菜園日記2019年6月

 
2019/06/02

 6月に入りました。
 比較的涼しい日曜日となりましたので,昼から出かけます。
 まずコーナンに寄り,またキュウリの苗を1つ購入して畑へ。
 今年はキュウリの調子が悪く,2回の植え替えです。
 トマトも1つがちょっと病気のようです。悪くなった部分を切り,脇芽が伸びてくれることに期待です。
 エダマメは,大きくなってきましたので,不織布を外し,ほぼ1本立ちといたします。
 エゴマの発芽はなかなかです。

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2019/06/09

 所用がありましたので,夕方遅くに畑に行きました。
 キュウリの1つとトマトの1つは相変わらず元気がありませんが,その他はなんとか無事に育っています。
 ミニカボチャも株を大きくしてきました。
 エダマメも全ケ所を1本立ちとします。
 後は,水をたっぷりあげて帰ります。

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2019/06/16

 ちょっと涼しい日曜日となりましたので,昼から畑へと走りました。
 畝の側面に化成肥料を撒いて,全体に中耕いたします。
 先週は雨が多かったためか,ほとんどの野菜がぐんぐんと大きくなっています。
 特にミニカボチャは,右へ左へと株を大きくしていました。
 あとの野菜も概ね順調な様子です。

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2019/06/23

 近畿地方はまだ入梅せず
 涼しい日曜日となりました。
 昼過ぎから畑へ。
 この畑での初収穫となりました。
 キュウリ3本,ナス2つ,シシトウ3つ,ピーマン1つ,ツルムラサキとレタスも少々。
 皆小さな実等ではありましたが,梅雨に入ったらぐんぐんと大きくなるでしょう。

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2019/06/30

 遅い梅雨入り
 近畿地方もやっと梅雨入りし,今日も雨の日曜日となりました。
 しかし,実も大きくなっているだろうととりあえず畑へ。
 傘をさして,実を採っていきます。
 シシトウ,ピーマン,合わせて20個ほど。
 ナス,数個。
 キュウリ,数本。
 ツルムラサキ,少々。
 雨だけでなく,風も非常に強くなってきましたので,早々に退散いたします。
   
   

 
 テレビ番組で,その時代を象徴するような「出会い」が生まれることもあります。
 よく歌に時代的背景が語られるように、テレビ時代には共有する記憶としてのテレビ番組があります。

 私は,中学校の時,高槻の私立中学に通っていたのですが,いわゆる定期テストの時などには学校が早く終わり,1時間ほど電車に揺られて家に戻っても、まだお昼のワイドショーに間に合うということがありました。
 ちょうど昼食を食べながらのテレビという感じでした。
 もちろん、夏休みなどの長期休暇の際は,見ようと思えば毎日見られたのです。

 このお昼の時間帯のテレビ番組で,中学生の時に一番印象的だったのは,“前田武彦のお昼のゴールデンショー”の中の「今週のゲストコーナー」でした。
 確か,番組の最後に1週間連続して,新人の歌手などが歌を披露するようなコーナーだったと思います。
 私が今でもよく覚えていますのは,そこでピンキーとキラーズが「恋の季節」を歌っていた姿です。

 「恋の季節」がヒットしたのは,1968年の初夏のことでした。
 私が,中学2年生の時です。

 この曲は,通算17週,オリコンチャート1位という驚異的な記録を打ち立てます。
 この記録は、今なお破られていません。

 歌曲の素晴らしさもあったと思いますが,ピンキーの歌唱力と,キラーズの独特な出で立ちなどが印象深かったのではと思っています。

 後々の余談ですが、学生時代にバンドでアルバイトでもしたいなあと考えて、東京タワーの真下にある、とある芸能プロダクションに面談にいきましたら、その社長の方は元々キラーズの一員の方でした。

 さて、このフジテレビのお昼の時間帯の番組は,後にタモリの「笑っていいとも」に繋がっていきます。
 私は,深夜ラジオで発揮されるタモリのいわゆる「密室芸」の大ファンでしたから,そのタモリがこんな昼間の番組をできるのか!?と非常に疑問でした。
 多くのタモリファンもそう思っていたはずです。
 タモリ自身もそのように考えていたようです。
 でも、その変遷は皆さんご存知のとおりです。

* 前田武彦は,当時,爆発的な人気を誇っていました。立川談志の降板を受け、談志の推薦によりテレビの演芸番組『笑点』の司会に就任,その後も,『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ、1969年 - 1971年),『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ)の初代映画解説者(1971年 - 1973年)を務め,タレントとして絶頂期を迎えていましたが,1973年いわゆる「共産党万歳!」事件を起こし,その後数年間に渡ってメディア出演の機会の大部分を失し,長期にわたってテレビ業界で冷飯を食う羽目になりました。この「共産党万歳事件」は,前田が司会をする「夜のヒットスタジオ」で生じましたが,私はたまたまリアルタイムで見ておりました。非常に印象的なシーンとして、今でも頭に具体的に浮かびます。

* フジテレビお昼のワイドショー
 タモリの「笑っていいとも!」が日本のお昼の代名詞となった感もあるフジテレビ12時枠ですが,その前番組「笑ってる場合ですよ!」もかなりの人気番組でした。そんなフジテレビのお昼のバラエティ枠の元祖とされているのがこの「お昼のゴールデンショー」であると思います。テレビ界の寵児となる前田武彦、コント55号を世に出した番組としてテレビ史的に位置付けられたりもしています。

 さてさて、恋の季節が大ヒットした当時、もう一つ私が熱心に見ていたテレビは「0011 ナポレオン・ソロ」でした。

 ソロの所属する組織,U.N.C.L.Eは,世界の法と秩序を守る国際機関で「United Network Command for Law and Enforcement」の略です。
 ナポレオン・ソロを演じるのは,ロバート・ヴォーン(声は矢島正明)
 相棒,イリヤ・クリヤキンの役者は,デヴィッド・マッカラム(声は野沢那智)

 今ここに書きました組織名や固有名詞などは,現在も私の頭に残る記憶に従って書いたものです。
 中学生の時に覚えたことは,なかなか忘れませんね。
(ちなみに平家物語の初めの部分なども,今でも暗唱できたりいたします。)

 この番組は、日本では,1965年から1970年まで放送されました。
 私が小学校高学年から,中学の3年間を挟み,高校1年までの放送です。

 アンクルの女性エージェント、エイプリル・ダンサーを主人公とした,スピンオフ作品『0022アンクルの女』も作られました。

 ナポレオン・ソロやアンクルの女などは、小説版もそれなりに読んでいました。
 U.N.C.L.Eの正式名称などは,小説版を見て覚えた記憶があります。

 本といえば,さいとうたかおが劇画化もしていました。
 かなりの人気作品であったと思います。(月刊「冒険王」)
 その他、なんとデヴィッド・マッカラムが女性人気が高いということで、「週刊少女フレンド」でも、飛鳥幸子の作画で漫画化されていたということです。
 私は、当時かなりの漫画少年であったはずですが、残念ながらこの飛鳥幸子版の記憶はありません。

 まあ当時は、いわゆるスパイモノが人気のジャンルでありました。
 1960〜70年代、007シリーズのヒットに影響されてスパイ映画の大ブームがあったとは、よく言われています。
 映画だけでなく、漫画も小説も、テレビなどもとにかくスパイモノが大人気でした。
 多くの番組がありましたが、その中でも、日本でのナポレオン・ソロ人気は、群を抜いていたものと思われます。

 このテレビ番組についても,後日談でいいますと,2015年に英米合作のスパイ・アクション映画として,『コードネーム U.N.C.L.E.』が製作されました。

 また、スパイ・・・といえば、個人的には手塚治虫の「W3」(ワンダースリー)の主人公、真一の兄、光一のことを思い出してしまいます。

 まあ、中学時代は,私にとってはラジオの深夜放送の時代でありましたが,テレビの面白さに気付き始めた時であったかもしれません。

 しかし、当時のテレビは、茶の間に1台という時代でしたから、深夜ラジオのように密かに個人的に独占聴取するというものではなく、家族と一緒に視聴するという健全なものではありました。

 その中では、深夜に放送していた情報番組や映画などは一種密室的メディアとして、やはり時代と出逢い、共有する記憶を作っていったものであると思います。

 テレビにとっても面白い時代であったのでしょう。
6月末の畑の様子

 

エゴマ

 

エダマメ

 

ツルムラサキ

 

レタス

 

レタス

 

ゴーヤ

 

ミニカボチャ

 

キュウリ

 

トマト

 

 

ナス

 

 

シシトウ


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