菜園日記2019年1月

 6日(日)  年が明けました。
 冷たい雨やみぞれが落ちてくる時間もある寒い日曜日となりました。
 昼から畑へ。
 セロリの株を2つ,バケツに入れて移設します。
 後は,ネギ,ニンジン,ダイコンを少し。
 鹿は,ネギなどは食べないと思っていましたが,ネギやキクナもかじられていました。
 この畑もあと1ケ月もありません。 
 14日(月)  成人の日,祝日です。
 昼過ぎから畑へ。
 もうすぐ,この畑も終わりです。
 小さなニンジンを全て採ります。20数本。
 タマネギも小さいままですが,収穫いたします。
 ネギも家で植え替えることといたします。
 後は,少しずつ畝を現状復旧です。
 20日(日)  先週,ある程度畑を整地しましたら,畑の家主さんから,後はこちらでしておく・・・との連絡がありました。
 短い期間でしたが,今の畑はこれで終わりです。
 2月から,新しい畑へと移ります。


2019年に入りましたが,鹿の害も拡大増加で,1月の畑も写真にするものもありません・・・

2018〜2019年の自宅近所の年末・年始の光景です。

 
 

 
 また年が明け,また歳を1つ取るわけですが,今年は平成最後の年となります。
 私などの感覚からすれば,平成に改元されたのはつい最近という感じでありますが,現実的には早くも30年を経過してしまいました。
 現時点で,私の人生のほぼ半分が平成なのですから,恐ろしい?ものです。

* 改めてではありますが,「平成」の名前の由来は,『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」,『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで,「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味であるようです。
  そんな30年間であったでしょうか!?

 さて,昨年となりますが,平成30年という年は,私にとってある意味「分かりやすい」年でありました。
 といいますのは,私は昭和30年生まれですので,平成30年は,昭和が63年までとすれば,その年と私の年齢が一致する年でありました。
 (ちなみに私の父親は,大正15年(≒昭和元年)生まれでしたから,もし生きていれば今年63+30の93歳となります。)

 平成元年は,西暦で言えば1989年でありましたから,世紀,そして千年紀の変わり目も間近な,いろいろなイベントが次々と行われたり,わけのわからぬ「大予言」が叫ばれていた時でありました。わけのわからぬ「預言者」やその周辺に集う人々にとっては,絶好のお金儲けのチャンスとなる世紀末であったのでしょう。
 (占い師の金儲けのチャンスといいますと,現在のSNSブームも絶好の場面かもしれません。いろいろなところで,「今年は○月生まれにとっては最悪の年」とか「○○座の人は,ここ2〜3ケ月の内に人生の大転換期を迎える」とか,不安をあおる文章が大量に流れ込んできます。
 私などは,神も仏も占いも信じない人間ですが,そうではない人々に対してのやたらに不安をあおる宣伝?は,もはや犯罪の域ではないのかと思ったりもしますが,このような商戦!?は平成最後の年という機を捉えて,さらに爆発するかもしれません。全く迷惑な話ではあります。)

 またこの平成期の始まりは,バブルの時期であり,その終焉を迎えた時期でもありますから,本当にわけのわからぬことが続いていました。

 法改正を機に(と言っていいのでしょうか?),借家住まいの人がたくさん家を追い出されました。そして,建設ラッシュ。

 どこにでもマンションが建てられました。
 マンションの転売で儲ける方法が,書籍やテレビ番組等で盛んに伝授され,皆さん真剣にその流れに乗っかろうとしていました。
 とにかく,借金してでも買って売る,さらにまた買って売るということに日本中が血眼になっていました。
 当時の新聞広告は,特に日経新聞などは,もう全ページに渡り実際に住む住まないということなどに関係なく,土地を買おう,マンションを買おう!という広告が溢れていました。
 北海道に投資マンションを!京都に値上がり必至物件を確保!などなど。
 新聞社自体の論ではないとしても,そのような広告が集中する日経新聞という新聞は,やはりこーいうくだらない新聞なのだと,私は再認識いたしました。

 古いものでも高い値段で取引されていました。高値をつければ売れる・・・というわけのわからぬ時代でありました。
 私がビックリしたのは,今でも覚えていますが,雑誌に中古スポーツカーが新車価格の何倍もの値をつけて掲載されていたことです。
 そのケンメリのスカイラインは,人気の車ではありましたが,ン百万円という中古車価格は,ケンメリに乗りたいという一般的ファンの相場をはるかに超えていたバブル価格でありました。
 さまざまな美術品なども同じく,買って売る,また買って売ることの対象となっていました。

 東京の一定地域では,深夜にタクシーを拾うことはほぽ不可能となっていました。全てが料亭の「予約車」として,その近辺の道路に何時間も駐車していました。
 それでもタクシーを停めようと,一万円札を何枚も握って振りかざし,タクシー運転手に合図を送っている人の姿は,当時ごく普通の光景でありました。

 まあ,いろいろとありましたが,やはりわけのわからぬ特殊な時代であったと思います。

 その後,経済的にも低迷期に入り,それが長く長く続くこととなります。
 一方,平成の後半期は,我々の身の回りの「道具」がある意味画期的に進化した,進化してしまった時代ではなかったかと思います。

 日本では,平成の初めにインターネットの回線が一般に開放され,ネットやメールの世界が本格的に始まります。
 テーブルの上のパソコンの世界を超えて,携帯電話が広く使われるようになり,やがて電話だけでなく,メールも携帯でやり取りができる時代となりました。

 そして,スマホの時代を迎えます。
 人間が持ち歩くものとして,スマホは今までに例のない画期的な「道具」だと感じています。
 文字通り,いろいろな意味合いで,個人は24時間にわたり世界とつながってしまいます。

 私は,インターネットの最大の特質は,個人が世界とつながることができることだと考えていますが,近い将来,全ての存在そのものが全的に世界とつなげられてしまうかもしれません。

 個人の頭の中の情報もフィジカルな細胞の情報も,過去に起こしたできごとも,個人が望む望まないに関わらず,全てが世界に向けて発信されてしまう時代がくるように感じています。
 個人情報を守るという概念は,この歴史の流れの中で,現実的に無意味になってしまうだろうと思います。
 それが良いことなのか悪いことなのかという価値判断は別のものとして,著作権,肖像権等々といったものも,この流れの中で無意味化される時代が近々にくるのではないてしょうか!?

 これらはスマホだけに限らず,時代の大きな流れというか,人々の意識,優先順位の変化なのでしょう。
 ちょっと以前まで,「監視」されることを毛嫌いしていた人々は,今や安心安全のため,街中に張りめぐされたカメラに映ることを前提に,また例えば車の運転中も,自分や他者の車載カメラで前も後ろも記録される状況の中で,日々生活しています。

 そして,これからもスマホの進化は止まらないでしょうし,スマホを手にしてしまった我々は,ある意味,戻ることのできない情報化・世界化!の波につかまってしまったと言えます。

・・・・・・

 さてさて,平成は,世紀が変わるだけでなく,いわゆる千年紀が変わると言う時代でもありました。
 千年紀はいつから始まるのかについても,いろいろと議論がありました。
 当時のアメリカ大統領クリントンは,「2000年と2001年の2度祝えばいい」などと言って,なんか日本でも2回に渡ってお祭り騒ぎがあったような記憶もあります。

今回の平成の終わりも,天皇の崩御とは関係のないイベントとなりますから,そーいう意味では,またお祭り騒ぎがあるのでしょう。

平成の世に合掌。


1月末の畑の様子
上にも書いた状況もあり,引き続き畑の様子は省略いたします。

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