菜園日記2019年2月

 10日(日)  新しく借りた畑での初作業となります。
 借りた場所を荒起こししていきます。
 といっても,少し放置されていたところですので,土は固くしまっており,また,作物を植えるまでにまだまだ時間もありますので,今日は1/3強ほど荒起こしして終わりとします。
 17日(日)  京都マラソンの日です。
 畑へは,マラソンコースを横切らなくてはならず,昼からは所用がありましたので,畑はお休みです。
 24日(日)  昼から畑へ行き,荒起こしの続きをいたします。
 ほぼ全体の3/4ほど完成いたしました。

2月の畑も写真にするものはありません・・・

自宅近くの壬生寺の節分の光景です。


 
 高齢のクレーマーがいろいろと物議をかもしているようです。
 若い店員などからすると,何でこんなことを怒っているのだというような基本的に理解できない感覚もあるようです。

 ただ,言われているクレームそれ自体を見ますと,高齢者に限らず,若い者でも同じようなクレームをしているのではと思えますが,ネットなどで見ていますと若者が高齢者のクレームに辟易しているという構図が見られます。
 この問題を取り上げる者が,そのような現代の景色を作りたいのかもしれません。

 ある総合病院では次のような例が紹介されていました。

「自分の子どものような年齢の医師に上から目線で注意されて,腹を立ててクレームを入れた高齢者」

 これは,特段に非難されるべきクレームなのでしょうか!?
 昔の医者や警官でもあるまいし,今や医は仁術ではなくサービス業の一つなのでしょうから,当然説明責任が必要ですし,「お客さん」に対しそれなりの言葉遣いをするのは当然なような気がいたします。
 病院という組織の中で,言葉遣いを知らぬ職員=昔ながらの医者がいたら,組織に対してクレームを入れてもいいのではないでしょうか!?
 また病院としては,医者に対しても,説明責任や言葉遣いなどの基本的な教育,研修をするのことが現代においては当然と思われますが,いかがでしょうか!?
(多くの総合病院などでは既にそのような取組が推進されているものと私は認識しております。)

 他には,ファミレスや衣服などの量販店,また100円ショップでクレームをつけることに対しての異論が多いようです。
 若者はこんな風に考えるようです。
 安い店は,それなりの商品,それなりのサービスなのであるから,それに対してクレームをつけるのであれば,安い店でなく,それなりの店へ行くべし!
 例としては,ファミレスで子どもがうるさいのは仕方ない,服の量販店は若者向きのデザインがほとんどであるのだから,高齢者向きの服は置いていないと認識するべし,100円ショップは100円なのだから,量や質はそれなりのものしかないと心得るべき。
 それらに対して,目くじら立ててクレームをつけるのは,老害でしかない。
 そのような店で安い給料で働く我々は,高齢者の激しいクレームに対応するだけの対価はもらっていないのだ。
 このような論は非常に多いです。

 分かる部分もあります。
 ただ,そーいうクレームは高齢者特有のものかというと,そうでもないような気もいたします。

 高齢者独特のクレームとしては,先と同じ総合病院の例ですが,
「入院時に箸を持ってくるのを忘れ,最初の食事の時に『どうやって食べるんだ!』と激高,職員を殴った高齢者がいた」
というようなものが分かりやすいものです。
 まあ困った高齢者です。暴力は犯罪です。
 しかし,これは,高齢者独特のクレームというよりは,認知症などの病気も含めての高齢者に対する扱いの問題であると思います。
 こういう例を高齢者の「クレーム」として取り上げる総合病院のクレーム担当者?は,この高齢化社会でそのような低い意識で病院の仕事をしていて大丈夫なのかとご心配申しあげます。

 ただ,高齢者という年齢に少し足りない私でも,高齢者が多くのクレームを言いたがることは理解できます。

 それは,長年の人生経験から,サービス業はこーあるべき,目上の者にこのような言葉遣いをしてはいけない,親は子をこのように教育すべき・・・等々という考えを持っているのからだと思います。
 彼らは,自分の部下にそのように教育し,率先して実践してきたのです。
 それが現代的にどこまで妥当性を有するかは別として,少なくとも決して全く方向違いのものではないはずです。

 そのような観点からのクレームを「老害」という言葉で排されてしまいますと,それは例えばサービス業に携わる者として,いかがなものかとも思ってしまいます。
 クレームを自分たちの仕事に「活かして」いくことが本来の取り組み方ではないのでしょうか?
 まあ,同じクレームでも,しつこい,声が大きい,長い・・・というようなことはあるかもしれません。

 また,「お客様は神様」との主張で我を通す高齢クレーマーという指摘もあります。

 あるスーパーマーケット店長の言として,
「例えば3パック入りの納豆や,5個入りの玉ねぎ…。『こんなに食べられないから1つで売れ』と声を荒らげる。そんなことは日常茶飯事ですよ」
というようなことがあげられています。

 しかし,これがどーして「老害クレーム」なのか分かりません。言ってもいい主張ではないでしょうか?
(声を荒げるというのは別として・・・)
 実際,現在は高齢者向けの少量パックの製品もたくさん出していますし,売れているわけですが,それはもともと高齢者の要望等に基づいているはずですから,納豆や玉ねぎにもそのような要望があるのかと改めて気づかせていただく,店の責任者としては感謝すべきクレームではないかと思ってしまいます。
 このスーパー店長や,その言を取り上げるマスコミ等は,単に「老害」という言葉を使いたくて,そのようにしているのでしょうか。

 どーやら,昭和的な「お客様は神様」という考え方が,今やダメなのではないのかということかもしれません。
 上から目線の医者やスーパーマーケットに対してクレームをつけるときに,自分が「神様」になってしまい,キレてしまって大声で怒鳴りたおす。
 長い,しつこい。
 それは確かに老害かもしれません。
 しかし,私の見ている限り,そのようなクレームは高齢者だけではないような気がしますが,いかがでしょうか!?

 あるところでは,同じクレームでも目的が違うのでは・・・と指摘されていました。
 若いクレーマーは,商品代をタダにすることが目的であったりするわけですが,高齢者の場合は,世のため人のために自分なりの「正義感」を発揮することが目的であるから,金銭的利益などに関係なく,「年長者の義務として」ちょっとしたことに何でもクレームをつけてくる,そして最後まで戦い抜く!ということではないかということです。

 まあそういう側面はあるかもしれません。
 確かにそーいうところは,若者にとってメンドクサイところかもしれません。

 しかし,敢えて言いますが,メンドクサイことにちゃんと対応するのが,サービス業というものです。
 また現代は,昔と違って,メンドクサイこと,ヤヤコシイこと,労の多いことにちゃんと向き合わないと,仕事が成立しない時代でもあります。
 安い店で,給料の安い店員相手に老害クレームをするなという前に,クレームを正面から受け止めて,店の発展につなげられるような店員を育てる方が
先決ではないでしょうか。

 クレームを老害老害といってネットに書き込むような若者は,サービス業としていかがなものかと,私などは大クレームをつけたい気分であります。

2月末の畑の様子
引き続き畑の様子は省略いたします。

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