菜園日記2018年2月

 4日(日)  2月に入りました。
 節分も過ぎ,暦の上では・・・という季節です。
 気温は少し高いのでしょうけど,北風の冷たい中,昼から畑へと向かいます。
 ネギを1つ抜きます。残ったネギも当初の半分ほどとなりました。
 ブロッコリーは,この寒さのためか,側花蕾があまりできてきません。
 ニンジンを1本抜きます。残り少なくなりました。
 ニンニクは元気に冬を越しています。
 ダイコンもまだまだ細いままですが,1本を抜きます。
 葉物野菜を少しずつ収穫。
 タマネギも寒い中,元気です。
 コマツナを間引きしつつ収穫。なかなか大きくなりません。
 冷たい北風のため,早々に退散いたします。
 12(月)  月曜日の祝日です。
 寒い日が続きます。
 歳を取ると,暑さ寒さに鈍感になる部分もあるようですが,しかし,この冬はやはり寒いです。
 昼前に畑へ。
 ネギを1つ抜きます。ネギもこの寒さでちょっと元気がありません。
 ブロッコリーもなかなか側花蕾が大きくなってきません。
 ニンジンは今日はそのまま。
 ニンニクは寒さを耐えています。
 ダイコンを1本抜きます。相変わらずの大きさです。
 葉物野菜もそろそろ疲れてきたようです。ミブナを少し収穫いたします。
 タマネギも寒さを耐えています。
 コマツナを少し収穫。なかなか大きくなりません。
 冷たい風が強く,早々に退散いたします。 
 18日(日)  今日は,京都マラソンの日です。
 午前中は,京都全域で交通規制のため,身動きできず,
 午後は所用がありましたので,畑はお休みとなりました。 
 25日(日)  2月最後の日曜日となりました。
 最近は,春の到来を思わせる陽気の日も少しずつ増えてきました。
 朝から,畑へ。
 ネギを2ケ抜きます。ネギは残り少なくなってきました。
 ブロッコリーは,相変わらず側花蕾ができてきません。
 ニンジンを2本抜きます。あまり大きなものではありません。
 ニンニクは,だいぶ太ってきました。
 ダイコンは,相変わらずですが,シーズン的にもそろそろですので,2本を抜きます。
 葉物野菜もそろそろです。キクナとレタスはもう枯れてしまいました。
 ミブナを全て抜いて収穫いたします。
 タマネギは,頑張って,青々としています。
 コマツナは少し大きくなってきました。また間引きつつ収穫です。
 後は,草抜き等々・・・ 

 古来,というよりは古代と言われる時代に,花といえば,そして花見といえば梅であったことはよく知られていますが,その意味する対象が梅からいかにも日本人らしい桜に代わっていく姿には興味深いものがあります。

 梅が花の代表的存在となった理由の一つとして,良く言われていることは,奈良時代は遣唐使として中国との交易が盛んであり,さまざまなものが日本に輸入され,その中に香り立つ梅もあったということです。
 この「匂い立つ」姿も重要であったようです。(桜はあまり香りはありませんね。)

 『万葉集』に詠まれた数もよく言われます。
 桜を詠んだ歌は40数首であったのに対し,梅を詠んだ歌は100首を超え,倍以上の違いがあるようです。

 * 梅は外来種であるかどうかについては,いろいろと説があるようですが,外来種説が証拠とするものの一つに『古事記』,『日本書紀』に梅が描かれていないことがあります。漢詩集『懐風藻』(奈良時代に成立した日本最古の漢詩集)に初めて出てくるとのことです。中国から伝来したことが想定されます。

 そして,高価な「舶来もの」ですから,都の中に植えられて管理されていたと言われています。野生の桜と比べて,人間が栽培する高価な梅・・・ということもあって,人々の注目を浴び,『万葉集』でも多く詠まれたのではないでしょうか。

 こういうこともあって,当時,花といえば梅でした。

 そして,当時の貴族たちは,梅を見ながら歌を詠み,それが所謂花見となるのでしょう。

(・・・といっても,万葉集で一番多い植物は「萩」で,梅をかなり上回っているようです。・・・となると,また機会があれば,萩についても,ちょっと調べてみたい気がいたします。)

 さて,この時代面白いことは,桜の下で宴会をするような歌はなく,一方で梅の歌は,花を愛でながら酒を酌み交わす場面が多いようです。

 青柳(あおやなぎ) 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし
 (沙弥満誓=さみまんせい,万葉歌人,生没年不詳)

 しかしながら,桜もまた当時から,人気のある花であったようです。
 桜は元々日本人にとって大切な存在であったということも指摘されています。
 一説によれば,サクラのサは田の神様,クラは神様の座る場所を表しているということです。
 つまり,サクラは,神様が下りてきた時に,そこに留まる「依代」=よりしろとされていたようです。
 従って,サクラが咲く姿は,神様が下りてきたということであり,そのため皆で集まってお酒や食べ物をお供えしていたと言われています。

 * サクラの語源については,さすがにかなりの数の諸説があります。
しかし,思うに,日本の山里の光景に一種不釣り合いなあの桜の色合い,雰囲気は,昔日の方々が一種「神」を感じるに相応しい花ではないでしょうか。

 そういう意味でも,サクラは元々,鑑賞する対象というよりは,神聖な祭る対象と考えたく思います。
 
 (ここで個人的には,私が前に書いた,吉野の桜のことを想い出したりいたします。)

 http://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2017/saiennikki1711.html

 さて,学問の神様と言われる当時の参議兼式部大輔(後に従二位、右大臣)菅原道真が,894年に遣唐使を廃止します。
 (教科書の説明を多くの人が覚えていると思いますが,ある意味日本史の基本的な認識として)この遣唐使の廃止により,以後日本独自の文化が発展していったと言われています。

 これを契機に日本古来の文化や美徳に人々が注目し始めたのでしょうか。この時を境に、花といえば「梅」ではなく,「桜」を指すようになってきたようです。

 私などは,菅原道真といえば,梅を歌った短歌を思い出しますし,彼を祭った京都の北野天満宮は今も梅の名所でありますから,皮肉というか面白いものです。

 東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
 (栄華を極めた菅原道真が大宰府に左遷されることとなり,京都を離れる時に歌ったものとされています。)

 さてさて,逆に,この時代の桜ブーム到来は、和歌にも表れています。

 平安初期に編纂された『古今和歌集』には,梅を詠んだ歌は20首弱であるのに対し,桜を詠んだ歌は70首となりました。
 平安時代に,一気に梅と桜の人気が逆転したことがここにも表れています。

 紀友則はこのような歌を詠んでいます。

 久方の ひかりのどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ
 (紀友則,『古今和歌集』)

 現代語訳すると,「こんなにも日の光がのどかな春の日に、どうして桜の花だけは散っていってしまうのだろうか」といったところでしょうか。
 歌には「花」としかありませんが,この言葉だけで当時は桜をさしていたということです。その意味においても,既にこの時代,桜は他の花に比べて,特別な存在だったのでしょう。

 桜は,やはり日本を代表する花であり,木であり,その歴史を調べても山のような資料,文献が残されています。
 そして,日本人が桜に想うことも,書いても語っても尽くせない面があるでしょう。

 私は,若い頃は,桜や花一般に何の興味もありませんでしたが,歳と共にお花見もいいものだなぁと思うようになってきました。
 ちょうど日本人の人生の節目となる年度末に咲き誇るこの花は,我々にとって特別な風景でもあります。
 不思議なもので,若い時に飲食の一つの機会として楽しみに感じていた花見も,歳と共に,花それ自体の光景を楽しむようになりました。

 しかし,梅にはそのような関心はありませんでした。
 何時の頃でしょうか。恐らく60歳,還暦を前にして初めて,梅でも見に行こうか・・・という気持ちが生じたように記憶しています。

 それでも別に,大陸中国の文化を香りたいわけでもなく,桜と異なり,一種鄙びた感の梅を見ながら,近づく春を確かめたいという気持ちなのかもしれません。
2月末の畑の様子


ブロッコリー


カリフラワー
 

ニンニク

ミブナ

レタス

シュンギク


コマツナ

ニンジン


ネギ

ダイコン



タマネギ



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