菜園日記2018年11月
4日(日) | またまた所用のために畑はお休みです。 |
11日(日) | 2週間,畑に来られませんでしたので,久しぶりの畑となりました。 暖かい秋晴れの日曜日です。 畑の周辺は,有名な柿の産地ですので,かなり賑わっています。 ネギは青々と背を伸ばしています。 ブロッコリーとカリフラワーの不織布を外しました。もう大丈夫な感じです。 ニンジンは,少しずつ大きくなっています。間引きしつつ収穫です。 ニンニクも少しずつ大きくなっています。 ダイコンを間引いて,全て1本ずつといたしました。 セロリも元気です。 イチゴも青々と元気な様子です。 レタス,芽キャベツも葉を大きくしてきました。ここも不織布を外します。 コマツナもだんだんと大きくなってきました。またまた,間引きしつつ収穫です。 タマネギも背を伸ばしています。 キクナとミズナも元気なようです。 この秋に新しく移ってきた畑ですが,土地の管理者の都合でこの1月末で終わりとなるようです。 まあ,仕方ありません。 昼から,新しい畑の候補地を見学しに行きます。 |
18日(日) | 本日も所用により,畑はお休みとなりました。 |
25日(日) | またまた2週間ぶりの畑となりました。 秋晴れの日曜日ですが,11月最後の日曜日でもあります。 ネギは青々と背を伸ばしていますが,ちょっと色が薄くなってきました。 ブロッコリーは,頂花蕾をつけ始めました。カリフラワーはまだまだのようです。 ニンジンをまた間引きしつつ収穫です。 ニンニクも少しずつ大きくなっています。 ダイコンもかなり大きくなってきました。 セロリも葉を広げています。 イチゴは,赤い花を咲かせています。 レタス,芽キャベツも順調な感じです。 コマツナは,また間引きしつつ収穫です。 タマネギも元気です。 キクナとミズナ少しずつ大きくなっています。 |
この11月は,なんと1ケ月のうちに3人も,大学時代の友人と実に久しぶりの再会をすることができました。 元々この夏に,私のYou Tubeでのバンド演奏の動画などをお知らせすることも含めて,久しく会っていない友人などに手紙などを書いたことから,メールでのやり取りが始まったりいたしました。 それにしても,しかし,私は京都ですし,3人は東京及びその周辺に住んでおり,3人が3人とも京都を訪れてくれる機会が1ケ月間に集中したということは,なかなかビックリの出来事でありました。 もちろん非常に嬉しいビックリですが・・・ 一人はJで,学年的には,私の1つ下となるのですが,下に書くFやY,そしてMと同じ柔道部だったということもあり,親しくしていました。 今回は,別件での京都訪問を利用して,土曜日の夜に会うことができました。 私が東京勤務の時代に一度会っていますから,ほぼ28年ぶりの再会ということになります。 彼は,大学卒業後,一旦某デパートに就職しましたが,その後さまざまな仕事を経験し,また世界旅行に飛び出だしたりと行動力ある人間です。 最近は,古民家再生の大工として頑張っていますし,日本画家としても名を知られています。 今一人のYは,大学の同級生で,学科も同じでしたので,入学してから間もなく,いろいろと遊んだ記憶があります。バイクに乗って旅行もしました。 その後私が大学院の時に何回か会ってはいますが,京都に戻ってからは初めての再会となりました。 彼も名古屋の親族を訪ねるにあたり,わざわざ遠回りしてくれました。38年ぶりの再会です。京都駅で見かけた彼は,学生時代そのままのナイスガイでありました。待ち合わせ場所に近づいてくる姿は,直ぐに彼だと分かりました。 秋の日曜日,伏見を歩いて,話し,伏見の景色と料理そしてお酒を愉しみました。 もう一人のWも,大学の同級生でやはり40年ぶりの再会です。 彼とは,大学の1年の時に,ロックバンドを組んでいました。そういう意味でも非常に思い出深い友人です。大学祭の時にステージで演奏したことを非常に楽しい思い出として覚えています。今の私のロックバンド人生のスタートの1つでもあります。 また彼は,いわゆる自宅通学の学生でしたので,貧乏下宿人の私をいろいろと面倒見てくれました。とても感謝しております。 彼とは,秋の京都紅葉旅行の1晩,短い時間でしたが,食事を共にしました。今は仕事も辞め,旅行とグルメを楽しんでいるようです。 会えばもちろん,山ほどの昔話があるのですが,特にJとYは同じ学科でもあり,中心は,共通の友人が早く亡くなってしまったという話になります。 皆,ちょっと知っていた・・・というレベルの友人ではなく,一緒によく飲み,旅行し,結婚式にも招待され・・・という間柄の仲間でした。 こんなに「狭い」範囲の友人が,こんなにたくさん若くして亡くなってしまうのか・・・と思わざるを得ない状況ではあります。 プロボクサーの夢を諦め,我々の同級生となった,数歳年上のIさん。 彼は我々の兄貴分として,いろいろと気にかけてくれ,同級生の親睦のためにと「民宿研究会」なるものを作ったりしてくれました。 会自体の活動は長くは続きませんでしたが,気の合った仲間で秩父へ旅行した,そのバスの中の光景など,今でもありありと目に浮かびます。 TBSラジオのディレクターとなって,持てるエネルギーを最大発揮していたF。 彼とも,東京勤務時代に一度会っていますが,その後まもなく,体調が急激に悪化したようです。そんなことも知らず,一度夜に電話した時には,シンドイ身体なのに,かなりの時間をかけて電話口に出てくれました。学生時代,京都にもよく遊びにきてくれたことを思い出します。 お酒とパチンコが好きで,いつも金欠だった,しかし優しいY。 何かあると彼のアパートに行き,食事を一緒にしたり,麻雀をしたり,学生時代一番長く一緒に過ごした友人です。 亡くなる直前にも,今思えば自分の余命を意識してか,わざわざ京都に訪ねてきてくれました。毎年故郷のサクランボを送ってきてくれました。 若い時からの白血病で,さらに違う癌が発症してしまったM。 彼も柔道部員で,学生時代は,それほど親しい関係ではありませんでしたが,Yが亡くなったことを,丁寧な手紙で連絡してくれました。 彼もしかし,それに直ぐ続くこととなりました。それを私は,彼の奥さんからの丁寧な手紙で知りました。 そういえば,もう一人,仲の良い仲間というにはちょっと違うかもしれませんが,やはり同じ学科の同級生,亡くなった時は,高円宮でしたが,学生の頃は三笠宮でした。 同級生からは「三笠,三笠」と呼ばれて親しまれていた,気さくな皇族でした。 大学近くの中華料理店で昼食を一緒にした時のことを,今でもよく覚えています。 しかし,彼がなくなったのは,47歳。あまりにも早い。 高円宮は,カナダ大使館でスカッシュの練習を行っていた最中に,心室細動による心不全で倒れました。 他の上にあげた私の学友は全て癌で亡くなっています。 多くの者が,検診も受けず,間に合わなくなるという状態だったようです。その分,悔しさが残ります。 そして,この中でも,山形出身の友人=Yの墓参りに一緒に行きたいなあという話を,ン十年ぶりの友人たちとしておりました。 ただ,ご家族やご親戚の方に連絡が取れて,お墓の場所を確認できるかどうかが大きな要素となります。 以前でしたら,アナログの住所録があって,そこから削除する時も,2本線で消したりと,前の字句がわかるものであったりしましたが,最近はパソコン管理の住所録ですから,一旦消してしまうと,何も残りません。 何かツテが発見できるのかどうか。 可能であれば,早期に行きたく考えております。 墓前に彼の好きな日本酒でも供えて,彼の育った山形の街で,特産のサクランボでも食べられたらと思っています。 |
タマネギ | イチゴ | ニンニク | ネギ |
キクナ | レタス 芽キャベツ |
ダイコン | ブロッコリー カリフラワー |
ミズナ | コマツナ | セロリ | ニンジン |
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