菜園日記2019年3月
3日(日) | 3月に入りました。 暖かな日が続いています。 雨の日曜日となりました。 畑はお休みです。 |
10日(日) | またまた雨の日曜日となりました。 畑もお休みです。 |
17日(日) | 昼から畑へと向かいます。 最後に残った部分を荒起こしいたします。 本日で荒起こしは終了です。 |
24日(日) | 所用のため,畑はお休みです。 |
31日(日) | 昼から畑へ行き,荒起こしした畑の半分に元肥を入れ,軽く耕していきます。 |
3月となりましたが,写真にする畑の内容はありません・・・
この3月に訪れた春の小豆島の光景です。
日進月歩というには早すぎる感の進展具合には,すっかり慣れてきたはずではありますが,やはり,ネットのパワーに改めて驚くことがあります。 ある朝,何気なく頭に浮かんだのですが,瓶のコカコーラを売っている自動販売機を最近見た記憶がありました。 今どき瓶入りのコーラなんて・・・と思いつつ,ン十年前の思い出と重なったりして興味が膨らみ,どこで見たのであろうと最近の私の行動をたどり,2日前に会議へ行く道中か,それとも・・・といろいろ考えていたのですが,なかなか思いだせません。 そもそも瓶のコーラを買って,現場でどーやって蓋を開けるのだろーと,過去の栓抜き付きのコカコーラの自販機を想い出したりしていました。 しかし,このレトロな販売機そのものは,今も設置してあるところがあるようで,検索しますと少なからずヒットします。 まあコーラもコーラの自動販売機も,一定世代にとっては非常に思い入れのある景色ではあります。 ある意味,アメリカ文化の象徴であり,ポップな文化の真っただ中にあった存在でもあり,反米運動にとっては,にっくき米国を表すアイコンでもありました。 当時の日本人の多くが,この相反する感情を併せ持っていたという気もいたします。 そういえば,当時は喫茶店などでコーラを注文すると,氷の入ったコップと瓶のコーラが運ばれてきました。炭酸のためか,1回ではコップに入りきらなかったからなのでしょうか? 今でしたら,瓶単位でなく,コップ単位で販売することが常態ではあると思います。 そういうサーバーのない時代には瓶単位でしか販売できなかったのかもしれません。 また,当時の瓶入りコーラの自動販売機は,瓶がドカンと落下すると割れてしまう危険性があるためか,それなりの位置に並んでいるコーラを地面と平行に「引き抜く」という形のものであったと記憶しています。 いずれにしろ,当時,コーラは瓶で飲むものでありました。 というか,ペットボトルはまだ登場していませんでした。 飲み物の容器といえば,瓶が圧倒的大多数でありましたが,自動販売機の拡大により,急速に「缶」の時代へと変わっていきます。 今では,一般の自動販売機でピン入りの飲料は先ず販売されていないでしょう。 では,私の見たものは夢だったのでしょうか。 しかし,その販売機が災害対策用のものであったことも記憶にあります。 て,たどり着いた記憶が,前日に外勤した時の,地下鉄の構内の販売機です。 そして,そこで改めてネットの力に感心いたしましたのは,「コカコーラ 瓶 自動販売機 地下鉄 京都」というような語で検索しましたら,なんと地下鉄の各駅に置いてある自販機が写真入りで紹介されているのです。 私は,パソコンの前にいながらにして,昨日,通りがかりに見つけた自販機,京都市内に何千台?設置されている自販機の内の1つをネットで,カラー写真で見つけることができるのであります。 ランドマークになるような公共の施設でもなく,ここの美味しいものの評判はと多くの人の関心の集まる有名or人気飲食店でもなく,駅の構内にあるごく普通の自動販売機の姿が検索で見つかってしまうのであります。 実際のところ,地下鉄の自販機で販売していたコーラは,瓶ではなく,瓶の形を真似たペットボトルのものでした。 まあ,それはそーでありましょう。栓抜きのことや瓶のかさ張り具合,販売時の安全性等々を考えるまでもなく,ペットボトルが正解です。 ただ,ここでわざわざ書きましたのは,瓶でもペットボトルでも,それ自体には関係なく,現在のネット情報の「詳細さ」であります。 しかしながら,ネットに情報を挙げてくれる人々の興味があまりにも少ない領域でありますと,詳細な情報が該当しないこともあります。 私は大学に入った頃,「ヘッド・オーバー・ヒールズ」というロックバンドのシングルレコードを買ったことがあります。 いわゆるハードロックの範疇のバンドであり,そのレコードの現物はもう手元にないのですが,ジャケット内の解説には,当時既に超大物バンドであった「グランド・ファンク・レイルロード」の前座を務めたこともあるバンドと書かれていたことを覚えています。 * グランド・ファンク・レイルロードは,70年代初めには,既にいくつもの伝説!を有するバンドとなっていましたが,私は,当時リアルタイムにコンサートなどに行ったことはありません。それからン十年経って,そのメンバーの一人が,若いペースとドラムを引きつれて,当時の曲ばかりを演奏するツアーとして来日した時,大阪まで聴きに行ったことがありました。なんと小さな会場に,パイプ椅子を並べた客席で,10人も入っていなかったと思います。でも,演奏は手を抜かれることなく,なかなかの迫力で,アンコールにも応えてくれました。 さて,私は,そのバンドがちょっと気に入っていまして,同じくロックが趣味の学友と飲みに行った時, 「ねえ『ヘッド・オーバー・ヒールズ』って知ってる?!」 と尋ねましたら,彼は, 「おいおい,もう受験は終わったんだから,そーいう話題は止めろよ。真っ逆さまに(落ちる)だろー」 と言いました。 一般的には,全く知名度のないバンドでした。 バンド活動的にも,一発屋で終わってしまい,その後,ちょっとした記憶として私の中に止まっているだけでありました。 * head over heels =真っ逆さまに いつの間にか,そのシングルレコードもどこかに散逸させてしまった私ではありますが,ある時,比較的最近ですが,このバンドについて,このネット社会だから・・・と検索してみたことがあります。しかし,残念ながら,日本のサイトも,アメリカのページにもヒットするものは見つかりませんでした。 まあ,テーマによってはこういうこともあるんだなあと思い,このネット社会の中で・・・と寂しさを感じておりました。 しかし,つい最近,2018年の夏に検索してみますと,見事,それも日本のサイトがヒットいたしました。 ロック好きの方が作っているウェブサイトで,このバンドの情報が,けっこう詳しく掲載されていました。 トップに(恐らくレコードジャケット)写真が掲示されていましたが,それを見ますと,当時の記憶が甦るものでありました。 音楽は,時代とそして同時代的な思い入れをいつまでも引きずってくれる媒体ではありますが,レコードのジャケットはその中でも大きな役割を有しているものと思います。 この一連の展開も,なかなか「スゴイ!」と思ってしまう出来事ではありました。 恐らく,数年の内に,この世界中の全ての光景がネットでリアルに見ることができる時代となるのでしょうか。 光景だけでなく,我々の心証もさまざまな個人データも例外とされなくなる時代がやってくる感もあります。 |
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