菜園日記2018年1月

 3日(水)  年が明けました。
 天気予報に反して?暖かな正月となりました。
 が,今日はちょっと冷たい空気です。
 昼前から畑へ参ります。
 ネギを1つ抜きます。
 カリフラワーの頂花蕾を採ります。
 ブロッコリーもそこそこ大きくなっていましたので,スティックセニョールの方を採りました。
 ニンジンも寒さを耐えている様子です。
 ニンニクも元気です。
 ダイコンは相変わらず太くなってきません。
 ミブナ,ミズナを少しずつ収穫いたします。
 タマネギも元気な様子です。
 コマツナは,ここにきて少し大きくなってきた感じです。
 パラパラとミゾレが降ったり,雪になったりの天気となりました。
 早々に退散いたします。
 14日(日)  全国女子駅伝の開催日です。
 たまたま交通規制を避ける時間となりました。
 畑に近づくつれて,屋根に雪を乗せた車が多くなり,ひょっとしたら・・・と思っていましたが,やはり畑は雪で覆われていました。
 多くの野菜は見ることもできません・・・
 ダイコンは,細いままでしたが,1本を抜きます。
 葉物野菜を少しずつ収穫。今年は,葉物野菜が元気です。
 後は,雪で作業もできず,早々に退散いたします。
 21日(日)  久しぶりに暖かな日曜日となりました。
 しかし,今週からまた大寒波が襲来するようです。
 昼から畑へ。
 ネギは寒さの中,少しずつ太くなってきました。
 ブロッコリーの頂花蕾を1つ収穫いたします。
 ニンジンも1本。
 ニンニクも寒さの中,少しずつ大きくなっています。
 ダイコンは少しずつ太くなってきました。1本を抜きます。
 葉物野菜は元気です。それぞれ少しずつ収穫です。
 タマネギも元気に冬を過ごしています。
 コマツナはここに来て少し背を伸ばしてきました。間引きしつつ収穫いたします。
 今年はやはり畑にとっても厳寒のようです。
 28日(日)  大寒波という言葉では足らず,超大寒波とかが到来しています。
 昼から畑へと走りましたが,車に乗ると同時に,雪がチラついてまいりました。
 畑は,しかし,それほど雪の影響もありませんでした。
 ネギを2か所抜きます。
 ブロッコリーは,側花蕾がまだあまりできていません。
 ニンジンを1本抜きます。最近,ずっと出来の悪かったニンジンですが,今年は大きく形のいいものが採れています。
 ニンニクも元気です。
 ダイコンは,細いままですが,2本を抜きます。
 葉物野菜は,今日はそのままにしておきます。
 タマネギも元気です。
 コマツナをまた間引きしつつ収穫いたします。この寒さでまた生長が止まってしまったようです。
 雪が強くなってきましたので,早々に退散いたします。

 歳を取ると,陽の長さに敏感になるようです。
 まあ眼もだいぶ能力が低下していますから,早い時間に陽が落ちますと,まだ夕方らしくあるべき周りの景色は,見えないものだらけとなり,漆黒の闇寸前といっても過言ではありません。
 それに陽の長さは,寒さと一定連動していますから,その意味からも年寄りには辛いところです。

 陽が短くなって,厳寒に包まれる時期,電気もガスもなかった時代の人々は,行うべき仕事もほとんどなく,と言うよりも,行える仕事は非常に限られていたでしょうし,ひたすら春を待ち望んでいたのではないでしょうか。
 畑や放牧地は雪に覆われ,海や河川も冷たく閉ざされていて,人間の営みは最大限の制約を受けていたと思えます。

 生産性・・・というだけでなく,太陽の高さや日照時間の変化に伴う厳しい環境の到来は,当時の人々が生きていく上で,最も大きな影響を受ける,生死と直結する重大な問題でもあったでしょう。

 今は,暖房もあり,夜も明るい照明の下,温かな風呂に入ったり,冬もそれなりに快適な時間を過ごすことができます。
 厳寒期においても,自然条件だけに左右されない生産活動等も多々存在していますから,「死の季節」とばかりは呼べない時期ではあります。
 しかし,そんな時代でも特に高齢者にとっては,春の訪れは特段の意味合いを持つものと思われます。
 私でも,凛とした厳しい空気が緩み,生暖かい風が吹くようになりますと,何かホッといたします。
 桜や旅行,運動や屋外でのイベントなど,いろいろなものが一挙に目に明るく映るようになります。
 このようなことは,若い時にはあまり実感がありませんでしたが,歳を重ねるたびに,春の光を待ち望むようになります。

 さて,太古,冬の時期のカレンダーが存在しなかった国や地域もあるようです。

「国立天文台」のサイトによると,

「紀元前8世紀頃のローマで使われていたとされる「ロムルス暦」では、月は10しかなく、農業をしない冬の期間には月日が割り振られていませんでした。また、当時の1年の始まりの月はMartiusでした。Martiusは英語のMarch(現在の3月)です。」

https://www.nao.ac.jp/faq/a0307.html

とあります。

1月2月にあたる暦がなく,3月1日が年の始まりであった国(地域,民族)は他にも存在したということです。

 一方でまた,「冬至」が人々の時間や生活において,特別な意味を持っている事例も多々あると思いますが,年が始まるということは,結局の所,そこから陽が長くなる,暖かくなって活動ができるようになる,そういうことなのではないかと,特に歳を取ると実感するようになります。

 冬至は,太陽のパワーが最も弱まる時期でありますが,それは同時にそこから太陽が復活していく日でもあり,一年の初めに相応しい時期とも考えられます。
 よく言われているように,古代の冬至祭の日にイエス・キリストの誕生日(正確には,誕生日ではなく,降誕日なのでしょうが・・・)を該当させたのは,そういう意味もあるのでしょう。

* ちょっと横道ですが,クリスマス・イブをクリスマスの前日と思っている人は,非常に多いと思われます。このイブを応用して,大晦日を元日イブのように,誤用の応用?をしているマスコミやサイトの記事は,数限りなくあります。
 しかし,何故,クリスマス当日ではなく「前日」を盛大にお祝いして,「当日」は「もう終わった」という感じになってしまうのでしょうか!?
 若い時に,不思議に思いませんでしたか!?
 昔日,ユダヤ暦では,1日は太陽が落ちてから始まり、次の太陽が落ちるまでが1日と考えられていたということです。
 イブは,現在の英語でいうと,eveningのイブであり,だからこそ12月24日の夜がクリスマスの夜=クリスマスイブなのです。
 つまり,前日ではなく,クリスマスの本番なのです。
・・・と偉そうに書きますが,私もこのことを知ったのは,それほど昔のことではありません・・・

 さてさて,こういったことを考えていきますと,冬至から一年が始まったりすることが自然なような気がするのですが,実際には,ほとんどの国家,民族で,一年は(現在の)1月1日から始まります。
 何故その1月1日から一年が始まるのかについては,良くわからないようです。
 イエス・キリストの降誕日も,1月1日ではなく,12月25日です。

 比較的多く語られている説としては,いわゆる太陰暦のように,月を基準とする暦は,新月をスタートとするので,冬至を過ぎた初めの新月の日を1月1日と決めた,というものです。
 ただ,これについては,計算が合わない,当時の現実の新月はそーではなかったなどなど,いろいろな研究成果が発表されています。
 あっちこっちと調べましても,天文学的にも??,暦の歴史学?的にも???で,確定的な説はないと思われますし,私のような門外漢が言うのも失礼ですが,一つひとつの説も,極めてあいまいな,説になっていない説というようなものが多いと言わざるをえません。

 まあ私の理解力が乏しいのかもしれませんが,それを勘案しても,「冬至」の日が本来の1月1日というか,一年のスタートだったのではないか・・・という説は厳密な実証ができないというのが現実のようです。

 さてさて,以前に(2014年12月)この菜園日記に,朔旦冬至のことを書きましたが,
「古代中国では,11月の月初めと冬至とをそれぞれ年始とする考え方があり,両者が重なったときを吉日とした。」とのことでした。
 そして,当時の月初めですから,新月が重なります。「計算」は困難かもしれませんが,冬至と1月1日とのズレには,やはり新月が関係しているのではと,何の具体的根拠もありませんが,素人ながら思ったりもいたします。

 1月1日のことをいろいろと調べていて気付きましたことは,サイトなどで,非常に多くの人がこの問題に興味を持って,独自の計算などもしていることでした。
 現代のサイトだけでなく,過去から膨大な「研究」が積み重ねられています。
 そういうテーマなのかもしれませんし,調べれば調べるほど,奥が深くて興味深いミステリーなのかもしれません。
 また逆に言えば,いろいろな人がいろいろな説を立てやすい領域なのかもしれません・・・

 私には当然,そのような能力はありませんから,次なる展開が得られるまで,いったんこの問題を保留いたします。


(附記)

 年のはじめのためしとて・・・で始まる唱歌「一月一日」ですが,この曲名はなんと読むのが正しいのでしょうか!?

「いちげついちじつ」だそうです。

勉強になります。
合掌。
1月末の畑の様子


ブロッコリー


カリフラワー
 

ニンニク

ミブナ

ミズナ

レタス

シュンギク


コマツナ

ニンジン


ネギ

ダイコン



タマネギ



2018年2月へ 菜園日記topへ