菜園日記2018年3月
4日(日) | 3月に入りました。 急に暖かな空気となりました。 昼から畑へ。 ネギを1か所抜きます。ネギも残り少なくなってきました。 ブロッコリーの側花蕾を10個ほど収穫。例年に比べて,少ない出来ではあります。 ニンジンも1本を抜きます。 ニンニクは少しずつ太ってきました。 ダイコンも1本を。相変わらず細いダイコンです。 葉物野菜もそろそろ終わります・・・ タマネギは暖かさにつれて,青々としてきました。 コマツナをまた間引きしつつ収穫いたします。 あとは,草抜き,ビタミン剤など。 |
11日(日) | 暖かな日曜日です。 春一番も過ぎ,風の強い日が続いています。 昼から畑へ。 ネギは,残ったものも少しずつ大きくなっています。 ブロッコリーは,側花蕾が少しずつ大きくなりました。数個収穫いたします。 ニンジンを1本抜きます。 ニンニクもだんだんと太くなってきました。 ダイコンも1本を抜きます。 葉物野菜は,そろそろ終わりです。 タマネギも,この暖かさで青々としてきました。 コマツナは,ここにきてようやく食べごろです。 後は,草抜き等々・・・ |
18日(日) | 春らしい陽気となってきました。 昼から畑へ。 ネギもこの暖かさで,また青々と伸びてきました。2ケ所を抜きます。 ブロッコリーも側花蕾が増えてきました。10数個を収穫です。 ニンジンは残り3本を全て抜きます。小さなものばかりでしたが,今年のニンジンは比較的上手くできたと思います。 ニンニクも元気です。 ダイコンを1本抜きます。残り3本となりました。 葉物野菜もそろそろです。ミズナを全て採ります。 タマネギも元気です。 コマツナはそろそろトウが立ってきました。何十本かを採ります。 そろそろまた夏野菜の準備の時期となります。 |
25日(日) | 3月最後の日曜日となりましたが,所用のため,畑には行けませんでした。 |
月亭可朝さんが亡くなられました。 月亭可朝さん,2018年3月28日,急性肺線維症のため兵庫県内の病院で死去。80歳。 (一般に発表されたのは,4月に入ってからでした。) 前にここで,「先輩」と題して,学生であったときの「兄貴分」の方々のことを書きました。 小沢昭一さん,立川談志さん,野坂昭如さん,永六輔さん,大橋巨泉さん, http://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2016/saiennikki1608.htm これらの方々は,私の主に高校〜大学時代に,その活躍にカッコいいと注視していた人々です。 彼らのマスコミでの発言や行動,著作など,特別に傾注してということではありませんでしたが,「兄貴」として,影響を受けたり,学んだり,羨ましく見ておりました。 今回,月亭可朝さんが亡くなられたというニュースを見て,改めて,関西に住む中学生であった我々にとって,また別の「兄貴」が存在したことを認識いたしました。 それは,笑福亭仁鶴さんであり,桂三枝さんであり,月亭可朝さんでありました。 皆さん,落語家であることが面白いところです。関西の特徴ではあるでしょう。 当時,我々にとって,ラジオの深夜放送を聞くことが大共通項目でありましたが,当時のパーソナリティは,局のアナウンサーを別とすれば,圧倒的に落語家が占めていたと思い出します。 上のお三方以外にも,笑福亭鶴光さんなどなど。(鶴光さんは,当時からちょっと異才の人でした。中学生が聞くにはちょっとドギツイHな話が「売り」だったようにも思えます。で,最近テレビなどで,真面目に語っている鶴光さんを見ると,つい笑ってしまいます。) 当時は,テレビのバラエティ番組などにも落語家が良くでていた時代でした。今と違って,漫才よりも落語というのが,当時の関西のノリであったのかもしれません。 番組名などは忘れましたが,ある深夜番組で,笑福亭松之助さんが出ていて,番組の終了間際に,弟子がちょっと面白いことをするので紹介したいんだ・・・ とかで,その場面がありまして,番組終了のギリギリの時間に,若い弟子が,懸命に野球選手の物まねをしていたのを今でもよく覚えています。 その物まね自体に印象が深かったというよりも,そういう登場のさせ方が印象深かったのかもしれません。 今の,明石屋さんまさんではあります。 ラジオ番組の人気をもとに,桂三枝さん司会のテレビ番組「ヤングオー!オー!」がスタートします。 * 1969年7月3日開始。落語家の桂三枝(現:六代桂文枝)とMBSアナウンサー(当時)の斎藤努がパーソナリティを務めていた公開収録形式のラジオ番組『歌え! MBSヤングタウン』のテレビバージョンとして制作されたものです。このラジオ番組は,当時の私の身の回りの中学生は皆聞いていました。みんな,若かったこともあり,毎日の睡眠時間は,極めて短かかったものと思います。 そこで,私が「なんだ,この連中は!?テレビなんかに出るのはまだ100年早いだろー」と思って観ていたユニットがあります。 ザ・パンダという名前で,(私の記憶では,パンダ―ズでしたが)改めてネットで調べたところ, テレビ番組「ヤングおー!おー!」で結成された若手落語家のユニット。 メンバーは月亭八方、桂きん枝、桂文珍、林家小染(四代目) 後に明石家さんまが参加し、S.O.S.に改名した。 ・・・とありました。 (http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B6%A1%A6%A5%D1%A5%F3%A5%C0) 月亭八方さんは,月亭可朝さんの一番弟子ですね。 桂きん枝さんはいろいろとありましたが,まあ復活いたしました。 桂文珍さんは,私の嫌いな落語家の一人ではあります。まあ,嫌いな人は多いと思いますが。 林家小染さんは,お酒でいろいろと問題を起こしましたが,とうとうお酒がもとで若くして亡くなりました。 そういった関西お笑い界の画期に,中心にいた一人である月亭可朝さんは,まあ,なかなか独特な性格でありましたから, 選挙に出ては落選し,賭博容疑では逮捕され,となかなかの人生を送り,タレント生活としては,他の方のようには脚光を浴びる時間は非常に短かかったといえるかもしれません。 しかし,我々世代にとっては,非常に印象の強い,誰もが自らの当時の姿と結び付けて懐かしく記憶をたどれる一人であります。 名曲「嘆きのボイン」は誰もが知る歌であります。 また,本格落語の上手さでも知られましたが,例えば,ウィキペディアでは,一つの「奇行」として, 得意の「ほんまにほんまでっせ」のフレーズだけをしゃべり続け爆笑を取るものの、遂にはそれしか言わずに高座を降りてしまった。 出前で注文したうどんを高座で食べてそのまま出番が終わった。 高座で寝転がり本当に寝てしまい、それだけで出番が終わった。 と高座での逸話が紹介されています。 私は,しかし,このオンリー「ほんまにほんまでっせ」を実際に見ていた記憶があるのです。 貴重な経験に感謝しています。 ご冥福をお祈りいたします。 合掌。 (当時は,深夜ラジオ,深夜テレビから様々なものが生まれていた時代だったと思います。また改めて書きたく思います。) |
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ニンニク |
ミブナ レタス シュンギク |
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