。大正15年にキリスト教布教のために来日。昭和15年秋田市に聖園保母学園を設立し、聖園の一つの由来となっている。ドイツ人のため戦時中も問題なく活動

 勉強になりました。

 幼稚園の写真を撮り、バス通りへと戻ります。
 ふり返ると、さきほど出発点とした横断陸橋がすぐ近くに見えました。
 やはり、直線的には家から幼稚園まで、それほど遠くない距離であったと思われます。

(続く)

11月末の畑の様子



エンドウ




イチゴ





タマネギ



レタス

 

ネギ

 

コマツナ

 

ブロッコリー

 

カリフラワー

 

ニンジン



ダイコン






ニンニク


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